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【梨泰院雑踏事故】「助けられず申し訳なかった」警察の隠ぺい、早すぎる“風化”…1年間を記者が振り返る

2023年10月28日 18:50
【梨泰院雑踏事故】「助けられず申し訳なかった」警察の隠ぺい、早すぎる“風化”…1年間を記者が振り返る

韓国・ソウルの梨泰院(イテウォン)で150人以上が亡くなった雑踏事故から29日で1年。韓国では事故をきっかけに新たなトラブルも起きていました。ソウルで事故を取材した原田敦史記者に話をききました。

■ハロウィーンの週末、繁華街の中心で起きた衝撃的な事故

2022年10月29日土曜日、ハロウィーンを楽しむ若者らでにぎわう街中で事故は起きました。

当時NNNソウル支局の支局長だった原田敦史記者は、偶然梨泰院で食事会をしていた妻からの電話で事故を知ったといいます。

原田記者
「『道にたくさんの人が倒れている』と『救急車が本当にたくさん見たことないぐらい集まっていてものすごいことになってるんだけど、何か知ってる?』と聞かれたんです。私はその時全く何も知らなくて」

■“群衆雪崩”で若者ら158人が犠牲に…専門家の分析は

事故現場となったのは、梨泰院駅のメインの出口と飲食店が集まるメインストリートを最短でつなぐ路地。幅3.2メートル・長さ40メートルで、およそ10度の傾斜となっています。

原田記者
「駅に向かう人、駅から街に出てくる人の流れが交錯して、身動きが取れなくなって、結果的に事故になってしまったというふうに分析されている」

群集事故に詳しい関西大学の川口寿裕教授は、1平方メートルあたり10人以上が密集した状態となり、群集雪崩が起きたと分析します。

関西大学 川口教授
「たとえば右と左の力が同じ力で押さえられれば耐えられるんですけれども、急に左の人がすっとしゃがむなどしていなくなると、左から押す力がなくなるので、右から押されて倒れるしかなくなってしまうというかたちです」

この雑踏事故で、日本人2人を含む158人が命を落としました。この人数に加えて、友だちを亡くした高校生1人がのちに自ら命を絶ちました。そのため、159人の命が犠牲になったと韓国社会では受け止められています。

■事故を防ぐことはできなかったのか…問われる“大人の責任”

事故の後、韓国社会は重たい雰囲気に包まれました。

原田記者
「(事故)直後から現場に行くと、本当にたくさんの花束だとか、あと壁一面にメッセージが貼られているんですよね。そこで多く書かれていたのは『大人の責任』。『助けられなくて申し訳なかった』と書いている人がたくさんいたんですけど、それを見た時にはやはり私も管理する側の年齢に近いので、そして実際、日本人留学生も2人亡くなっていますから、社会全体、そして大人全体として責任が大きいんだなということを突きつけられた気持ちになりました」

事故後に明らかになったのは、警察の対応の不備でした。

原田記者
「コロナが明けて人出は増えることはわかっていたわけです。しかも所轄警察署の中で『いつもよりも人出が増えるから警備体制を手厚くするべきだ』という報告書まで実は作られていたんですよね。それが事後は明らかになるんですけども、結局その報告書というのが警備計画に生かされることなく、警察内部で握りつぶされてしまっていたわけです」

その後の捜査で、事故の予防を怠った責任が特に重いとされた所轄警察署の署長など6人は、業務上過失致死などの疑いで逮捕されました。

原田記者
「ただ責任を問われたのは警察署の幹部レベルであって、閣僚だとか大統領だとか、そういったレベルでの謝罪や責任をとるという姿勢があるべきじゃないかということで、一部遺族が怒りを強めていた」

■半年で“風化” 政治対立に巻き込まれ…遺族の思いは

政府の責任を含めた徹底的な調査を願う遺族たち。その願いは政治対立に飲み込まれていきました。

原田記者
「韓国の社会の特徴ではあるのですが、遺族が政府を批判するような動きになってくると、これに野党が加担してくるんですね。政府としては、遺族が“野党と一体“になっているので、遺族に完全に同意することはできないという姿勢になってしまった」

遺族が外国メディア向けに開いた会見では、遺族の思いというよりも野党の主張を代弁するような発言が目立つこともあったといいます。

事故から半年がたち、どうすれば遺族の純粋な思いを伝えられるのか悩んでいたころ、ある遺族と出会いました。

当時22歳だった二女を事故で亡くした、チン・ジョンホさん。韓国政府与党の党本部の前で悲しそうな顔をしてプラカードを掲げていました。
話をきいてみると、抗議活動に参加するのは初めてだといいます。チンさんは、徹底的な真相究明をしてこそ「娘と会ったときに堂々とできる」と話しました。

原田記者
「僕がショックだったのはですね、社会の無関心。やっぱり政治の対立が深くなってしまうと、みんな『またやってるな』という雰囲気になっちゃうんですよ。だからみんな見て見ないふりをする。こんなに風化するの早いのかなって」

事故から半年が経過していたが、チンさんのスマートフォンの待ち受け画面は娘との家族写真でした。

■事故から1年「記憶と安全の道」で遺族は願う“犠牲以上に夢と未来を広げて”

2023年10月26日、事故現場に遺族が集まりました。
この日公開されたのは、事故の悲劇を未来に伝えるモニュメントです。

追悼場所をめぐり、遺族は自治体などの理解が得られず、非公式に追悼施設を設置しては退去を要求されてきました。事故からおよそ1年、ようやく公式にモニュメントが設置されたのです。モニュメントには「記憶と安全の道」と刻まれました。

集まった遺族は、「子どもたちが犠牲になった以上に、再び若い子どもたちが安全に夢と未来を広げ、この場で多様な世界文化を互いに交流して新しいコンテンツを作っていく、そんな良い記憶の道になれば」と話しました。

事故の教訓を安全対策に生かしていくことができるのか、社会全体が問われています。

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