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マラソン一山 すれ違いの末勝ち取った五輪

2021年5月1日 0:25
マラソン一山 すれ違いの末勝ち取った五輪

日本テレビ「news zero」より“Episode0”~すれ違いの末に勝ち取った五輪~

去年3月、東京五輪選考のラストレース・名古屋ウィメンズマラソンで国内最速タイム2時間20分29秒をマーク。オリンピック代表内定を勝ち取った一山麻緒選手。喜びを分かち合ったのは永山忠幸監督でした。

永山監督
「(私の)すごくやさしい練習メニューを“鬼鬼メニュー”と彼女は名付けていますけど」

一山選手
「(鬼鬼メニューを)絶対に外さないでやってくれた。それが今回の結果につながった」

強い信頼関係で結ばれている2人ですが…。

一山選手
「すれ違いが1年くらいありました。別の道を選ぶか環境を変えるか…」

今月、熊本・阿蘇市で行われた合宿。そこにはロードで走り込む一山選手の姿が。1キロを3分強で走り終えると、1分の休憩。そしてまた1キロ、これを15本連続で行います。練習終わりの一山選手に“鬼鬼メニュー”について話を聞くと。

一山選手
「今日は鬼が100だったら、80くらい。まだ来ます、怖いのが。明後日ちょっと怖いかな(笑い)」

一山選手が陸上を始めたのは小学5年生の時でした。

一山選手
「運動会でどうしても勝てない女の子がいたんですよ、バスケ部で。その子に勝ちたいなと思って、陸上部に入りました」

負けず嫌いから始まった陸上人生。高校までは県大会でも勝てない無名の選手でした。高校卒業後は陸上部のある「ワコール」に就職。

一山選手
「おしゃれするのが大好きで、その企業に入りながら走れるのはすごくいいなと思った。一番女性らしい会社だと思って、憧れてワコールを選びました」

そこで出会ったのが、永山忠幸監督。

一山選手
「出会うまでは写真だけ見て、すごく何か怖そうみたいな。写真写りが悪かったんです。実際会ってしゃべると全然そんなことなくて。練習中はもう鬼ですよ、吠えるし。でも、監督のメニューをこなすことができたら本当に自信がつく練習ばかりでした」

ワコールで21年間監督を務める永山監督。4大会連続でオリンピックに出場した福士加代子選手を育て上げた名監督です。永山監督が彼女に課した練習メニューは福士選手がこなしたハードなものでした。

永山監督
「福士くんと一緒に作り上げた私の練習メニューを(一山選手が)取りこぼしなく確実にできた。この子は強くなるんじゃないかなという感覚はありました」

そして永山監督は、一山選手にある言葉をかけます。

永山監督
「次に五輪選手がうちのチームで期待できるのは、一山が一番近いなと。『次はお前でいくからな』と言って、彼女も『よろしくお願いします』と」

一山選手
「うれしかったですね。そう言われた時は。私も福士さんの次に五輪選手になりたいなという思いは持っていて、同じ気持ちで指導してくれるんだなと思いました」

永山監督が福士選手と作り上げた練習メニューで、一山選手はめきめきと成長。入社からわずか半年後、初出場の全日本実業団駅伝でいきなり区間新記録を樹立します。しかし、順調に見えた師弟関係にいつしか亀裂が…。

一山選手
「3年目になろうとしている時に初めてケガしてしまって、膝を。2か月、走れなくて。お互い焦ってきたりしてコミュニケーションがうまく取れなくて。監督に思っていることが全然言えなくなったり、すれ違いが1年ぐらいありました」

思うように結果が出ず、監督の練習メニューへ意見があっても、口にすることができませんでした。

永山監督
「彼女の言いたいことが私に言葉として伝わってきてないし、私が言ったことが、彼女がうまく理解してくれていない。ギクシャクした関係が続いたのかな」

2019年9月。「すれ違い」が続いたまま挑むことになった東京五輪代表選考レース、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)。結果は6位、この大会で代表の座をつかめませんでした。

一山選手
「MGCが終わったら別の道を選ぶか、環境を変えようと思っていた。精神的に苦しい時期だった」

解決法が見出せない中、動いたのは永山監督でした。

永山監督
「育った環境の違いというのがありますから、彼女のお母さんに幼少時代からワコールに来るまでの彼女との接し方を教わりました」

2人の間に入ったのが一山選手の母・優子さん。一山選手には「言いたいことは間違えても怒られてもどんどん監督に言いなさい」、永山監督には「まず全部聞いてあげて、監督の考えを言ってください」と伝えたそうです。

永山監督には福士選手を育てた指導法への自負があり、それが一山選手の成長にも最適だと信じていました。

永山監督
「福士と一山は違うということをその時、痛感しました」

まずは一山選手の意見に耳を傾け、受け止めることから始めた永山監督。すると、2人の関係に変化が現れます。

一山選手
「言ってもどうせダメだろうと思って言わないことが結構多かった。言うようになってからは意外と『いいよ』って言ってくれるんだ、と。同じ目標を達成したいなという気持ちで練習に取り組めるようになりました」

永山監督の練習メニューは、一山選手の意見も取り入れ、「鬼鬼メニュー」として進化。そして、去年3月。東京五輪最後の選考レース、名古屋ウィメンズマラソン。30キロ付近でトップにたつと、レース終盤で永山監督からかけ声が。

永山監督
「麻緒、もう一回!もう1回!」

結果は2時間20分29秒、国内最速タイムで、みごと優勝。約束の五輪代表の座を勝ち取りました。

永山監督
「すごくうれしかった。いろんなことがありましたけど、ついてきてくれてよかったなと思いました」

一山選手
「本当に監督についてきてよかった。ありがとうございますという気持ちでした。夢みたい、まさか本当にいけると思ってなかったので。(監督は)お父さんという感じですね」

写真:森田直樹/アフロスポーツ