終戦の翌日に100人あまりの若い命が奪われた『震洋隊爆発事故』を描いた舞台『海の木馬』上演【高知】
終戦の日の翌日、高知県香南市で100人あまりの若い命が奪われた「震洋隊爆発事故」。この悲劇を描いた舞台「海の木馬」が、3月15日と16日の2日間、地元・香南市で上演されました。
舞台「海の木馬」初日の3月15日、会場の香南市夜須公民館マリンホールには、あいにくの雨にも関わらず開場を待ちかねて、早い時間から多くの人が訪れていました。
舞台「海の木馬」は1945年8月16日、終戦の日の翌日に香南市夜須町で起きた「震洋隊爆発事故」を基につくられた芝居です。東京の劇団が2年前に上演したものを、高知の役者を中心にして芝居の舞台である香南市で再演したものです。物語は2人乗りの小型のボートで敵艦に体当たりする水上特攻艇「震洋」の元搭乗員で、生きながらえ年老いた主人公が、かつての悲劇を回想する形で進みました。
香南市の住吉基地では隊員171人のうち特攻する搭乗員は48人で、平均年齢は17歳と、現在の高校生の年齢。地元の人とのふれあいも温かく描かれました。
悲劇が起きたのは、終戦の翌日。海軍からの命令により香南市の住吉基地で出撃準備中の震洋艇1隻から、原因不明の火災が発生。連鎖的な大爆発につながります。舞台でも緊迫感いっぱいに展開され。思わず引き込まれます。
25隻のうち22隻が爆発し、県外出身の若者111人の命が、戦争が終わった次の日に奪われました。
現場の海の近くで毎年慰霊祭を行っている地元の有志も舞台の会場に足を運んでいて、舞台を通して追悼の思いを新たにしていました。
参加した役者は、県内の15人と東京の劇団の俳優2人です。このうち、震洋艇の整備班役として出演、舞台に出るのは初めてという橋場公亮さんは、地元・夜須中学校の教員です。今回出演する17人の中ではただ1人、物語の舞台・夜須町に関わる立場でした。
橋場さんは、1年前には隣の芸西中学校に勤務していて、この日の会場にはそれぞれの中学校の教え子の姿がありました。
戦後80年が経過し当時を知る人も少なくなり、語り継ぐことが難しくなりつつありますが、芝居という形にすることで若い人たちにもその悲劇を伝えることができます。地元住民中心の慰霊祭とは違った戦争の悲惨さを伝える形として、多くの人に訴えかけるきっかけとなりそうです。
舞台「海の木馬」初日の3月15日、会場の香南市夜須公民館マリンホールには、あいにくの雨にも関わらず開場を待ちかねて、早い時間から多くの人が訪れていました。
舞台「海の木馬」は1945年8月16日、終戦の日の翌日に香南市夜須町で起きた「震洋隊爆発事故」を基につくられた芝居です。東京の劇団が2年前に上演したものを、高知の役者を中心にして芝居の舞台である香南市で再演したものです。物語は2人乗りの小型のボートで敵艦に体当たりする水上特攻艇「震洋」の元搭乗員で、生きながらえ年老いた主人公が、かつての悲劇を回想する形で進みました。
香南市の住吉基地では隊員171人のうち特攻する搭乗員は48人で、平均年齢は17歳と、現在の高校生の年齢。地元の人とのふれあいも温かく描かれました。
悲劇が起きたのは、終戦の翌日。海軍からの命令により香南市の住吉基地で出撃準備中の震洋艇1隻から、原因不明の火災が発生。連鎖的な大爆発につながります。舞台でも緊迫感いっぱいに展開され。思わず引き込まれます。
25隻のうち22隻が爆発し、県外出身の若者111人の命が、戦争が終わった次の日に奪われました。
現場の海の近くで毎年慰霊祭を行っている地元の有志も舞台の会場に足を運んでいて、舞台を通して追悼の思いを新たにしていました。
参加した役者は、県内の15人と東京の劇団の俳優2人です。このうち、震洋艇の整備班役として出演、舞台に出るのは初めてという橋場公亮さんは、地元・夜須中学校の教員です。今回出演する17人の中ではただ1人、物語の舞台・夜須町に関わる立場でした。
橋場さんは、1年前には隣の芸西中学校に勤務していて、この日の会場にはそれぞれの中学校の教え子の姿がありました。
戦後80年が経過し当時を知る人も少なくなり、語り継ぐことが難しくなりつつありますが、芝居という形にすることで若い人たちにもその悲劇を伝えることができます。地元住民中心の慰霊祭とは違った戦争の悲惨さを伝える形として、多くの人に訴えかけるきっかけとなりそうです。
最終更新日:2025年3月19日 18:17