空爆で住民“生き埋め” キーウ近郊の町ボロジャンカに残る攻撃の痕
ウクライナでは民間人への被害が日に日に深刻となっています。ロシア軍による空爆で多くの住民が生き埋めになるなどしたウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊の町ボロジャンカには、癒えることのない悲しみと被害の痕が広がっていました。
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21日、キーウ近郊で、NNNのクルーは、取材中、川にかかる橋が崩落しているのを目にしました。下に道がつくられており、何とか通行できる状態でした。ロシア軍を阻止するため、ウクライナ軍が橋を落としたとみられます。
取材団は、その先にある激しい攻撃を受けたボロジャンカへ入りました。至るところでロシア軍による攻撃の痕が見られました。真上から垂直に爆弾を落とされたような被害が、目立ちます。
記者
「集合住宅がここに一棟、そして反対側に一棟あるように見えるんですけれども、実はここは一つの建物でした。ロシア軍が空爆を行いまして、中心部分が完全に吹き飛ばされたというかたちです」
建物の基礎部分にはシェルターがあり、避難していた多くの住民が生き埋めになり、41人が亡くなったとされます。
崩れ落ちた別の建物を訪れると、そこには大勢の人と1台の車がありました。車の中に積み込まれていたのは棺です。
息子を亡くした男性
「色々な場所を捜しました」
男性は、1か月以上行方がわからなかった息子がようやく見つかったのだと話しました。
住民
「ロシア軍はひどい、害獣よりひどい」
息子を亡くした男性
「害獣は優しい。ロシア軍よりずっと優しいです」
多くの建物が壊され、地雷も埋まったままとされるボロジャンカ。ロシア軍が書いたとされる「V」や「Z」のロシア軍のマークが家や遊具にも残されていました。
ロシア兵がいたことを示す痕跡もありました。かつては子供たちが笑顔で遊んでいた幼稚園がロシア兵の寝泊まりする場所になっていたといいます。
ボランティアの男性
「これはロシア軍の制服です。こちらはクリミアで作られたロシア軍兵士の食料です」
チョコレートやリンゴジャムなどの食料も残されていたといいます。
さらに幼稚園の中には――
「古いガスマスクです。この部屋でロシア軍が食事をとりました。ウイスキーなどを飲んでいました。スポーツウイークという新聞です。3月9日、最新刊を読んでいました」
ロシア軍はウクライナ軍に攻撃されないよう、あえて幼稚園を選び住んでいたとされます。
多くの民間人が犠牲になった街・ボロジャンカ。ロシア軍が撤退したあとも癒えることのない悲しみをかかえています。