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競技転向してパリ五輪の日本代表に…立ち寄った自転車店で運命変わる

2024年8月9日 15:45
競技転向してパリ五輪の日本代表に…立ち寄った自転車店で運命変わる
写真:松尾/アフロスポーツ、YUTAKA/アフロスポーツ、森田直樹/アフロスポーツ

パリ五輪の日本代表の中には、もともと異なる競技に取り組みながら挫折し、一度は五輪を諦めた選手たちもいます。あることをきっかけに異なる競技を始めたら開花し、五輪の代表に…。その運命の場所は偶然立ち寄った自転車店でした。

パリ五輪・自転車競技に出場した太田海也選手。実は6年前にはボート競技「ローイング」の選手でした。日本大学に所属して日本代表の強化指定選手に選ばれるほどの実力の持ち主でした。

しかし、大学入学から7か月後、太田選手は誰にも告げず、大学の寮を飛び出し、そのまま地元・岡山に帰郷したのです。かつて、日本テレビのインタビューに、こう答えていました。

「自分の実力では厳しいんじゃないかなって悟っちゃったというか、逃げ出したって」

行かせてもらった大学も黙って中退し、親にも合わせる顔がないと、実家に帰ることができなかった太田選手。せめて、経済的にも自立しようとアルバイトを探していた時、偶然、自転車ショップに立ち寄ったことが運命を変えました。

■自転車店のオーナーに声をかけられ…

「車に乗るお金もないし、ためたお金で自転車を買いに行こうと思って。ボートの時に体を鍛えていたので、県内だったら(自転車で)どこでも行けると思って」(太田選手)

しかし、店に並ぶのは高額なものばかり。その様子を見た自転車店のオーナーが「店でアルバイトすればいい」と声をかけてくれたのです。

自転車店で働いているうちに、店の仲間と自転車の大会に参加する機会が訪れました。初出場の太田選手でしたが、なんと優勝を勝ち取ります。この時、太田選手が思い出したのが、ボート競技で経験した「勝った時の喜び」でした。

人生をかけて自転車競技を突き詰めていきたい。プロになって自転車で食べていきたい――。

そう決心した太田選手は2021年、日本競輪選手養成所に入学すると、直後から、そのポテンシャルを発揮。原則10か月間の訓練が義務付けられている中、圧倒的な成績を残したことで、特別に7か月で卒業を果たし、プロになると同時にナショナルチーム入り。国際大会では世界ランキング1位の選手を抑えるなどして、競技開始からわずか2年半でパリ五輪の金メダル候補に躍り出るまでになりました。

「ボートっていう競技に出会って、自分と向き合って日々成長していくのが、自分の中ではすごい楽しかった。真剣に楽しんだからこそ、こっちに移行してきて、楽しいを追い求めた結果、ここにいるのかな」(太田選手)

■競泳で伸び悩み…「一番」を目指して自転車に転向

同じくパリ五輪の自転車競技に出場した梶原悠未選手も、実は高校3年生まで競泳の選手として活躍していました。

全国大会で表彰台に上がるほどの実力がありましたが、どうしても一番にはなることができなかったといいます。

負けることが大嫌いで「一番になりたい」と思った梶原選手が、高校入学と同時に入部したのは、全く未経験の自転車部。

その理由について、梶原選手は自身のYouTubeで明かしていました。

「高校入学後、競泳と、もう一つやる競技を考え始めました。母に相談したときに、自転車競技どうかな、陸上部と迷ってるんだけどって聞いたら、体一つで戦う競技(競泳や陸上)よりも、自転車っていう新しい機材を使うスポーツに挑戦してみたら、私の可能性が一層広がるんじゃない?とアドバイスをもらって、母に背中を押してもらって」

全くの初心者だった梶原選手ですが、高校入学からわずか2か月後に行われた全国インターハイに出場を果たします。初のインターハイでは落車し、涙をのみましたが、悔しさをバネに努力を続け、ジュニアアジア選手権では5種目で優勝。ジュニア世界選手権大会でも2年連続で銀メダルを獲得するなど、自転車選手として次第に、その名を世界にとどろかせていきました。

梶原選手の名前が日本でも広く知れ渡ったのは、3年前の東京五輪。日本の女子選手としては初めて銀メダルを獲得し、喜びを語っていました。

「とてもうれしい気持ちで、いっぱいです。夢の舞台でメダリストになることができて、とても感慨深いです」

パリ五輪では、すでに自転車競技・チームパシュートに出場し、日本新記録を叩き出しましたが、惜しくも予選敗退。11日に行われる自転車競技・オムニアムにも出場予定で、メダル獲得が有力視されています。

■料理研究部に入部予定も…恩師の言葉を信じウエイトリフティング部へ

日本の女子ウエイトリフティング界をけん引した五輪メダリスト・三宅宏美さんの後継者として注目を浴びる鈴木梨羅選手。鈴木選手の出身地・千葉県白井市の公式ホームページには、鈴木選手が五輪代表に選ばれるまでのエピソードが、本人の言葉で紹介されています。

幼少期から水泳や剣道など、いくつものスポーツを経験した鈴木選手。しかし、なかなか結果が出ず、高校入学後は「料理研究部」への入部を考えていたといいます。ところが、進学した高校に「ウエイトリフティング部」があったことで、鈴木選手のアスリートとしての未来に一筋の光が差しました。入部の経緯については…。

「高校入学までは未知の競技でしたが、階級制であること、高校で始める選手が多いと聞き、小柄な自分でも戦えるのではないかと感じたからです」(鈴木選手)

身長146センチと小柄の鈴木選手は、体格がものをいう競技では悔しい思いをしてきましたが、階級制のウエイトリフティングであれば「戦える」と感じたといいます。何より、恩師から「鈴木は強くなれる、全国優勝を目指せる」と言われたのがうれしく、自信を持つことができたきっかけだったと振り返ります。

2年後の全国高校選抜大会では見事、初優勝。国体出場をきっかけに、オリンピック選手と一緒に練習する機会に恵まれ、五輪を意識するようになったといいます。

ウエイトリフティングは「やっと出会えた、自分が輝ける場所」と表現する鈴木選手。パリ大会では惜しくもメダル獲得とはなりませんでしたが、次回のロス五輪でのメダルが期待されます。