「現物として残っているのはすごい」昭和南海地震の罹災証明書の現物が阿南市で見つかる【徳島】
災害により家屋が被害を受けた際、自治体が被害状況を調査し、被害の程度などを証明するために発行する「罹災証明書」。
3月6日の「フォーカス徳島」では、昭和南海地震で被害に遭った住民に発行されたこの罹災証明書が、徳島県阿南市の民家で見つかったというニュースをお伝えしました。
現存するのは徳島県内で唯一の可能性がある貴重な資料ではないかいうことで、関係者や専門家に話を聞きました。
(徳島県立文書館 金原祐樹館長)
「(Q.徳島県内初めて?)そうですね、この証明書の形を見たのは初めてです」
2025年2月、徳島県阿南市橘町の民家で見つかったという昭和南海地震の「罹災証明書」。
(光明寺 浅川雄康住職(80))
「右家屋畳上三尺五寸浸水シ左記被害アリタルニ相違ナキ事を證明ス」
この罹災証明書には「三尺五寸」、つまり約1mにわたって浸水した旨などが記されています。
檀家での法要の際、仏壇じまいをしていたときに偶然見つかったそうです。
橘町にある光明寺の浅川雄康住職とともに、罹災証明書を見つけた橘町の故・湯浅千助さんのお宅に孫の孝雄さんを訪ねました。
「(Q.どこから出てきた)(仏壇の)下を開けて、ここの奥、ここから出てきたんです」
「色んな書類も入っていたけどね」
「(Q.孝雄さんは知らなかった?)全く知りませんでした」
浅川住職によりますと、昭和南海地震により、光明寺の檀家の約7割が被害を受けたため、本山である高野山に対して、5年間上納金の延期をお願いする嘆願書を出していたことが記録にあるそうです。
(光明寺 浅川雄康住職(80))
「檀家さんから『罹災証明書』が出たということは、檀那寺と檀家という関係、それがつながったと思った。貴重なと思いました」
この罹災証明書が残されていたことに対し、湯浅さんは。
(湯浅孝雄さん(54))
「残してくれているのがごっついって思った。残しておいて、津波がこんなにあったというのを後々まで伝えてもらえたら良い」
そして昭和南海地震、チリ地震、東日本大震災による3回の津波を地元で経験してきた浅川住職は。
(光明寺 浅川雄康住職(80))
「(災害で)辛い思いをしてきた人がたくさんいる。それを跳ねのけて、みんな家族を守り、勉学や仕事に励んで生き延びてきたと。そういうことが言えるのでは」
昭和南海地震の罹災証明書が徳島県内で見つかったことは、研究者でもある徳島県立文書館の金原祐樹館長にとっても驚くべきことでした。
(徳島県立文書館 金原祐樹館長)
「明治時代から、台風の災害とかのときに罹災証明書が出たというのは実際にある。だけども、昭和南海地震のときは非常に物資もないときだったので、なかなか残らないだろうと思っていた。現物として残っているのはすごいことじゃないかと思います」
貴重な昭和南海地震の資料として見つかった「罹災証明書」、当面は光明寺に大事に保管されるということです。
3月6日の「フォーカス徳島」では、昭和南海地震で被害に遭った住民に発行されたこの罹災証明書が、徳島県阿南市の民家で見つかったというニュースをお伝えしました。
現存するのは徳島県内で唯一の可能性がある貴重な資料ではないかいうことで、関係者や専門家に話を聞きました。
(徳島県立文書館 金原祐樹館長)
「(Q.徳島県内初めて?)そうですね、この証明書の形を見たのは初めてです」
2025年2月、徳島県阿南市橘町の民家で見つかったという昭和南海地震の「罹災証明書」。
(光明寺 浅川雄康住職(80))
「右家屋畳上三尺五寸浸水シ左記被害アリタルニ相違ナキ事を證明ス」
この罹災証明書には「三尺五寸」、つまり約1mにわたって浸水した旨などが記されています。
檀家での法要の際、仏壇じまいをしていたときに偶然見つかったそうです。
橘町にある光明寺の浅川雄康住職とともに、罹災証明書を見つけた橘町の故・湯浅千助さんのお宅に孫の孝雄さんを訪ねました。
「(Q.どこから出てきた)(仏壇の)下を開けて、ここの奥、ここから出てきたんです」
「色んな書類も入っていたけどね」
「(Q.孝雄さんは知らなかった?)全く知りませんでした」
浅川住職によりますと、昭和南海地震により、光明寺の檀家の約7割が被害を受けたため、本山である高野山に対して、5年間上納金の延期をお願いする嘆願書を出していたことが記録にあるそうです。
(光明寺 浅川雄康住職(80))
「檀家さんから『罹災証明書』が出たということは、檀那寺と檀家という関係、それがつながったと思った。貴重なと思いました」
この罹災証明書が残されていたことに対し、湯浅さんは。
(湯浅孝雄さん(54))
「残してくれているのがごっついって思った。残しておいて、津波がこんなにあったというのを後々まで伝えてもらえたら良い」
そして昭和南海地震、チリ地震、東日本大震災による3回の津波を地元で経験してきた浅川住職は。
(光明寺 浅川雄康住職(80))
「(災害で)辛い思いをしてきた人がたくさんいる。それを跳ねのけて、みんな家族を守り、勉学や仕事に励んで生き延びてきたと。そういうことが言えるのでは」
昭和南海地震の罹災証明書が徳島県内で見つかったことは、研究者でもある徳島県立文書館の金原祐樹館長にとっても驚くべきことでした。
(徳島県立文書館 金原祐樹館長)
「明治時代から、台風の災害とかのときに罹災証明書が出たというのは実際にある。だけども、昭和南海地震のときは非常に物資もないときだったので、なかなか残らないだろうと思っていた。現物として残っているのはすごいことじゃないかと思います」
貴重な昭和南海地震の資料として見つかった「罹災証明書」、当面は光明寺に大事に保管されるということです。
最終更新日:2025年3月17日 20:58