「無敵の高校生レスラー」が証明したかったこと 金メダリスト文田健一郎 13年の軌跡 山梨県
■"秒殺"の連続 レスリングの申し子
YBS山梨放送が初めて取材したのは、2011年5月の県高校総合体育大会。入学からわずか1カ月ほどで迎えた高校のデビュー戦で、文田選手は団体・個人2種目で全勝。相手に1ポイントも与えない、衝撃的な強さを見せました。
文田選手(2011年・高校1年時)
「もっとレスリングを好きになって、強くなって上を目指したい」
■最強を追求した「親子鷹」
そんな文田選手を鍛え上げたのは、韮崎工業高レスリング部の監督でもあった父・敏郎さんでした。
敏郎さん(2011年取材)
「『本気でやりたい』と言ったときは本当にうれしかった。親としては」
高校2年生だった2012年のロンドン五輪では、OBの米満達弘さん(富士吉田市出身)のフリースタイル66キロ級金メダル獲得を現地観戦。夏季五輪で県勢個人初となる金メダルを目の当たりにし、五輪への決意を新たにしました。
レスリングが五輪競技から除外される可能性が浮上した際も気持ちを切らさず、トレーニングに励んできました。
2013年の高校3年時、フリースタイルで行われるインターハイを初優勝。一方、グレコローマンスタイルでは全国高校生選手権と国体(現国民スポーツ大会)をいずれも3連覇するなど国内同年代のグレコローマンでは無敵の3年間を過ごしました。
文田選手(2014年 高校卒業時)
「東京五輪で金メダルを取る、それしか考えていない。レスリングをするのは五輪で金メダルを取るため」
■父の指導から離れ 東京五輪へ
文田選手は親元を巣立ち、グレコローマンスタイル一本に絞って日体大へ。世界選手権は2017年と19年に優勝し、投げ技を武器に世界トップレスラーへと上り詰めました。
世界制覇を成し遂げ、母校を訪れた際の取材で、父・敏郎さんについてこう打ち明けています。
文田選手(2019年取材)
「大学に進学した後は一切口を出さない。高校までで父は僕に全部託した。父の教えるレスリングは間違ってなかったと東京五輪のマットで証明したい」
「父が教えてくれたレスリング」の強さと正しさを証明しようと臨んだ、2021年開催の東京五輪。しかし、決勝は相手に組んでもらえず、特長を一切出せないまま敗れ、涙の銀メダルに。敏郎さんは高校から中継映像を見守りました。
■五輪の借りは五輪でしか返せない
文田選手
「本当にたくさんの人に(支えてもらってマットに)立たせてもらった。恩返しがしたかった。五輪の借りは五輪でしか返せない。3年後のパリでの金メダルを目指して一からやっていきたい」
■予想を超えた成長「楽しかった」
その言葉通り―。文田選手は五輪の決勝のマットに帰ってきました。
観客席には新たな家族として妻・有美さんと長女・遥月ちゃんの姿が。そして、隣では敏郎さんが見守りました。
息子であり、愛弟子の雄姿を目に焼き付けた敏郎さんは、金メダル獲得の翌日、取材に対してこう話しました。
敏郎さん
「ほっとしている。本人の夢がかなった。やっとここまで来たという思い。予測を超えてどんどん結果を出した。父として楽しかった」
最強の夫、最強のパパ、最強の息子になった文田選手。金メダル獲得を決めたマットで天を指差し、証明しました。
「父が教えてくれたレスリング」が、世界一であることを。