【パラリンピック】東京で3つのメダル競泳・富田宇宙選手 挑戦続ける思いに迫る
パリパラリンピックを2か月後に控えた今年6月、取材班は東京の富田宇宙選手の自宅を訪れました。
Qパラリンピックに向けて今、調子はどうですか?
■富田宇宙選手
「かなり上がってきてますね。すごく集中力も高まってきたし、体も準備ができてきたし。成果が目に見えてきたかなというところが結構あります」
熊本市出身の富田選手。3歳で水泳を始めましたが、高校2年生の時、徐々に視力が低下する難病「網膜色素変性症」を発症しました。社会人になってパラ水泳を始め、パラリンピック初出場となった2021年の東京大会では400m自由形や100mバタフライなど3つの種目でメダルを獲得しました。
東京から3年 35歳になり変化も
夢の舞台から3年。富田選手は35歳を迎えました。
■富田宇宙選手
「年齢的な変化は結構、残念ながら感じますね。練習を追い込んで戻ってこないんですよね。疲労が取れないというか」
体の変化に向き合う中で、思わずこんな本音が漏れました。
Q練習場所に向かう時、どういうことを考える?
■富田宇宙選手
「行きたくないなあとか、帰りたいなって。行きたくないですよ。きついですもん。でも、やっぱりなんだかんだいって自分が変わっていたりとか、自分が何かに挑戦していったりとか、そういう事が好きなんで、 そこが楽しいっていうのは根本的にあるでしょうね」
年齢を重ねてもなお、富田選手を突き動かす向上心。パリの舞台に向けて、泳ぎのフォームを改善してきました。
■富田宇宙選手
「泳ぎが少し大きくなったんですよね。 ひとかきで進む距離がのびて、特にスプリント力、短い距離とかだとスピードが出るようになった。コンパクトに泳いでいたのが、ダイナミックな泳ぎに変わった」
速いテンポでコンパクトに泳ぐスタイルから、よりダイナミックな泳ぎへ。練習を重ね、東京大会の時より好タイムが出ている種目も。
一方で、アスリートの枠を超えた活動にも積極的に取り組んできました。講演では、誰もが暮らしやすい社会にするための考え方を発信しています。さらに、この3年間でサーフィンや競技ダンスにも挑戦。
幼い頃の夢だった宇宙遊泳を目指し、日本人の視覚障がい者として初の無重力飛行実験にも参加しました。
東京大会の直後に下した大きな決断
さまざまな夢に向かって挑戦を続ける富田選手は、東京大会の直後に大きな決断をしました。
■富田宇宙選手
「東京パラリンピック終わってから、すぐ練習拠点をスペインに移したんですよね。日本のパラスポーツ、パラ水泳に足りない何かがあるんじゃないかなと思って」
3年前の11月、パラ競泳の強豪・スペインへ。困った時にはすぐに手を差し伸べてくれたスペインの人たち。地元チームの一員として感じた、日本との違いとは?
■富田宇宙選手
「障害のある人たちも健常の人と関係なく、 すごくスポーツを楽しんでいる。そういう姿をたくさん目の当たりにしたり、 水泳に対する関わり方が日本とは全然違う。パラスポーツがより発展していく、日本のパラ競泳が強くなっていくために必要じゃないかと思えるような要素がたくさんあったので、そういうのを学びながらの3年間だったかなと思います」
異国の地での鍛錬と、泳ぎだけにとどまらない活動で常に自分をアップデートしてきた富田選手。2度目のパラリンピック、その目標は?
■富田宇宙選手
「金メダルにふさわしい自分でありたい。自分もこの人みたいに頑張ってみようかなって憧れてもらえるような人。金メダリストってきっとそういう人だと思う。僕の理想みたいなものに今よりも一歩でも近づいた自分で表彰台に立って、その姿を一人でも多くの人が一緒になって喜んでくれたら、すごく幸せな時間でしょうね」
パラアスリートとして、富田宇宙として、進化を示す舞台がまもなくやってきます。