【花やしき170周年】家族5世代にわたり楽しむ人も 時代とともに変化する花やしき
■170年の歴史の中で一番の出来事は“関東大震災”
1992年に『浅草花やしき』に入社し、歴史に詳しい津村健さん(55)によると、170年の歴史の中でも「一番大きな変化だった」というのは、1923年の関東大震災前後だといいます。
「動物もだいぶ死んじゃったりもしたと思いますし、焼け野原になった絵が残っていたりする。僕なんかは当然知らない時代ですけど、そういうのも170年の中で乗り越え乗り越え、今なんとかやってこられている」と語りました。
■戦後は“子供たちのために” 遊園地として進化
戦時中の1944年には、空襲に備えるため建物を取り壊し、営業を中止。終戦から2年後の1947年には、営業を再開しました。
再開への経緯について津村さんは「戦争が終わって焼け野原みたいになっていたんですけど、だんだん大人の人が楽しむ飲み屋さんとかキャバレーとかは新しくできていって、そういう中で“今後日本の復興を担っていかなければいけない子供たちに対しての夢が何もないじゃないか”ということで、ここで遊んで育って日本を復興させていくというようなイメージで遊園地にしていった」と明かしました。
■宇宙がテーマのアトラクション 現在はフォトスポットも
その後も遊園地として発展し続け、1961年に人類初の宇宙飛行が成功し、ガガーリンの名言「地球は青かった」が生まれた頃には、宇宙をテーマにしたアトラクションを開発。当時日本一の高さだった約40メートルのアトラクション『人工衛星塔』などが人気を博したといいます。
今年7月には、メリーゴーランドやスワンなど、“レトロ映え”する一部のアトラクションでは、一時的に停止させてフォトスポットとして開放する『フォトラクション』を開催。時代にあわせたエンターテインメントを提供してきました。
■5世代にわたり花やしきを楽しむ人も
取材をした日は、夏休みの真っ最中。たくさんの子供がアトラクションを楽しむ姿が見られました。
この日、初めて花やしきに来園したという10歳と6歳の姉妹は「迫力も満点で、とても楽しかったです」と笑顔を見せ、祖父母と来園した10歳の小学生は「普通の遊園地にはないものがいっぱいある。古いものとか見られるから楽しい」と魅力を語りました。
5歳の孫と来園した60歳の夫婦は「自分たちの祖母に連れられて(子供の頃)遊びに来ていた」と、5世代にわたって花やしきを満喫しているといいます。園内は「変わってはいますけど、昔の雰囲気は残っています。ジェットコースターとか変わらないね」と明かし「観覧車というか空中を回るのが今なくなっているんですけど、それは2人でよく見えたよね、と話したりしていました」と思い出を振り返りました。