“おじいちゃんの為に”東洋・清野の思い
2日、3日に行われた第98回箱根駅伝で総合4位に輝いた東洋大学。
最終10区で青山学院大学の3年生の中倉啓敦選手に次ぐ区間2位の走りを見せたのが、東洋大学の3年生・清野太雅選手。今大会、特別な思いを胸に走っていました。
清野選手の左腕には東洋大学のスローガンである「その1秒をけずり出せ」の文字が書かれ、右腕には「おじいちゃんの為に」と書かれていました。
実は箱根駅伝往路の前日1日に祖父・定夫さんが病のため亡くなりました。
清野選手は「走っている時も忘れないように、おじいちゃんに届くように」と右腕に書いた「おじいちゃんの為に」の意味を明かしました。
元々サッカー少年だった清野選手。それでも「子供のころから箱根駅伝がテレビに映っていておじいちゃんも箱根駅伝が好きだったので、『太雅も箱根駅伝走れるぞ』と言われていました。(おじいちゃんが)駅伝好きというのもあって、箱根駅伝は夢としていた舞台でした」と定夫さんが箱根駅伝を目指すきっかけだったといいます。
高校から本格的に陸上競技に取り組んだ清野選手は卒業後、箱根駅伝4度の総合優勝を誇る強豪・東洋大学に入学します。
清野選手の人柄について東洋大学の酒井俊幸監督は「やることは非常に正確な子なので信頼度はすごく高いです」と評価していました。
清野選手は1年時、箱根駅伝の出場はありませんでしたが、2年生となった第97回大会は最終10区を走り区間9位の成績でした。
「(祖父・定夫さんは)喜んでくれましたし、テレビで応援してくれていました。走ってくれただけで本当にうれしかったと言ってもらえました。来年も10区を走って頑張れと言われていました」
第98回大会も孫の走りを楽しみにしていたという定夫さん。しかし、1日に病のため亡くなりました。
「なんて言うんですかね。かなりショックなところが大きかった」と悲しさをにじませた清野選手。
そんな清野選手の様子の変化に酒井監督も気づいていました。「様子がおかしいなと、年が明けたにも関わらずなんでこんな暗いのかなと、『実は…』ということで本人から涙ながらに(祖父が亡くなったと)話がありました。本人の中で『厳しい』というのがあれば、起用できないというふうに思っていました」と心境を打ち明けました。
それでも定夫さんのために清野選手は走ることを決意します。「走ればおじいちゃんも喜んでるだろうと、走ることがおじいちゃんの為にもなると思ったので、そこは気持ちを切り替えて、『走れます』と監督に伝えました」
酒井監督も「彼の決意が確認できたので迷うことなく起用していこうと思いました」と清野選手の起用を決断しました。
そして迎えた箱根駅伝。東洋大学は往路9位と出遅れます。
1位の青山学院大学と6分28秒差で復路をスタートした東洋大学。10区にエントリーされた清野選手は7位で襷(たすき)を受け取ります。
定夫さんの思いを胸に走り出した清野選手に酒井監督は「いい報告ができるように 耐えていこう耐えていこう」と声をかけます。
「おじいちゃんのことをしっかり思って、最初から最後まで背中を押してもらえたのかなと思っています。後半になってもペースも落とさず、力をもらえた」と定夫さんの存在が走る時に支えてくれたという清野選手。
すると清野選手は7位でもらった襷(たすき)を4位まで押し上げ、3位駒澤大学に2秒差までに迫る区間2位の走りを見せ、東洋大学の総合4位に貢献しました。
清野選手の走りを見守った酒井監督は「人の為に、家族の為に頑張った気力というものは彼の後ろ姿からも感じられました。よく頑張ってくれました」と清野選手をたたえました。
特別な思いを胸にレースを終えた清野選手は「去年よりいい結果で走れたのでよく頑張ったなと言ってくれると思う。常におじいちゃんは見てくれていると思うので、おじいちゃんにもいい報告ができるようにこれからも練習していきたいと思います」と話しました。
写真:アフロ