【検証】歴代最長・安倍政権の光と影 「あの時にこの法案を成立させておいてよかったと…」安保政策転換、アベノミクスetc. 数々の成果の一方で“分断”も
安倍晋三元首相は、歴代最長の通算8年8か月にわたって政権運営を担いました。その光と影とは──
■精力的に全国まわり…首相辞任後も“保守層のリーダー”として存在感
安倍元首相(今年6月)
「岸田総理も本当に頑張ってくれていますね。安倍政権とちょっと違って、うらやましいな」
銃撃を受けるおよそ2週間前、安倍元首相は、精力的に全国をまわり応援演説を行っていました。
安倍元首相(今年6月)
「私たちは平和安全法制をつくって日米は助け合える同盟になった。あの時反対した人たちは、ぜひ責任をとってもらいたいなと思います。この選挙区にもいるじゃありま せんか」
安倍元首相は野党を厳しく批判し、首相辞任後も“保守層のリーダー”として存在感を示し続けていました。
8年8か月にもおよんだ歴代最長政権。安倍氏が残したものとは、なんだったのでしょうか。
■目指す国家像は「美しい国、日本」…わずか1年での辞任に「政権を投げ出した」と批判も
16年前の2006年9月、戦後最年少の52歳で首相に就任した安倍氏。目指す国家像は「美しい国、日本」。当初から憲法改正に前向きな姿勢を示していました。
安倍首相(2006年9月当時・所信表明演説)
「新しい時代にふさわしい憲法のありかたについての議論が積極的に行われています」
しかし──
安倍首相(2007年9月当時)
「本日、総理の職を辞するべきと」
内閣発足からわずか1年で、持病の悪化を理由に辞任。政権を投げ出したと批判されました。
その後 新たな薬の服用によって体調は回復。退陣から5年で首相に返り咲きました。
安倍首相(2012年12月当時・就任会見)
「挫折をした経験を生かしていきたい」
■安倍政権の成果 <経済政策>
2度目の首相就任。安倍元首相は、ここから本格的に成果をあげていきました。
安倍首相(2013年9月当時)
「バイ マイ アベノミクス」
看板政策のひとつが、日本経済の立て直しを目指したアベノミクスです。大胆な金融政策などで円安や株価の上昇、雇用の拡大といった成果を上げました。
■安倍政権の成果 <集団的自衛権と安全保障>
戦後の安全保障政策を大きく転換させたのも安倍氏です。
安倍首相(2014年5月当時)
「日本国憲法が国民の命を守る責任を放棄せよといっているとは、私にはどうしても考えられません」
2014年7月、従来の憲法の解釈を変更し、集団的自衛権の行使を限定的に認める閣議決定を行いました。この憲法解釈の変更は、国論を二分することになります。
さらに1年後、自衛隊による限定的な集団的自衛権の行使を可能にするための安全保障関連法の採決にふみきり、成立させました。
直後の2015年9月のインタビューでは──
安倍首相(2015年9月当時)
「米軍との絆が強くなります。多くの方々に、あの時にこの法案を成立させておいてよかったなと思っていただけるようなものにしていきたいと」
■安倍政権の成果 <存在感を高めた日本外交>
外交にも積極的に取り組んだ安倍氏。過激な発言で物議を醸していたトランプ氏が大統領選挙で勝利すると、2016年11月、各国の首脳に先駆けて会談。その後ふたりは、共通の趣味であるゴルフなどを通じて信頼関係を築きました。
G7サミットの場でトランプ氏と各国の首脳が対立した時には、「シンゾー、どう思う?」とトランプ氏から何度も相談され、首脳たちとの間をとりもつことに。
また安倍氏は「自由で開かれたインド太平洋」を提唱。中国の強引な海洋進出に世界の目を向けさせるとともに、日本外交の存在感を高めました。
国内では戦後の歴史認識について、「先の大戦においての総括は、東京裁判という、連合国側が勝者の判断によって断罪がなされた」などと、従来の歴史認識とは異なる発言を繰り返していました。
ところが、外交では本来の保守的な主張を抑える場面も。
戦後70年の節目の年に発表した談話では、従来の談話と同じく「侵略」「お詫び」などの文言を用いて外交上のバランスを優先する柔軟な姿勢をアピール。諸外国との信頼を深めていきました。
■その源は選挙の強さ…過去6回の国政選挙で勝利した“安倍一強” 一方で“反安倍”の動きも
成果をあげる源となっていたのが選挙の強さです。過去6回の国政選挙で勝利し、“安倍一強”と言われました。
また、官僚たちの人事を掌握する内閣人事局を設置。省庁からの反対意見を封じて強力な「官邸主導型」の政治を確立しました。
安倍首相(当時)
「これも第一次政権以来だから、7年がかり」
しかし、強引な手法もいとわない政治姿勢は、反安倍の動きもひろめることになりました。
安倍首相(2017年7月当時)
「こんな人たちにみなさん、私たちは負けるわけにはいかない!」
反対意見には敵意をむき出しにする“分断の政治”。さらに、長期政権の弊害と指摘される問題が次々と浮上しました。
■長期政権の“弊害”も…
そのひとつが森友学園をめぐる財務省による公文書の改ざん。財務省の調査によると、きっかけとなったのは、この発言でした。
安倍首相(2017年2月当時・参院予算委)
「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」
改ざんを強要された近畿財務局の職員・赤木俊夫さんは自殺。背景には官僚の行き過ぎた忖度があったとみられていますが、安倍氏が改善に乗り出す姿勢は見られませんでした。
さらに、安倍氏が結果的に事務所による費用の補てんを認めた「桜を見る会」前夜祭を巡っては──
安倍首相(2020年3月当時・衆院予算委)
「事務所側が補填をしたという事実も全くない」
国会で事実と異なる答弁を100回以上繰り返していたことが明らかになり、「国会審議を軽視した」「政治の信頼を損ねた」と批判されました。
■新型コロナ感染拡大と危機対応…そして再び、健康問題で辞任へ
また、新型コロナウイルスの感染が拡大しても、PCR検査を増やすことができず、病床も逼迫。マスク不足には全国に“アベノマスク”を配布。こうした危機対応をめぐって、与野党から批判を浴びました。
そして、コロナ禍という緊急事態の最中──
安倍首相(2020年8月当時)
「総理大臣の職を辞することといたします」
再び、自身の健康問題を理由に首相の座から下りたのです。
かつて安倍氏が成果を自画自賛したアベノミクスですが、今では為替介入が必要なほど円安が進み、給料は上がらず物価高に苦しむ人たちも増えています。
安倍政権が日本にもたらした光と影、その歴史的評価とは……。