【福留孝介】「ファンの皆様の声援に包まれて、ユニホームを脱げる。僕は本当に幸せ者です」 24年の現役生活に別れ
3月25日開幕の試合での福留孝介選手
45歳の福留孝介選手が試合後に引退セレモニーでファンに別れを告げました。
セレモニーではPL学園の中村順司元監督や藤川球児さん、同郷・鹿児島の川﨑宗則選手からのねぎらいの言葉がスクリーンに映し出されました。
また、立浪和義監督から花束をもらい、抱き寄せられたときには、再び目に涙が。
最後にマウンドで背番号通り、9回宙に舞うと笑顔を見せた福留選手は、場内を一周し、メッセージボードを手にしたファンに別れを告げました。
▽福留孝介選手のあいさつ
小学生の時に串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームにひかれ、そしてその中にいた立浪監督にあこがれ、プロ野球選手を目指してきました。
1998年、星野(仙一)監督のはからいでファン感謝祭に呼んでいただき、バックスクリーンの扉のところから1人で出てきたときの恥ずかしさ、今でも鮮明に覚えています。
その日から僕のプロ野球人生がスタートとしました。
24年間素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者のもと、プレーさせていただき、その中に佐々木恭介コーチと出会い、「打撃を一から作り直そう」。そう言って、毎日バットを振り続け、朝起きるときには自分の手がバットの形をして固まったまま、そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って、初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていけると自信を持てたのを思い出します。
その後、リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。しかし、日本一になったときに、自分自身、故障でその場所にいられなかった、その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。
その後、海外、阪神でプレーをさせていただきました。阪神では8年間、日本一のグラウンドで熱狂的なファンの皆さんの声援の中でプレーさせていただき、そして、最後の甲子園球場の時には、ライトスタンドから大きな「福留コール」いただき、僕の一生の宝物です、本当にありがとうございました。
2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう一度このユニホームを着て、プレーできたこと。そして自分の野球人生がスタートしたこの場所でファンの皆様の声援に包まれて、ユニホームを脱げる。
僕は本当に幸せ者です。
最後に24年間戦い続けることのできるこの体を産んで育ててくれた両親、本当にありがとう。そして、一番近くで応援し、支えてくれた(家族の名前)、本当にありがとう。
僕はきょうでユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンのみなさんこれからもドラゴンズへのご声援、お願いします。
24年間、温かいご声援、本当に、本当に、ありがとうございました。
セレモニーではPL学園の中村順司元監督や藤川球児さん、同郷・鹿児島の川﨑宗則選手からのねぎらいの言葉がスクリーンに映し出されました。
また、立浪和義監督から花束をもらい、抱き寄せられたときには、再び目に涙が。
最後にマウンドで背番号通り、9回宙に舞うと笑顔を見せた福留選手は、場内を一周し、メッセージボードを手にしたファンに別れを告げました。
▽福留孝介選手のあいさつ
小学生の時に串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームにひかれ、そしてその中にいた立浪監督にあこがれ、プロ野球選手を目指してきました。
1998年、星野(仙一)監督のはからいでファン感謝祭に呼んでいただき、バックスクリーンの扉のところから1人で出てきたときの恥ずかしさ、今でも鮮明に覚えています。
その日から僕のプロ野球人生がスタートとしました。
24年間素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者のもと、プレーさせていただき、その中に佐々木恭介コーチと出会い、「打撃を一から作り直そう」。そう言って、毎日バットを振り続け、朝起きるときには自分の手がバットの形をして固まったまま、そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って、初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていけると自信を持てたのを思い出します。
その後、リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。しかし、日本一になったときに、自分自身、故障でその場所にいられなかった、その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。
その後、海外、阪神でプレーをさせていただきました。阪神では8年間、日本一のグラウンドで熱狂的なファンの皆さんの声援の中でプレーさせていただき、そして、最後の甲子園球場の時には、ライトスタンドから大きな「福留コール」いただき、僕の一生の宝物です、本当にありがとうございました。
2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう一度このユニホームを着て、プレーできたこと。そして自分の野球人生がスタートしたこの場所でファンの皆様の声援に包まれて、ユニホームを脱げる。
僕は本当に幸せ者です。
最後に24年間戦い続けることのできるこの体を産んで育ててくれた両親、本当にありがとう。そして、一番近くで応援し、支えてくれた(家族の名前)、本当にありがとう。
僕はきょうでユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンのみなさんこれからもドラゴンズへのご声援、お願いします。
24年間、温かいご声援、本当に、本当に、ありがとうございました。