シダマツペア3位決定戦へ 恩師が語る 志田選手への思い
パリオリンピック・バドミントン女子ダブルスで、八郎潟町出身の志田千陽選手が松山奈未選手と組むシダマツペアが準決勝に臨み、惜しくも敗れました。
八郎潟町で声援を送る人の中には、小学生の時の志田選手を指導していた男性の姿もありました。
いまも教え子の活躍を見守り続けています。
人口約5000人の八郎潟町。
志田選手はここで生まれ育ち、バドミントンと出会いました。
小学生の時の志田選手を指導していた、甲谷甚一さんです。
地元のジュニアクラブの総監督を務めています。
「すばっしこくて、とにかく動きが速いっていうか止まっている段階から動くスピードが、初速がすごく速い子どもで、それを見て最初はびっくりしました。いままでにこんな子どもを見たことがないって」
3歳上の姉に続く形で志田選手は6歳からバドミントンを始めました。
その成長を見守り続けた甲谷さん。
“どこに行っても通用するように”と徹底的に基礎を教えたといいます。
クラブの先輩たちとも切磋琢磨しながらみるみる力をつけた志田選手は、次第に全国大会でも上位に名を連ねるようになりました。
「応援しているうちに、昔のことがよみがえってくるんですよね。あんなちっちゃい子どもがここまでいったんだとか、本当感慨深いものがありました」
選考レースが本格化する前は、帰省するたびにクラブの練習に参加して子どもたちと交流していた、志田選手。
甲谷さんは、オリンピックの大舞台でも志田選手がその実力を発揮できれば必ずメダルにつながると信じています。
「千陽が勝つことでバドミントンがもっと盛んになるし、昨日見ていても町民の皆さんが本当いっぱい来てくれて、応援しながら嬉しくって。あとそうなればもう頑張ってもらいたいしかないです、もう。自分のチカラを出し切って、出し切った結果、メダルの色が決まるんじゃないかなと思っています」