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50歳でパラ金・杉浦佳子 快挙の舞台裏

2021年11月16日 21:52
50歳でパラ金・杉浦佳子 快挙の舞台裏

東京パラリンピックに日本人最年長の50歳で出場した杉浦佳子選手。タイムトライアルとロードレースで2つの金メダルを獲得しました。

マラソンが趣味だった杉浦選手は、30代の時にトライアスロンに挑戦したいと自転車を始めました。

しかし2016年、レース中に転倒事故にあいました。事故当時、同じ大会に出場していた長男の悠真さんは、「ドクターヘリがきて、その時にドクターヘリに乗っている医者と(母は)会話はしていたので、大丈夫なのかなと思った」

しかし病院に運ばれた後、脳挫傷や、くも膜下出血がわかりそのまま集中治療室へ。命はとりとめましたが、右半身に麻痺が残りました。

「右半身に上手く指示がいかない。時々、意思に反して動いてしまったり、三半規管が壊れてしまっているからバランスがすごく難しくて真っ直ぐにうまく歩けない。最初は、ひらがな以外全く読めなかった。雑誌を見た時に全くわからないんですよ。なんて書いてあるか全然読めなくて。何これって感じでした」脳の機能に障害が出て、日常生活に支障をきたす「高次脳機能障害」と診断されました。事故直後、杉浦選手は自分の家族の顔さえ分からなかったと言います。

それでも1日3時間、必死のリハビリを続けた杉浦選手。「最初は赤ちゃん用の絵本。そこから小学校の計算ドリル、漢字ドリルにいって、だんだん難しくなっていきました。クロスワードとか。最後は“すごい疲れるこの問題”と思ったら、公務員試験問題でした。記憶が戻る瞬間は、すっごい気持ちいいんですよ。今、シナプスつながりましたみたいな感じ」

リハビリ中も自転車を漕いでいたという杉浦選手は、競技を再開。事故からおよそ1年、2017年には世界選手権で初優勝。そして50歳で東京パラリンピックに出場した杉浦選手。記憶が定着しにくいため、コースや戦術については事前に佐藤信哉コーチと念入りに確認しました。

佐藤コーチ「コースの動画を何回も見直して、具体的な走り方の指示、心配を取り除くような声掛けを行いました」杉浦選手「コーチに“ゴールの先には栄光が待っているんだよ”って言われていた。直線に入った瞬間、この栄光に向かって走ろうっていう『トレイントレイン』が流れていました」

そしてタイムトライアルで見事優勝。男女通じてパラリンピック史上最年長の50歳で金メダル獲得しました。そして、レース直後に杉浦選手が言った言葉が話題に。「最年少記録は2度と作れないけど、最年長記録って作れますよね」

この言葉に隠された杉浦選手の思いとは。「それまで私の中では年齢っていうのは、すごくネガティブワードだった。そういうイメージが、その時に年齢が次の目標になるんだって思った。自分としても、とてもありがたい言葉だったなって思いました」

そして3日後に行われたロードレース。後続を突き放し再び金メダルを獲得した杉浦選手。自身の言葉通り、また最年長記録を作りました。「こんなにいいことが続いちゃって本当にみんなありがとう。とりあえずこれで終わった。よかった」

また杉浦選手が誰よりも感謝したかったのは、事故の時、命を救ってくれたドクターでした。「一個覚えているのは、今日が山場ですっていう時間、ずっとドクターは目を離さずに(私の)側にいてくれた。私はそのドクターに『どうしてあのまま私を逝かせてくれなかったのか、なんで死なせてくれなかったんだ』と思った。パラリンピックが終わって、(先生に)ご挨拶にいって『先生、生かせてくれてありがとうございました』とやっと言えました。先生も喜んでくれました」