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「自分の限界を超える」 12年ぶりメダルへ 鈴木聡美の進化を支える向上心と言葉 山梨県

2024年6月10日 11:47
「自分の限界を超える」 12年ぶりメダルへ 鈴木聡美の進化を支える向上心と言葉 山梨県
常に狙う「自己ベスト更新」

 日本競泳史上最年長となる33歳で五輪出場を決めた鈴木聡美選手(ミキハウス)。100m平泳ぎでは今年に入り、自己ベストを更新しました。メダル獲得から12年たった今もなお続く進化に迫ります。

■現在も母校を練習拠点に

鈴木選手

「(パリ五輪出場は)もちろんすごくうれしいし、くじけずに続けてきてよかった」

 母校・山梨学院大を現在も練習拠点とする鈴木選手は、女子平泳ぎの100mと200mでパリ五輪代表に内定しました。

鈴木選手

「(代表入りできた要因は)根気強く継続したこと。山梨学院大の練習が自分を強くすると、入学当初からずっと思ってきた」

■シンデレラガールを救った恩師の言葉

鈴木選手

「(目標は)インカレで表彰台、ベストを出すこと」

 2009年の取材時にそう話した鈴木選手は福岡県遠賀町出身。山梨学院大に来るまで無名だったといいますが、神田忠彦監督の下、国内の大学屈指の厳しいトレーニングで日本トップスイマーに成長しました。

 大学4年時の2012年に初の五輪に出場すると、200m平泳ぎで銀、100m平泳ぎで銅、女子400mメドレーリレーで銅と3つのメダルを獲得しました。日本女子初となる同一大会複数メダルとなり、鈴木選手は一躍シンデレラガールに。「本当に悔いのない、すごく楽しいレースができた」と笑顔を見せました。

 しかし、続く2016年のリオデジャネイロ五輪はメダルに届かず。2021年に行われた前回の東京五輪は、出場権すらつかめませんでした。

鈴木選手

「東京五輪前後は特に水泳の調子をなかなか上げられず、このまま本当に続けて大丈夫なのかとか、社会人なんだから引退して社会に出た方がいいのではないかとか(思った)」

 失意の底に沈んだメダリストを救ったのは、恩師・神田監督の言葉でした。

鈴木選手

「『聡美ならできるんだから大丈夫だ』って言ってくださったことが、自分の中でもうれしかった。『私にはできる力があるんだ、頑張ってみよう』と思えるようになった」

■容赦なく自らを追い込む理由

 山梨からパリへ、再び泳ぎ出した鈴木選手。世界で戦うために必要だったのが「持久力の向上」です。

鈴木選手

「100m・200mの最後の25m、あそこが一番しんどいところ。大体みんな落ちる傾向にあるが、そこから落ちずにさらに上げていく」

 日々のトレーニングでは200mに重点を置き、長距離を高い強度で泳ぎ切るための体力を強化。さらに、過酷な陸上トレーニングを取り入れ、自分を容赦なく追い込んできました。

鈴木選手

「よくトレーナーさんから言われる。『これ聡美ちゃんにしかできないよ』って。本当にしんどいが、私にできるなら挑戦してみたいという気持ちが一番強い」

Q.なぜそんなにきつい練習を頑張れるのか?

「自己記録を出したいから」

 トレーニングの成果は表れ、3月の選考会では100m平泳ぎで14年ぶりに自己ベストを更新し、優勝。200mでも12年ぶりとなる五輪出場を決めました。「競泳界の大ベテラン」は、33歳にして現在進行形の成長を示します。

神田監督

「(入学当初は)ちょっと泳げるかなぐらいだったが、経験を積んで辛酸をなめてだんだん強くなってきている。考え方や取り組み方が成長している」

鈴木選手

「(成長できたのは)一番は山梨学院大の練習の成果。私が目指すのは常に自己記録の更新。残り約2カ月、より覚悟を持った日々を送らなければという思い」

■「自分の限界をさらに超える」

 飽くなき向上心と、15年に及ぶ師弟関係で進化し続けた鈴木選手。12年ぶりのメダル獲得へ、さらなる成長を誓います。

鈴木選手

「日本記録を100mも200mも狙っていけば、おのずとメダル獲得は見えてくる。『自分の限界をさらに超える』、それを目標にパリ五輪で頑張りたい」

 鈴木選手はアニメやゲームが好きな一面を持ち、ゲーム実況の動画を配信するほど。趣味を楽しむことで自宅ではリラックスし、プールでは競技に集中。オンとオフの切り替えが上手くできていると話します。

 パリ五輪まで2カ月。鈴木選手のさらなる成長と、その先に待つメダル獲得に期待が高まります。
(「YBSスポーツ&ニュース 山梨スピリッツ」2024年6月9日放送)

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