【特集】復興へ・・・地域再生のリーダーシップと復興庁廃止について
防災月間の9月、プラス1では3回シリーズで災害に関わる課題をお伝えしています。
最終回は、地域を再生するためのリーダーシップと復興庁が役割を終えるという課題を遠藤記者が取材しました。
宮古市社会福祉協議会は、復興支援などの地域福祉はもちろん高齢者の見守りやデイサービス生活に困っている人の相談など、総合的に福祉の課題に取り組んでいます。
常務理事で事務局長の有原領一さんは、2011年3月の東日本大震災のとき、ボランティアセンターの主任として全国からの支援を受け入れ、その後も地域の変化を見つめ続けています。
有原さん)
「回復に向けてみんなで頑張ってきたんだけど、台風があってコロナ禍があってということで(生活が)上がり切らないというか下がってしまった。そこの差はあるのかなと思う。解決しきらないという人たちもいるだろうし、その後(震災後)2度の災害(台風)と感染症で新しい大変さを感じているというか生活に支障をきたしている方がいることは確かだと思います」
宮古市社会福祉協議会 赤沼 恵 生活支援相談員)
「地域性が強い方が集まっていたりするので、一緒に頑張ろうという気持ちがすごくあったんじゃないかと思う」
宮古市の鍬ケ崎公民館には、毎週1回地域の人たちが集まって手芸を楽しんでいます。グループのリーダーは村木トシ子さん84歳。海に面した日立浜町に住む村木さんは、震災後の津波で被災し、およそ200人の住民と共に浄土ヶ浜のホテルに避難し、その後仮設住宅に住み、住宅再建を果たしましたが、いつも地域の人たちが元気になるよう心配りをしてきました。
村木トシ子さん)
「(記者・震災から13年も経ちますけど変わりましたか?)(村木さん)変わったんでしょうね。皆さんが明るくなりましたね。確かに一人でいればいろいろ考えるだろうけど、ここに来た時は笑って帰ります」
(ミシンから変な音がする)音が変だがね。なんだろう、目が悪いためにさ、こっち引っ張ればいいのだ?手前に来ればいい?ミシンにばかにされる。音がいいね 。音がしない。やっぱり違うな。新しいのは新しいのだ。こっちは古いのです」
村木さんたちは、バッグを手づくりし地域の人たちに配りました。
村木さん)
「鍬ケ崎でも流された着物なんかがあって、ほどいてちゃんと乾かして手提げバッグを作って、みなさん(津波で)無くしているから買い物なんか入れるものがないでしょう。ミシンがないなと思ってメーカーに相談したら本社の方から貸すミシンが5台来てましたって。それを借りて40枚から50枚(手提げバッグを)作りました。ここに出入りしている人たちね1枚ずつ」
宮古市社会福祉協議会 渡部玲子 地域福祉課長)
「一度みなさんいろいろな所に離れて暮らしていた時期があったと思うんですが、村木さんが皆さんに声をかけて一緒に集まる場を作っていったというところが、明るくなっていったひとつの原動力なのかなと思っていました」
鍬ケ崎公民館のサークルは順調に運営されていますが、さらに若い世代にこうした活動を受け継いでいく事が課題となっています。
舘洞真樹子さん(63))
「いろいろなものを作ったりとか頭も使いますし、手先も使いますし、ちょっとしたことをやるだけでも勉強になるので。(記者・若い人にもつないでいきたいなと)(舘洞さん)そうなんですよね。今のお母さんたち若い人たち雑巾とか縫えない方もいるので、そういうのでも勉強になると思うので、気軽な感じで来ていただければ本当はすごくいいんですけれどね」
宮古市鍬ケ崎公民館のメンバーのように外出できる人もいますが、病気などで外に出られない人や生活に困っている人もいます。そういう人たちを見守っているのが生活支援相談員です。岩手県の生活支援相談員は震災後の2011年11月から活動が始まり、去年3月末現在、沿岸を中心に59人の職員が配置され、対象は2120世帯。2022年度はのべ3万5333回もの訪問活動を行いました。
ところが、生活支援相談員の財政的な措置をしてきた復興庁は、来年度いっぱいで廃止され、相談員の制度も維持出来なくなります。
県社会福祉協議会 楢木英裕 地域福祉企画部長)
「今までは私たち県社協を通じて各市町村社協のところに生活支援相談員を配置していた形が変わっていく。各市町村ごとに考えてやっていくというたてつけに移行せざるを得ないという方向性が見えてきた。そこで(県社協の役割が)終わりではなくて私たちは新しいスキーム(枠組み)の中で県社会福祉協議会としてできることについては継続して、これからも取り組みを進めさせていただきたいと思っていました」
岩手県は再来年3月の復興庁廃止を見据えて、現在各市町村にヒアリングをして、2026年度からの見守り活動をどのように展開するか検討を進めています。
県地域福祉課 草木秀二 総括課長)
「国の事業メニューとして重層的支援体制整備事業という事業があるんですが、これは高齢者、障がい者、子ども、生活困窮、こういった事業というのはそれぞれが行われているのが従来なんですが、これを属性とかに関わらずにできるというのがこの重層的支援体制整備事業なんですが、こういったものが震災の影響というのを抱えている方についても取りこぼしがなく対応できる制度だと考えています。(県としては)そういうのを円滑に進められるよう支援するというのを行っている」
自ら課題解決に取り組む自助。行政などの力による支援、公助に加えてこのところ『共助』という言葉が注目されています。これは地域やコミュニティといった身近な人たちが協力して助け合うことを言います。復興庁の廃止が決まっている今、『共助』を実現するためには、地域のリーダーシップ、そして地域を支える社会福祉協議会のような組織の大切さが見直されています。
最終回は、地域を再生するためのリーダーシップと復興庁が役割を終えるという課題を遠藤記者が取材しました。
宮古市社会福祉協議会は、復興支援などの地域福祉はもちろん高齢者の見守りやデイサービス生活に困っている人の相談など、総合的に福祉の課題に取り組んでいます。
常務理事で事務局長の有原領一さんは、2011年3月の東日本大震災のとき、ボランティアセンターの主任として全国からの支援を受け入れ、その後も地域の変化を見つめ続けています。
有原さん)
「回復に向けてみんなで頑張ってきたんだけど、台風があってコロナ禍があってということで(生活が)上がり切らないというか下がってしまった。そこの差はあるのかなと思う。解決しきらないという人たちもいるだろうし、その後(震災後)2度の災害(台風)と感染症で新しい大変さを感じているというか生活に支障をきたしている方がいることは確かだと思います」
宮古市社会福祉協議会 赤沼 恵 生活支援相談員)
「地域性が強い方が集まっていたりするので、一緒に頑張ろうという気持ちがすごくあったんじゃないかと思う」
宮古市の鍬ケ崎公民館には、毎週1回地域の人たちが集まって手芸を楽しんでいます。グループのリーダーは村木トシ子さん84歳。海に面した日立浜町に住む村木さんは、震災後の津波で被災し、およそ200人の住民と共に浄土ヶ浜のホテルに避難し、その後仮設住宅に住み、住宅再建を果たしましたが、いつも地域の人たちが元気になるよう心配りをしてきました。
村木トシ子さん)
「(記者・震災から13年も経ちますけど変わりましたか?)(村木さん)変わったんでしょうね。皆さんが明るくなりましたね。確かに一人でいればいろいろ考えるだろうけど、ここに来た時は笑って帰ります」
(ミシンから変な音がする)音が変だがね。なんだろう、目が悪いためにさ、こっち引っ張ればいいのだ?手前に来ればいい?ミシンにばかにされる。音がいいね 。音がしない。やっぱり違うな。新しいのは新しいのだ。こっちは古いのです」
村木さんたちは、バッグを手づくりし地域の人たちに配りました。
村木さん)
「鍬ケ崎でも流された着物なんかがあって、ほどいてちゃんと乾かして手提げバッグを作って、みなさん(津波で)無くしているから買い物なんか入れるものがないでしょう。ミシンがないなと思ってメーカーに相談したら本社の方から貸すミシンが5台来てましたって。それを借りて40枚から50枚(手提げバッグを)作りました。ここに出入りしている人たちね1枚ずつ」
宮古市社会福祉協議会 渡部玲子 地域福祉課長)
「一度みなさんいろいろな所に離れて暮らしていた時期があったと思うんですが、村木さんが皆さんに声をかけて一緒に集まる場を作っていったというところが、明るくなっていったひとつの原動力なのかなと思っていました」
鍬ケ崎公民館のサークルは順調に運営されていますが、さらに若い世代にこうした活動を受け継いでいく事が課題となっています。
舘洞真樹子さん(63))
「いろいろなものを作ったりとか頭も使いますし、手先も使いますし、ちょっとしたことをやるだけでも勉強になるので。(記者・若い人にもつないでいきたいなと)(舘洞さん)そうなんですよね。今のお母さんたち若い人たち雑巾とか縫えない方もいるので、そういうのでも勉強になると思うので、気軽な感じで来ていただければ本当はすごくいいんですけれどね」
宮古市鍬ケ崎公民館のメンバーのように外出できる人もいますが、病気などで外に出られない人や生活に困っている人もいます。そういう人たちを見守っているのが生活支援相談員です。岩手県の生活支援相談員は震災後の2011年11月から活動が始まり、去年3月末現在、沿岸を中心に59人の職員が配置され、対象は2120世帯。2022年度はのべ3万5333回もの訪問活動を行いました。
ところが、生活支援相談員の財政的な措置をしてきた復興庁は、来年度いっぱいで廃止され、相談員の制度も維持出来なくなります。
県社会福祉協議会 楢木英裕 地域福祉企画部長)
「今までは私たち県社協を通じて各市町村社協のところに生活支援相談員を配置していた形が変わっていく。各市町村ごとに考えてやっていくというたてつけに移行せざるを得ないという方向性が見えてきた。そこで(県社協の役割が)終わりではなくて私たちは新しいスキーム(枠組み)の中で県社会福祉協議会としてできることについては継続して、これからも取り組みを進めさせていただきたいと思っていました」
岩手県は再来年3月の復興庁廃止を見据えて、現在各市町村にヒアリングをして、2026年度からの見守り活動をどのように展開するか検討を進めています。
県地域福祉課 草木秀二 総括課長)
「国の事業メニューとして重層的支援体制整備事業という事業があるんですが、これは高齢者、障がい者、子ども、生活困窮、こういった事業というのはそれぞれが行われているのが従来なんですが、これを属性とかに関わらずにできるというのがこの重層的支援体制整備事業なんですが、こういったものが震災の影響というのを抱えている方についても取りこぼしがなく対応できる制度だと考えています。(県としては)そういうのを円滑に進められるよう支援するというのを行っている」
自ら課題解決に取り組む自助。行政などの力による支援、公助に加えてこのところ『共助』という言葉が注目されています。これは地域やコミュニティといった身近な人たちが協力して助け合うことを言います。復興庁の廃止が決まっている今、『共助』を実現するためには、地域のリーダーシップ、そして地域を支える社会福祉協議会のような組織の大切さが見直されています。
最終更新日:2024年9月24日 18:55