レスリング文田健一郎「次は笑って」再始動
東京五輪レスリング・グレコローマン60キロ級の銀メダリスト、文田健一郎選手が1日、日本体育大学で練習を再開しました。
キューバのオルタサンチェス選手に決勝で敗れ、悔し涙を流した文田健一郎選手。東京五輪が終わってからしばらくは、レスリングから離れていました。
「悔しいだけの(銀)メダルだと思っていたんですけど、応援してくれたいろんな方にお会いすることができて、メダルも見てもらったりして、たくさん喜んでいただけたというか、『おめでとう』と言ってくださって、それは自分の中で大きかったですね。メダルに対する気持ちも変わってきました」
今後は変わらず日本体育大学を拠点に活動していくということです。
以下、主な一問一答
――11月1日を再始動に選んだ理由は?
3か月で、自分がしたかったこともある程度終わって、期間を決めて休むというのは決めていた。『いつからやるんだ』と監督に言われたときに11月くらいから、1日から、始めますって言ったら、「1が並んでいて縁起がいいな」って、言われて「そうだな」って。そんな理由で決めました。
――3か月の休み、どうだった?
緊急事態宣言があけてから、温泉に行ったり、ゆっくりはしました。
自分の中では充実した、いい期間だったなと。(レスリングから)離れることで分かることもありますし、いい意味で。試合の結果と向き合う時間だったので、必要だったなと。これからうまく切り替えられるだろうなって思います
――試合結果とどう向き合えた?
悔しい気持ちはすごく大きいですし、それは変わってないです。ですが、この3か月、応援してくれたいろんな方にお会いすることができて、メダルも見てもらったりして、たくさん喜んでいただけた。
『おめでとう』と言ってくださって、それは自分の中で大きかったです。(銀メダルは)悔しいだけのメダルだと思ってたんですけど、この結果は結果だし、これからはしっかりしていかないといけないな、と思えたので、メダルに対する気持ちも変わってきました。
――他のオリンピアンと話して印象に残ったことは?
同じ所属(ミキハウス)の選手とか、同期のアスリートと会う機会があって、一番印象に残っているのは空手の清水希容さん。
あの人も銀メダルで終わってしまった。でも、空手は次の(パリ五輪の)競技に入ってなくて。
自分は次の目標というか、切り替えられるというのは、ぜいたくなことなんだな、と。そういった人たちの分もしっかりやらないといけないなと思いました。
――東京五輪では得意の投げをさせてもらえなかったが、投げへのこだわりに変わりはない?
今まで投げを優先してやってきて、それが間違っているとは思わないです。相手の対策を自分の投げが超えられなかっただけなので、次は超えられるくらいの完成度で持って行きたいなと思います。
――パリ五輪へは?
今回、銀メダルでおそらく誰よりも金への気持ちは強く感じる順位だったので、次は金で笑ってマットを降りたいなと思います。