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引退会見一問一答(2)  中日・福留孝介(45)日米通算24年「本当に楽しかった」

2022年9月9日 6:01
引退会見一問一答(2)  中日・福留孝介(45)日米通算24年「本当に楽しかった」
中日の福留孝介選手
プロ野球・中日の福留孝介選手(45)が8日、引退会見を行いました。

日米通算2450安打をマークし、リーグ優勝3回&WBC連覇に貢献したレジェンドが、24年に及んだ現役生活を振り返りました。

▽以下、福留選手の引退会見一問一答

――現役日米通算24年間、どんな24年間でしたか?

「本当にこれだけ好きな野球をやらせて頂いて、自分の好きなように生きてきて、本当に楽しかったです」

――いろいろな段階があると思いますが、まずはドラゴンズに入団してから2007年まではいかがですか?

「優勝などいろいろなことを経験させてもらって、僕が24年という長い間できたのもドラゴンズからのスタートが始まりなので、何といわれても楽しかったという思い出が強いですね」

――1度はドラフトを蹴って、逆指名でドラゴンズに入団しましたが、プロに入ってからの生活はいかがでしたか?

「昔すぎて覚えてないです」

――もちろん簡単なものではなかったと思いますが

「そうですね。そんな簡単に何でもできる世界じゃないということは分かっていたつもりですし、その通り簡単ではなかったですけど、自分で選んだ道なんで。それなりに楽しかったです」

――首位打者や優勝をつかんだ転機になったシーズンは?

「やっぱり内野手から外野手に転向して、その時のシーズンというのは自分の中での転機と言えば転機だと思います」

――2002年?

「そうですかね」

――3冠王を狙う松井秀喜さんとの首位打者争いを制したことがありました、あのあたりの終盤はいかがでしたか?

「緊張はしながらやっていたと思いますけど、そういうことってなかなかできないので、そういう意味では緊張しながら、若かったというのもありますし、周りのことは気にしなかったですね」

――2006年の優勝を決めた巨人戦の決勝タイムリーですが、あのシーンはいかがですか

「なかなかそういう場面でまわってくるというのも自分の人生の中で少ないでしょうし、そういう意味であそこで決められたのはうれしかったし、そこで優勝が決まったというのもあったので、チームが優勝が決まったというのもあったので、チームが勝ったこと、自分が打ったというより勝ったことがやっぱりうれしかったという思いが強いですね」

――2006年にはWBCにも出場。韓国戦で代打アーチはいかがでしたか?

「シーズン前に色々と苦労していて、調子の上がらない中でいって、周りの方々にたくさん迷惑をかけて、それでも代打で使ってもらって、まあそういう運じゃないですけど、そういうものには恵まれていたのかなと思います」

――日本中を歓喜に包みましたが、世界一を勝ち取ったシーンはどうでしたか?

「日本にいる方々は盛り上がっているのかもしれないですが、僕らは米国で分からなかった。ただ帰って来て、名古屋駅で新幹線を降りた時の人の多さにビックリしたのは覚えています。あれは人が多かったですね」

――2008年からMLBへ挑戦。その時の名古屋のファンに対する思いは?

「自分自身、一回しかない野球人生なんで、思いきってチャレンジさせて頂きましたけど、球団の方にも温かく見送って頂いて、向こうで自分のやりたいことをやるというチャンスを頂いた。そこは本当に感謝しています」

――3球団で5年間を過ごした経験を振り返っていかがですか?

「良いことも悪いこともあって、でも、また違った野球というものを自分で体感できたというのでは、良かったんじゃないかと思います」

――日本とアメリカで違った部分はどこですか?

「やっぱり日本で言えば1、2軍の差とか、向こうで言えばメジャー、マイナーの差。そういうことを言葉では聞くけど、分からない部分が大きいですし、これだけメジャー、マイナーの格差があるというのを考えたら、日本の1、2軍は恵まれているなと感じますし。色んな選手、教え方というのがたくさんあったので、それもまた一つ自分の勉強になったなと思います」

――アメリカでの生活で苦労したのは

「苦労ですか?間違いなく言葉でしょうね。全くしゃべれないのでどうにもならなかったですけど、それはそれで、何でも楽しむのが一番です」

――アメリカから戻ってきて阪神でプレーしましたが、そのときはいかがでしたか?

「自分でもう一回、日本でやりたいという中でタイガースを選んでやらせて頂いて、8年間タイガースで本当に、日本の中でドラゴンズ以外の野球を知らなかったので、違うチームの野球、環境だとかを経験させて頂いたのは本当に阪神タイガースの方々にもすごく感謝していますし、何度も言いますけど、これも僕自身がやってきた野球の中での良い勉強をたくさんさせて頂いたと思います」

――最後、古巣ドラゴンズに戻ってからの2年間はいかがでしたか?

「やっぱりまだ自分があきらめきれなくて野球をやりたい中で、ドラゴンズが手を差し伸べて下さって、去年、今年と2年間ですけど、またドラゴンズのユニホームを着て野球をやらせていただいて、最後このユニホームで野球人生を終えることができて、そこは感謝の一言です」