特集「キャッチ」九州プロレスが沖縄に初上陸「ウチナーも元気にするバイ!」“琉球ドラゴン”とリングに
九州プロレスが沖縄に初上陸
特集「キャッチ」です。「九州ば元気にするバイ!」を合言葉に活動するプロレス団体「九州プロレス」は、設立からまもなく16年になります。特別な思いで初上陸した沖縄、そのリングで思ってもみない歓迎を受けました。
■九州プロレス・筑前りょう太理事長
「九州プロレスを設立して15年。やっとこの沖縄にたどり着くことができました。」
■琉球ドラゴンプロレスリング・グルクンマスク 代表
「みなさんがこぞって沖縄に来ていただけるというのは非常にうれしいです。みなさん、うれしいですよね。」
設立から15年たち、たどり着いた念願のリングでした。
沖縄県糸満市の摩文仁の丘から望む美しい海、ここは第二次世界大戦において国内で唯一地上戦が繰り広げられた沖縄戦最後の激戦地です。
平和祈念公園にある“平和の礎”には、国の内外、軍・民間を問わず、沖縄戦で犠牲となったおよそ24万人の名前が刻まれています。
初となる沖縄での興行前日、沖縄入りしたNPO法人・九州プロレスの筑前りょう太理事長は、真っ先にこの地を訪ねました。
■筑前理事長
「本当に年月はかかりましたけれど、ようやくたどり着けた。改めて僕らは“九州ば元気にするバイ!”のための集団ですが、その大前提として平和がある。その平和が、誰のおかげでこの平和があるのかと。なぜ、あした沖縄で“元気にするバイ”と叫ぶことができるのか、知らしめられる。」
九州プロレスは2008年、筑前理事長が34歳で旗揚げしました。
■筑前理事長(当時34)
「博多でプロレスを通して街を元気にしたい。プロレスを通して九州を元気にしたい!」
「九州ば元気にするバイ!」設立当初からこのキャッチフレーズで、これまで九州各地で年間40回の興行やイベントを続けてきました。
会場に足を運べない高齢者や障害者には施設に出向き、慰問活動を続けました。
■高齢者
「立派な体もっとぉーしゃーね。」
ことし1月、その慰問活動はついに2000回を迎えました。
■ 野崎広大選手(26)
「ここに野崎が持っているもの、何だかわかりますか?」
■幼稚園児たち
「チャンピオンベルト!」
■ 野崎選手
「そう。」
この日、子どもたちと交流したのは、九州プロレスのチャンピオン、野崎広大選手(26)です。
綱引きを通して野崎選手が子どもたちに伝えるのは、一人一人の力を合わせれば大きな力になるということです。
■野崎選手
「1人ではダメだったことでも、みんなで力を合わせるとできることもあるということをみんな学んでください。例えば、1人だれか困っています。その時はみんなで力を合わせてその人を助けてあげたり、みんなで力を合わせるということを覚えてください。いいですか。」
九州プロレスにとって特別な思いがある沖縄県那覇市での初開催は、地元企業の協賛を募り入場は無料、会場にはほぼ満員の700人が集まりました。
沖縄ならではの熱気に包まれた会場では、地元のプロレス団体・「琉球ドラゴンプロレスリング」も参戦して、4試合が行われました。
リングに“笑いの花”を咲かせる、九州プロレスで唯一笑いが取れるレスラー、ばってん×ぶらぶら選手です。
■ばってん×ぶらぶら選手
「ようやく、それ(沖縄でのプロレス)が実現できた。感無量ですよね。みんなが笑顔になる。元気を届ける。そうしたプロレスをこれからもしていきたい。」
一つ一つの個性が見せるリングは、クライマックスに向かい大きなうねりへと変わります。
九州プロレスのチャンピオン・野崎広大と、琉球ドラゴンプロレスリングの看板レスラー・ウルトラソーキとの、ベルトを掛けたメインイベントです。
これまで15年、一つ一つを積み重ねてたどり着いたリングです。
■ 筑前理事長
「こういう、先が見えづらい時代だからこそ、僕らは希望があること、光があることを示していかないといけない立場だと思う。誰だって闘っている。どんな人だって今の現状と闘っている。その頑張った先には絶対に希望が、明るい未来が待っているからと。それを常に示していける僕らでありたい。」
それは、お互いが背負った、意地とプライドを賭けた闘いでした。
リング上でぶつかった2つの力は、やがて会場を1つにし、歓声と拍手という大きな力を生みます。
■筑前理事長
「自分たちがまずは希望を持ち、未来を追いかけていく。その姿をプロレスを通してプロレスラーとして、地域に見せていかなければなと。よりたくさんの人に、元気を届けられる僕らになれるように頑張っていく。」
筋書きのない“男たちの物語”、これからもプロレスのリングで元気を届けるため、防衛失敗でもなお、闘い続ける男たちの挑戦は続きます。
■九州プロレス・筑前りょう太理事長
「九州プロレスを設立して15年。やっとこの沖縄にたどり着くことができました。」
■琉球ドラゴンプロレスリング・グルクンマスク 代表
「みなさんがこぞって沖縄に来ていただけるというのは非常にうれしいです。みなさん、うれしいですよね。」
設立から15年たち、たどり着いた念願のリングでした。
沖縄県糸満市の摩文仁の丘から望む美しい海、ここは第二次世界大戦において国内で唯一地上戦が繰り広げられた沖縄戦最後の激戦地です。
平和祈念公園にある“平和の礎”には、国の内外、軍・民間を問わず、沖縄戦で犠牲となったおよそ24万人の名前が刻まれています。
初となる沖縄での興行前日、沖縄入りしたNPO法人・九州プロレスの筑前りょう太理事長は、真っ先にこの地を訪ねました。
■筑前理事長
「本当に年月はかかりましたけれど、ようやくたどり着けた。改めて僕らは“九州ば元気にするバイ!”のための集団ですが、その大前提として平和がある。その平和が、誰のおかげでこの平和があるのかと。なぜ、あした沖縄で“元気にするバイ”と叫ぶことができるのか、知らしめられる。」
九州プロレスは2008年、筑前理事長が34歳で旗揚げしました。
■筑前理事長(当時34)
「博多でプロレスを通して街を元気にしたい。プロレスを通して九州を元気にしたい!」
「九州ば元気にするバイ!」設立当初からこのキャッチフレーズで、これまで九州各地で年間40回の興行やイベントを続けてきました。
会場に足を運べない高齢者や障害者には施設に出向き、慰問活動を続けました。
■高齢者
「立派な体もっとぉーしゃーね。」
ことし1月、その慰問活動はついに2000回を迎えました。
■ 野崎広大選手(26)
「ここに野崎が持っているもの、何だかわかりますか?」
■幼稚園児たち
「チャンピオンベルト!」
■ 野崎選手
「そう。」
この日、子どもたちと交流したのは、九州プロレスのチャンピオン、野崎広大選手(26)です。
綱引きを通して野崎選手が子どもたちに伝えるのは、一人一人の力を合わせれば大きな力になるということです。
■野崎選手
「1人ではダメだったことでも、みんなで力を合わせるとできることもあるということをみんな学んでください。例えば、1人だれか困っています。その時はみんなで力を合わせてその人を助けてあげたり、みんなで力を合わせるということを覚えてください。いいですか。」
九州プロレスにとって特別な思いがある沖縄県那覇市での初開催は、地元企業の協賛を募り入場は無料、会場にはほぼ満員の700人が集まりました。
沖縄ならではの熱気に包まれた会場では、地元のプロレス団体・「琉球ドラゴンプロレスリング」も参戦して、4試合が行われました。
リングに“笑いの花”を咲かせる、九州プロレスで唯一笑いが取れるレスラー、ばってん×ぶらぶら選手です。
■ばってん×ぶらぶら選手
「ようやく、それ(沖縄でのプロレス)が実現できた。感無量ですよね。みんなが笑顔になる。元気を届ける。そうしたプロレスをこれからもしていきたい。」
一つ一つの個性が見せるリングは、クライマックスに向かい大きなうねりへと変わります。
九州プロレスのチャンピオン・野崎広大と、琉球ドラゴンプロレスリングの看板レスラー・ウルトラソーキとの、ベルトを掛けたメインイベントです。
これまで15年、一つ一つを積み重ねてたどり着いたリングです。
■ 筑前理事長
「こういう、先が見えづらい時代だからこそ、僕らは希望があること、光があることを示していかないといけない立場だと思う。誰だって闘っている。どんな人だって今の現状と闘っている。その頑張った先には絶対に希望が、明るい未来が待っているからと。それを常に示していける僕らでありたい。」
それは、お互いが背負った、意地とプライドを賭けた闘いでした。
リング上でぶつかった2つの力は、やがて会場を1つにし、歓声と拍手という大きな力を生みます。
■筑前理事長
「自分たちがまずは希望を持ち、未来を追いかけていく。その姿をプロレスを通してプロレスラーとして、地域に見せていかなければなと。よりたくさんの人に、元気を届けられる僕らになれるように頑張っていく。」
筋書きのない“男たちの物語”、これからもプロレスのリングで元気を届けるため、防衛失敗でもなお、闘い続ける男たちの挑戦は続きます。