中澤が聞く 鈴木武蔵が受けた差別…前編
◇日本テレビ「news zero」
~美容室に行けない…鈴木武蔵 差別を語る~ 前編
サッカー日本代表でもプレーし、現在はベルギーリーグで活躍する鈴木武蔵選手(27)。今年2月、自叙伝で小学生の時にいじめを受けていたことを告白しました。
「『おーい、ハンバーグ』最初は誰のことを言っているのか、わからなかった。『お前、汚いから遊びたくないんだよ』」(鈴木武蔵「ムサシと武蔵」より)
鈴木武蔵選手(以下、鈴木)「自分たちの国は差別がないって思っている方もいるので、アスリート側が伝えることによって、差別があるということをみんなが認識できる」
今なお、日本の社会にある人種差別。この問題をみんなで考えるために、鈴木選手が自らの体験をサッカー解説者の中澤佑二さんに明かしました。
◇◇◇
鈴木「こんにちは」
中澤佑二さん(以下、中澤)「よろしくお願いします」
鈴木「お願いします」
中澤「覚えているか、わかんないですけど、2013年のホームで6万人の観客が入った試合の2点目を決められてトドメを刺された(笑)」
鈴木「はい(笑)」
2013年11月。中澤さんが所属していた横浜F・マリノスは勝てば優勝だったアルビレックス新潟との一戦。当時、新潟でプレーしていた鈴木選手のゴールで目の前にあったリーグ優勝を逃しました。
鈴木「逆に気持ち高ぶってたんですよ。6万人のアウェーで。『絶対今日勝ってやる』って」
中澤「だからウチは勝てなかった。悔しいね」
■美容室がトラウマ…子供のころに受けた差別
ジャマイカ人の父と日本人の母の間に生まれた鈴木選手。「武蔵」という名前はお母さんが大好きな剣豪・宮本武蔵からとりました。6歳までジャマイカで育ち、その後、母・弟と一緒に日本へやってきます。
しかし、小学校で待っていたのは――。
鈴木「自分の色が黒いということでいじめられて。心無い言葉、『ハンバーグ』だったり『コロッケ』だったり、時には『ウンコ』って言われたり。学校以外の日常でも買い物に行くときに指をさされて笑われたり」
中澤「そのことについて、お母さんに話をしましたか?」
鈴木「正直、お母さんに心配をかけたくないという思いがものすごいあって。学校でいじめられて下校中1人で泣いて帰ってきて、家の玄関の戸を開けるときには涙をぬぐって、ちょっと明るく『ただいま』と言って」
中澤「いじめを受けていることを知らせたくなかった?」
鈴木「そういうのがあるってわかっていたと思うんですよね。僕のことを『そのままの色でいいんだよ』というふうに言われた時もあって。でも基本的にはそういった会話をなるべくしないように。自分で何か背負い込んでる時が多かった気がします」
さらに幼い心を深く傷つける出来事がありました。
鈴木「小学校低学年のとき、日本に来て初めて美容室におじいちゃんと行って。その美容師の店員さんに『ちょっと天然パーマだから、値段かかるし難しいな』って言われて。すごいショックで、すごい悲しかった。そこから美容室がトラウマになって、もう高校まで家で切ってもらったりしてて。基本的に坊主にしていました」
中澤「どんな気持ちだったんですか?」
鈴木「なんか寂しいし、僕も日本人と同じ髪の毛がストレートで、色も白かったらいいのになというふうに思いました」
■心を救ったのはサッカー
中澤「武蔵選手の生きる力になったものは」
鈴木「やっぱりサッカーですかね。サッカーに出会ってない人生はちょっと考えられないです」
小学2年生の時に始めたサッカー。それが武蔵選手の心を救ってくれました。
鈴木「ゴールを決めた喜びだったり、その時に駆け寄ってくれる仲間の姿だったり。その快感は今でも覚えています。(サッカーで)認めてもらう中で、いじめていた人たちも僕を認めてくれて、そこで変わった感覚はありましたね」」
実力もメキメキと伸び、高校は群馬の強豪・桐生第一に進学。16歳以下の日本代表にも選ばれます。
中澤「初めて日本代表に選ばれた時の気持ちを聞かせてもらってもいいですか?」
鈴木「サッカーをやる前はいろいろ、(肌の)色のことで言われたり、僕の外見も日本人になれたらいいなとずっと思っていたし、見た目が日本人じゃないと日本人じゃないのかなって思ってたので。その中で代表に選ばれて日本代表としてユニホームを着てサッカーができるっていうのは、初めてそこで『僕もやっとこれで日本人として認めてもらえるのかな』そういった気持ちがすごくありました」
高校3年生、最後の高校サッカー選手権では、3試合4ゴールの大活躍で、初出場のチームをベスト8に導きました。喜びや悲しみを分かち合う仲間ができましたが、この時も髪型は坊主。幼い時に美容室で受けた、深い心の傷。その心を救ったのは、かけがえのないチームメートでした。
※後編に続きます。