黒田博樹と谷繁元信が殿堂入り 黒田は日米通算203勝 谷繁は日本記録の3021試合出場
左から殿堂入りした黒田博樹さん、谷繁元信さん(写真:時事)
プロ野球・元中日の谷繁元信さんと元広島の黒田博樹さんが18日、野球殿堂博物館で行われた殿堂入り通知式に出席しました。
谷繁さんは1988年、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現DeNA)に入団すると、投手の持ち味を引き出すリードで、98年にチームの38年ぶりの日本一に貢献。
そして02年に中日へ移籍し、4度のリーグ優勝と07年には中日を53年ぶりの日本一へ導きました。また14年からは中日の選手兼任監督、16年には監督を務め、現役時代の通算3021試合の出場数は日本記録となっています。
黒田さんは96年、ドラフト2位で広島に入団。05年には最多勝、06年には最優秀防御率に輝き、08年からはMLBのドジャース、12年からはヤンキースで活躍しました。
15年には古巣の広島に戻ると、16年にリーグ優勝を果たして引退。日米通算203勝を挙げた黒田さんの背番号15は、広島史上3人目の永久欠番になっています。
谷繁さんは野球殿堂入りの資格を得てから4年目、黒田さんは3年目の選出となりました。
▽以下、2人のスピーチ全文
<黒田博樹さん>
「本日は野球殿堂入りという大変名誉な選出をしていただきまして誠にありがとうございました。まずはじめに、この度たくさんの票を入れていただきましたメディアの皆様、本当にありがとうございました。深く感謝いたします。私は大学を卒業後、広島カープに入団し、入団後数年間はなかなか結果を残すことができなかったのですが、その後、私の中で非常に大きな転機となったのが、本日ゲストスピーチにお越しいただきました、山本浩二さんが二度目の監督に就任されたことでした。山本浩二さんには先発投手、そしてエースとしての心構え、責任、そういったもの、たくさんのものをマウンドで学ばせていただきました。そのおかげでそのシーズン、自身初の二桁勝利を挙げることができました。その教えを持って、私の20年間の現役生活最後のマウンドまで、私の原動力になっていました。そして最後に、私は日米含め、20年間の現役で生活の中で、約1万回以上打者と対戦して参りました。本日こちらにいらっしゃる谷繁さんもその1人です。敵味方含め、たくさんの素晴らしいプレーヤーと切磋琢磨(せっさたくま)して参りました。歴代の監督、コーチ、スタッフ、そして私の幼少期から現在に至るまで、たくさんの方に野球というスポーツに携わっていただいて、そして最後はたくさんのファンの方たちに声援を送っていただきました。その全ての方々にこの場をお借りしまして、お礼を申し上げたいと思います。本日は本当にありがとうございました」
<谷繁元信さん>
「このたび野球殿堂プレーヤー表彰に選出していただき、野球殿堂入りすることができ大変光栄に思うところと、まさか自分がという思いが自分の中を駆け巡っているところですが、この殿堂入りに際して、感謝をしなくてはいけないとすごく感じています。まず最初に両親、そして家族、そして僕はこの野球というスポーツに出会って、小学校、中学、高校、そしてプロに入ってから指導していただいた監督、スタッフの方、後は僕に今までの人生で携わっていただいた皆さんに、そして最後はプロに行って27年間、耐え抜いたこの体に感謝したいと思います。まだまだ微力ですが、野球界にこれからも貢献していきたいと思います。本日はどうもありがとうございました」
谷繁さんは1988年、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現DeNA)に入団すると、投手の持ち味を引き出すリードで、98年にチームの38年ぶりの日本一に貢献。
そして02年に中日へ移籍し、4度のリーグ優勝と07年には中日を53年ぶりの日本一へ導きました。また14年からは中日の選手兼任監督、16年には監督を務め、現役時代の通算3021試合の出場数は日本記録となっています。
黒田さんは96年、ドラフト2位で広島に入団。05年には最多勝、06年には最優秀防御率に輝き、08年からはMLBのドジャース、12年からはヤンキースで活躍しました。
15年には古巣の広島に戻ると、16年にリーグ優勝を果たして引退。日米通算203勝を挙げた黒田さんの背番号15は、広島史上3人目の永久欠番になっています。
谷繁さんは野球殿堂入りの資格を得てから4年目、黒田さんは3年目の選出となりました。
▽以下、2人のスピーチ全文
<黒田博樹さん>
「本日は野球殿堂入りという大変名誉な選出をしていただきまして誠にありがとうございました。まずはじめに、この度たくさんの票を入れていただきましたメディアの皆様、本当にありがとうございました。深く感謝いたします。私は大学を卒業後、広島カープに入団し、入団後数年間はなかなか結果を残すことができなかったのですが、その後、私の中で非常に大きな転機となったのが、本日ゲストスピーチにお越しいただきました、山本浩二さんが二度目の監督に就任されたことでした。山本浩二さんには先発投手、そしてエースとしての心構え、責任、そういったもの、たくさんのものをマウンドで学ばせていただきました。そのおかげでそのシーズン、自身初の二桁勝利を挙げることができました。その教えを持って、私の20年間の現役生活最後のマウンドまで、私の原動力になっていました。そして最後に、私は日米含め、20年間の現役で生活の中で、約1万回以上打者と対戦して参りました。本日こちらにいらっしゃる谷繁さんもその1人です。敵味方含め、たくさんの素晴らしいプレーヤーと切磋琢磨(せっさたくま)して参りました。歴代の監督、コーチ、スタッフ、そして私の幼少期から現在に至るまで、たくさんの方に野球というスポーツに携わっていただいて、そして最後はたくさんのファンの方たちに声援を送っていただきました。その全ての方々にこの場をお借りしまして、お礼を申し上げたいと思います。本日は本当にありがとうございました」
<谷繁元信さん>
「このたび野球殿堂プレーヤー表彰に選出していただき、野球殿堂入りすることができ大変光栄に思うところと、まさか自分がという思いが自分の中を駆け巡っているところですが、この殿堂入りに際して、感謝をしなくてはいけないとすごく感じています。まず最初に両親、そして家族、そして僕はこの野球というスポーツに出会って、小学校、中学、高校、そしてプロに入ってから指導していただいた監督、スタッフの方、後は僕に今までの人生で携わっていただいた皆さんに、そして最後はプロに行って27年間、耐え抜いたこの体に感謝したいと思います。まだまだ微力ですが、野球界にこれからも貢献していきたいと思います。本日はどうもありがとうございました」