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【「東日本大震災」から13年】震災後、人口流出が進む半島の集落支える「移動販売カー」(宮城・牡鹿半島)

2024年3月4日 20:14
【「東日本大震災」から13年】震災後、人口流出が進む半島の集落支える「移動販売カー」(宮城・牡鹿半島)
東日本大震災」からまもなく13年。

震災後、人口流出が進む宮城・牡鹿半島の集落を支える「移動販売カー」の取り組みについてお伝えする。

音楽を響かせて、牡鹿半島の集落を走る車。
宮城・女川町唯一のスーパー『おんまえや』の移動販売カーだ。

週に1回、決まった時間にやってくる。

音楽を聞いて、続々と集まってくるおばあちゃんたち。

利用客「『おんまえや』さん来るからね。すごく助かるんだよ。私たち足が悪いから、すごく便利なの。待ってるの」

トラックの中には、キャベツやきゅうりに、牛乳やお惣菜も。

『おんまえや』移動販売カーのドライバー・山崎佳彦さんと利用客
「これ(お客さんに)頼まれたやつ。5個買ったの」
「私これ大好き」

『おんまえや』は、女川町に店舗を構える一方、36年前から女川、石巻の牡鹿半島で移動販売を行っている。

13年前の3月11日。
震災の津波で、店舗は全壊、従業員ら9人が犠牲になった。

地域の生活を支えるため、店舗を再建してからも移動販売を続けてきた。

移動販売カーを担当している山崎佳彦さん。

山崎さんは、復興の手伝いがしたいと以前勤めていた和菓子店をやめて、ドライバーを志願した。

常連客にとって、山崎さんとのふれあいも楽しみのひとつ。

買い物客
「魚屋さんにミナミマグロ、ちょっとでいいから分けてくれって言われてきたって(伝えて)。頼むよ」

女川町と石巻市にまたがる牡鹿半島。
震災前およそ5000人以上いた人口は、街中心部や高台への集団移転で2300人ほどになった。

一方、震災から時が経つにつれて、半島部の人口減少の深刻さを実感している。

音楽を鳴らしても、誰も来ない日もあった。

『おんまえや』移動販売カーのドライバー・山崎佳彦さん
「昔の町営住宅にも寄っていたんですが、出てくる人が施設に入ってしまい、今はもういないんです。(到着音を)鳴らしても結局誰もいない」

出発からおよそ4時間。

この日訪れたのは、石巻市泊浜地区。
震災後、急激に人口が減った集落のひとつだ。

「おはようございます」

移動販売カーの音楽とともに集まる、高齢の女性たち。

スーパーもコンビニもないこの集落では、移動販売カーが唯一の買い物の機会の人も少なくない。

利用客
「助かりますよ。車で(スーパーに)行けない私みたいな人(にとって)」

沢山買い物をした時は、山崎さんが荷物を家まで運んであげることもある。

移動販売カーを利用するうちの1人 阿部ふき子さん(86)。

阿部ふき子さん(86)
「足は痛いけど、寒い時とか具合の悪い時にはより痛くなる」

阿部さんは22歳で泊浜に嫁ぎ、多い時には家族8人で暮らしていた。

震災の津波被害は免れたが、夫を早くに亡くし娘も独立。今は、1人で暮らしている。

それでも、この地区に残り続けていられるのは、移動販売のおかげ。

阿部ふき子さん(86)
「(集落は)小さくなっていくね。今は半分だもんね。最後までいたい気持ちもあるけど、自分の体が動かなければ仕方ない」

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