直木賞候補・麻布競馬場に聞く「令和時代の幸せって?」 “正しさ”に苦悩するZ世代描く
(デビュー作『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』については7月12日掲載の記事をご覧ください)
1991年、平成3年生まれ。地方出身で、慶応義塾大学入学を機に上京した麻布さんは、現在会社員として働く傍らで小説家としても活動しています。2022年、X(旧Twitter)に投稿したツリー形式の小説が14万いいねという“大バズリ”。投稿から傑作を集めたショートストーリー集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』は“タワマン文学”として話題になりました。そして今回、2作目にして直木賞にノミネートされています。
■現代のゴールって? “正しさ”に翻弄されるZ世代
ショートストーリー集の1作目とは打って変わり、候補作は4編からなる長編小説。平成28年~令和5年における『大学のビジコンサークル』や『圧倒的成長を謳うメガベンチャー』など、東京の“意識高い系”コミュニティを舞台に、Z世代のリアルな苦悩や焦りを描きます。
――今作は令和を生きるZ世代を通して彼/彼女らの人生観や苦悩を描いていますね。Z世代を主人公にした理由はなんですか?
1作目を出した時に、いわゆる“Z世代”の皆さんから熱烈な批判をいただいたんです。1作目っていわゆる“タワマン文学”と呼ばれるもので、それは平成的価値観。経済的に成功することこそが東京における成功なんだっていう。
一方でZ世代の皆さんが言うには、「もうそんな価値観は古い」と。「僕たちはもう東京にしがみつくことに興味もないし、タワマンに住むことに憧れもない」と言っていて。
(僕が)「これからはどんな価値観が来るんですか?」って聞いたらみんな意外と答えてくれなかったんです。これは別に彼らの考えが足りないとかじゃなくて、少なくとも平成世代がタワマン文学的な価値観で幸せになってないので、「あれは間違ってたんだ」ってとこまでは分かったと。
かといって自分たちがこれからどこに行っていいか分かんない、っていう令和の“どこに行っていいか分からなさ”の表れなんだろうなというふうに思ったところがスタートだったんです。
――麻布さんが考える“Z世代の苦悩”とはなんなのでしょうか?
僕らの時代における“意識高い系ブーム”みたいな形で、“正しさのブーム”が本当に強くなっているなと思っているんです。それはいわゆる“Z世代的価値観”とか“SDGs”みたいなものに代表されると思うんですけど。
例えばZ世代にあたる若者たちから最近悩んでいることを聞くと、コンビニでアイスを買ったとして、絶対ビニール袋に入れて持っているところを写真撮らない。(Instagramの)ストーリーにあげると、石油製品を無駄にしている感じが出るのでアイスをむき出しにして写真を撮ってるって話を聞いたり。
すごい同調圧力だなと思うんです。あの息苦しさが今独特の空気を発してるなと思っていて。じゃあ本当に自分がしたいことは石油製品を減らすことなんだっけとか、正しくあれない自分に対するもどかしさとか申し訳なさっていうのは、僕らの頃の“意識高い系ブーム”とは違うものがあるんじゃないかって感じています。
■「100点の幸せは存在しない」 麻布競馬場が見いだした一つの答え
2作を通して著者が描いてきたのが20代~30代の若者達の“苦悩”や“虚無感”です。
例えば1作目では、“地方から名門大学に入学し大手と呼ばれるメーカーに入社したものの、挫折を経て地方に逆戻りした高校教諭”など、“地方格差”や“タワーマンション”、“港区”などを通して登場人物たちのリアルな心情を描きました。
そして2作目では、「在学中に起業して人生に成功してやる」とビジコンサークルに所属するものの、実際は何もせず、他者を評価し、他者にすがるZ世代や、「仕事だけが人生じゃない」と言いながらも周囲をうらやみ、周りからの承認を求める“キラキラメガベンチャー”の新入社員を描いています。
1作目を発表して、多く届いたというのが「東京の若者はどうすれば幸せになりますか」という質問だそう。実は麻布さん自身、執筆当時は明確な答えが定まっておらず、答えを探すために2作目の執筆に踏み切ったと話します。
――2作を通して現役世代の孤独や絶望、苦悩を描いています。特に1作目では登場人物の幸せが描かれることは少なかったように思いますが、麻布さんが考える“令和の幸せ”とはなんだと思いますか?
最後まで書いてきて、実は自分なりに答えが一つ見つかったなと思っているのは、自分だけのゴールを見つけて、そこに目がけて一人孤独に走っていくしかないんだなって思ったんです。
その時代に求められる正しさ、社会の声って頭のいい子達にはついつい理解できちゃうんですよね。でも時代が求める正しさって別に一人一人の正しさじゃないわけで。「こういうふうにすればみんな幸せになります」っていう処方箋があるはずがない。
一生懸命、自分と向き合って考えて、自分の心の形を踏まえた時に、自分だけが幸せになれるところに走っていく必要がある。でもそこに走っていったからといって、本当に自分が幸せになれるかも分からないし、そこに向かっていく過程ってすごく孤独なんですよ。
一人だけのゴールだから走っている人って一人だし、時にはかつて愛した人を置き去りにして走っていかなくちゃいけない。
幸せになるってことは100%の幸せになれるってことではなくて、恐らくたくさんの苦しみの末に自分だけの幸せを一人だけでかみ締めるっていうふうに、すごく残酷だなと思ったんです。
だからみんなが想像するようなすごく甘い100点のハッピーエンドは僕は現実の世界には存在しないって断言できるなと思っていて。そういう残酷さとか幸せを求める中での苦しみや悲しさっていうのをこれからも描いていきたいなって思っています。
■SNS投稿から直木賞候補へ 令和の“サクセスストーリー”
コロナ禍でできた“暇な時間”から始まったというSNS投稿。その投稿はやがて14万いいねを記録する“大バズリ”を記録しました。投稿をまとめた書籍が発売されると、勢いそのままに、2作目で『直木三十五賞』の候補にノミネート。まさに“令和のサクセスストーリー”といえます。
――麻布さん自身は、ご自分のサクセスストーリーをどう捉えていますでしょうか?
もともと作家になろうとか、文壇で高い評価を得ようと思って書き始めたタイプでもないし、2作目の本作もそういうつもりで書いたものでもなかったので、「直木賞候補に入りました」って電話を受けた時に一番びっくりしたのは自分だと思うんです。
その一方で大変ありがたいなと思うのが、僕の好きな小説のインターネットに書いてあるレビューとか見てると、すごく評価が低いことも多い。大体3つのことが書いてあって「意味が分からない」「子供に読ませたくない」、そして「共感できない」。
この本に共感できませんでしたっていう本が低い評価を得ることはわかるんですけど、では共感だけが本当に本の評価ですかというのはすごく思うんです。
僕自身はさっき言った3つの「ない」がある小説が大好きで。世界には理解できない人もたくさんいるし、共感できない人間やできごともたくさんあって。そういうことを読書を通じて体験するとか、思考実験的に、じゃあ自分もこういう時どうするか考えることに、現代における読書の意味があるなと思う。
自分自身も今回、意味が分からないし、共感もできないし、子供に読ませたくない本が仕上がったなって思ってるんですけど、そういった本に対して価値がないっていうふうに断罪するんじゃなくて、きちんと文学的な価値があるというふうに認めてもらえて、(直木賞候補という)評価の俎上に載せてもらったことは書いた側としてもうれしいし、一読者としてもすごくうれしいなと思います。
――最後に、もし受賞されたらお面(猫のイラスト)はどうしますか?
(顔は)出さないです! やっぱインターネット的な面白さって匿名で顔を出さないことだと思うんですね。
もちろん顔を出さないことで、文章を仕事にしてる人から「お前無責任だ」と、「顔も名前も出さずにいいものが書けるはずがない」というふうなご批判をいただくんですけど、インターネットの中で当たり前に育ってきた世代としては、顔出してないから面白いものを作れないかってそんなこと全くないと思います。
漫画とか音楽で今活躍している人の中で、実際に顔を出してない人もたくさんいる。顔を出せない人も名前を出せない人も等しく、面白いものを書けるし、書くチャンスがある。インターネット的な自由さを、文壇とか出版の世界に持ち込めたらいいなって思っています。