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「布団についたら気絶していた」屋比久翔平

2021年8月4日 15:22

東京五輪のレスリング男子グレコローマンスタイル77kg級で銅メダルを獲得した屋比久翔平選手。この階級では日本選手初のメダル獲得から一夜明けた4日、会見に臨みました。

以下、主な会見の内容。

――メダルを獲得した感想

屋比久選手)
銅メダルを獲得して一夜明けて、沖縄県の方々であったり地元の中学の同級生やちびっ子のお父さんお母さんからもメッセージが届いて、すごく自分がメダルを取ったんだなというふうに実感しています。

――きのうは寝られましたか

屋比久選手)
ドーピング検査の方で長引いてしまって遅い時間になってしまったので、ご飯食べて布団についたらもう気絶していました。

――何か印象深いメッセージは

屋比久選手)
すごく昔から僕のことを見てくれてる方がメッセージくれる方が多くて、すごく僕のレスリングというものをずっと見てきて、『そのレスリングスタイルというものが貫けていたよ』というふうにメッセージ頂いてすごくうれしく思いました。

――どなたからですか

屋比久選手)
僕が中学のときから浦添工業高校で練習をさせてもらっていて、その高校の先輩である方だったり、もう常日頃から一緒に練習していた高校の同級生とかからもすごくメッセージいただきましたね。

――父・保さんからメッセージは

屋比久選手)
おやじからは試合後に少し電話したぐらいで、それ以降はたぶんおやじのところもすごく電話鳴り響いて忙しくて、あまりメッセージ取れていないです。

――どんなやりとりを

屋比久選手)
もうすごくシンプルで僕が電話してとりあえず『取ったよ』というふうに言ったら『そうか、お疲れさん』みたいな感じ。

――きのうの3位決定戦の相手選手は2018年に大差で負けていた。今回は逆転勝ちでしたが、この3年間で一番伸びた部分は

屋比久選手)
3年間で一番伸びた部分は自分のレスリングを貫き通すということは一番伸びたと思っていて、3年前対戦したときは、結構防戦一方的な感じで、自分のレスリングができずに終わってしまった試合が多かった。他の負けた試合もそうですけど、自分のレスリングを出せずに終わってしまう試合が多かったのですが、今回の試合に関しては少しでも多く自分のレスリングを出せたことが勝った試合につながったかなと思います。負けた試合でも自分のレスリングが後半は出てきていたので、もっと前半出てきていたら勝てたんじゃないかなと思いますし、その自分のレスリングを貫くという力がついたんじゃないかなと思います。

――メダルを誰にかけたい

屋比久選手)
それはもう沖縄に帰ったら、おやじにかけてあげたいですね。

――今後に向けて意気込み

屋比久選手)
銅メダルは取れたけど一番いい色ではないですし、競技をやるからには世界のてっぺんに上りたいです。それに向けてまた今回の五輪という舞台で課題も見えてきましたし、それを1年1年しっかり課題を克服して成長していけば、金メダルにグッと近づくのではないかなと思っているので、頑張っていきたい。

――この階級でメダルを取れた要因は

屋比久選手)
今回重量級でのメダルということで、なかなか世界選手権や五輪でメダルを取れてないという部分がありました。出るからには何としてでも自分がメダルを取るという気持ちでやっていたので、その気持ちは強かったです。外国人選手の力が強くて、最初自分のペースに持っていけなくて負けるパターンが多いので、そこをまず改善したというのと、僕の持ち味であるスタミナを生かすことによって、最終的に自分が何としてでも1点多く勝っている場面を作っていけば、絶対勝てるなっていう僕の中での考えがあったので、それが要因じゃないかなと思います。

――今大会のジャッジの傾向や会場の雰囲気に関して感じたことは

屋比久選手)
ジャッジの傾向については、そこまで違和感なくやってこられましたが、会場の雰囲気は結構すごくすごく自国開催ということで、ボランティアスタッフの方々にすごく応援してもらって、僕が通る度に『頑張ってください』とか声援をいただくのがすごく僕的にうれしくて、すごく励みになって力になりました。


写真:長田洋平/アフロスポーツ

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