“貧困で体売る女性” “戦火から逃れた子どもたち” ミャンマー政変1年 翻弄される人々のいま
軍事クーデターから1年が経過したミャンマー。経済の混乱は続き、貧困から体を売る女性も増えたという。未来を担う子どもの教育への影響も深刻で、孤児院には戦火を逃れた子どもの姿も。クーデターに翻弄されながらも今を生きるミャンマーの人々の姿を追った。(NNNバンコク支局平山晃一)
■貧困で体売る女性も“こんな仕事したくない”
最大都市ヤンゴンを走行中に私たちが目にしたのは、幹線道路沿いに立つ数人の女性たちの姿。体を売るため客引きをする女性たちだ。生活苦から売春に手を染める女性が増えているという。
路上にいた女性の1人に話を聞くことができた。彼女はもともと魚を売る仕事をしていたが、売り上げが減って借金がかさみ、この仕事を始めたという。
――客引きしていた女性(25)
「1週間前にこの仕事を始めました。できれば、こんな仕事はしたくないです。いろんな意味で怖いです。お客さんのほとんどが悪い人で、殴られることもあります」
男性客からは、3万チャット(=約2000円)を受け取るも、グループのリーダーに手数料を払うため、手元に残るのは1万チャット(=約650円)。それでもこの仕事を続けているのは、3歳の娘のためだ。
――客引きしていた女性(25)
「娘を故郷に預けていて、私は工場で働いていることにしています。家に仕送りができるからと自分に言い聞かせながら、この仕事をしています。十分なお金があれば、こんな仕事はしたくありません」
長引く経済の混乱が、女性の暮らしを一変させていた。
■物価上昇が暮らし直撃 油の値段は“倍以上”
物価の上昇も市民の暮らしを直撃していた。屋台で揚げ物を売る女性に話を聞いた。
――屋台の女性
「クーデター以降、物価が2~3倍に上昇しています。油も以前は1800~2000チャット(=約120円~130円)だったのが、5000チャット(=約330円)まで値上がりしました。この物価上昇は、私だけでなく、みんなが影響を受けています。今はみんな大変なので、誰でも食べられるよう値上げはしません。収入は減ってしまいますが」
目に涙を浮かべながら、日々の商売の大変さを訴えていた。
■ラジオ体操流れる縫製工場 長期休業乗り越え“再開”
クーデターは、ミャンマーの主要産業である縫製業界にも大きな打撃を与えた。私たちが訪ねたのは、日系の縫製工場。仕事の合間には、日本のラジオ体操が行われている。数多くのミシンが並ぶ工場の中では、女性たちが手際よく布を縫い合わせていた。
こちらの工場は、クーデター後の去年3月、従業員の安全を考慮して操業を一時停止。工場の責任者は、当時をこう振り返る。
――工場の責任者
「これからどうなるんだろうという不安ばかりでした。仕事のことも不安だし、国のことも不安だし、どうなるのか本当に想像ができませんでした」
新型コロナの影響もあり、なかなか工場を再開させられなかったが、去年11月にようやく操業が再開。地元に帰っていた、ほとんどの従業員が仕事に復帰した。
――工場の責任者
「久々に会いました。約8か月間、離れていましたので。従業員たちも仕事をやりたがっていました。田舎で生活するのも大変ですし、仕事をしていれば生活もスムーズにいくので。いつ再開ですか? いつ再開ですか? と(聞かれていました)」
復帰した従業員が、故郷の状況について話してくれた。
――復帰した従業員
「地元の村では、クーデターの影響で定期的な収入がなく困っている人がたくさんいます。工場が再開して本当によかったです」
工場の責任者に今後について聞いてみると。
――工場の責任者
「個人個人が自由で安全に動ければ、仕事はうまくいきます。一番願っているのはそれだけです」
■戦火逃れ孤児院へ けが人みて“医者になりたい”
クーデターは、子どもたちの暮らしや教育にも影響を与えていた。ヤンゴンのある孤児院では、およそ100人の子どもたちが日々勉強しながら暮らしている。クーデター後には寄付金が減り、食事の回数を減らした時期もあったという。
――孤児院の責任者
「36年、生きてきましたが、これほど不安になったことはありません」
クーデター後に、地方からやってきた少年2人に話を聞いた。
――クーデター後に入所した子ども
「地元の村では一緒に歩いていた村人が地雷を踏んでしまいました」
故郷の村では、軍と地元の武装勢力との戦闘が激しくなり、勉強を続けられなくなったという。
――クーデター後に入所した子ども
「将来は医者になりたいです。ケガをした人をたくさん見て、そう思うようになりました。(いま一番楽しいことは何ですか?)今楽しいのは、勉強とみんなと遊ぶことと、テレビを見ることです」
■寺院学校“生徒は半分以下” 日本行きを目指す少女も
地域の貧しい子どもたちが通っているヤンゴンの寺院学校を訪ねた。授業中の教室にお邪魔すると、子どもたちが「こんにちは、ようこそ学校へ」と元気よく挨拶をしてくれた。
日本人の寄付金によって建設され、学費は無料。新型コロナ以前は日本語の授業も行われていた。
――寺院学校の校長
「新型コロナやクーデター後の不安定な治安状況のため、親は子どもたちを学校に通わせなくなりました。そのため今の学校はとても静かです」
去年11月に授業を再開したものの、200人以上いる生徒のうち実際に通えているのは80人ほどだという。
――寺院学校の教師
「教師として、生徒が少ない今の状況は良くないと感じています」「ぜひ生徒には戻ってきてほしいです。教育を受けることで損することなどありません」
生徒は減ったものの、休み時間には子どもたちの元気な声が響いていた。私たちは、寺院学校を卒業し、いまは別の高校に通う17歳の女性に話を聞いた。「よろしくお願いします」と日本語で挨拶してくれた。
――寺院学校を卒業した高校生(17)
「小学2年生のころから日本語を勉強しています。日本語を勉強して、いずれは日本で仕事をしたいです」
夢をもって日々勉強に励む女性だが、生活は楽ではないという。
――寺院学校を卒業した高校生(17)
「新型コロナとクーデターのせいで物価が上がっていて、生活は苦しいです。午前8時から午後1時半まで学校に行き、午後2時から午後7時までは、家で縫製の仕事を手伝っています。毎日働いています」
家族の生活を支えるため、勉強と仕事を両立する日々を送っていた。
■大規模デモは下火に…“武力”による軍への抵抗続く
去年2月のクーデター直後には、大勢の市民がデモに参加し、抗議の声を上げた。当時、人で埋め尽くされていたヤンゴン中心部の交差点。今は多くの車が行き交い、クーデター以前の喧噪にあふれる日常が広がっていた。
市民による大規模な抗議活動が下火になる一方、地方では、武力によって軍に抵抗する動きが続いている。
■隣国タイから抵抗を支援 3Dプリンターで“銃”製造
隣国・タイから軍への抵抗を支援する動きも。ミャンマーとの国境の町タイ・メソトのアパートの一室にいたのは、ミャンマーからタイに逃れてきた学生たち。部屋には3Dプリンターが所狭しと置かれていた。
――ミャンマー人の学生
「多くの人が抵抗部隊に参加したがっているのに、私たちは武器を持っていません。だからこちら(タイ)に来て、問題を解決する手助けをしています」
彼らが3Dプリンターで作っているのは“銃”。ミャンマーで抵抗を続ける仲間に届けているという。銃がおもちゃのようにカラフルなデザインなのは、ミャンマー当局に怪しまれないためのカムフラージュだ。
――ミャンマー人の学生
「これはおそらく戦闘のような本当の武力衝突には使えないかもしれません。少なくとも、自己防衛のための武器になればと思います」
■聖地はガラガラ 市民が続ける“静かな抵抗”
ミャンマーでは、これまでとは形を変えた抗議活動も行われている。ヤンゴンにある仏教の聖地「シュエダゴン・パゴダ」
中央には黄金に輝く仏塔がそびえたつ。以前は多くの参拝客で賑わっていたものの、取材に訪れたこの日、人の姿はまばらな状況だった。
去年2月のクーデター以降、市民の参拝客は大幅に減ったという。“軍の管理下の聖地には行きたくない”そんな市民による静かな抵抗が続いている。