【内幕】「私がやらないで誰がやるんだ」日露交渉 安倍元首相銃撃1年…側近が語る「長期政権の舞台裏」②

■日露交渉「私がやらなくて誰が」元島民への思い
―――北方領土交渉について伺います。安倍氏が北方領土返還に強い意欲を持ち、「私がやらないで誰がやるんだ」と。なぜそこまで強い思いを抱いたのでしょうか。
長谷川元首相補佐官
安倍総理をこの交渉で一番支えたのは、世耕官房副長官(当時)と、谷内国家安全保障局長(当時)、そして歴代の外務審議官の皆さんです。
私は経済対策、政治・安保ではない分野で、日露関係全体をもう一度大きく広げたいと。もっと言うと、ロシアの方に日本と付き合うといいことがあるぞと。ロシアの社会には色々弱みがあります。平和条約を結ぶと、国全体の関係が、市民生活に至るまで交流が進み、それによって、生活の改善ができるようになるという部分を私は担当したわけです。
従ってそのアングルから申し上げることに限るんですけれど、私は総理がこの平和条約の交渉を始めるに至った大きい理由は2つあると思っていて、1つは、日本の戦後のとても大きい懸案で、これに取り組むのが、総理大臣としての職責だというのが一つあると思います。
同時にそれと、不即不離の形であったのは旧島民の皆さん、ご家族の皆さん、この方々が大変な辛苦を味わって、悔しい思いをしながら、しかし何とか踏みにじられた、この北方領土の状態を変えてほしいと、交流を通じて非常に思いを強くされた。
当たり前ですけど自分がかつて生まれ育った所に帰りたいと。訪れてみたいという気持ち。あるいは、その両親や年長の方が眠る墓参をしてみたい。そういうヒューマニズムがそこにあって、そして交渉する以上、そこでリアリズムが出てくるわけです。
私も総理とほとんど年は変わらないんですけど、私が親から教えられたソ連。自分が見たソ連というのは、突然戦いを挑んできて、いわば土足どころか銃器を持って、しかも戦争が終わったにもかかわらず、日本人を自分の国の中に留め置いて、強制的な労働を課するという、はっきり言って、耐え難い、許しがたいそういう国だと私は教えられてきました。
しかし、その気持ちを持ち続けつつ、それを一旦引き出しの中にしまって、(日露の)公約数をなるべく多く作るということをしないと交渉はできないわけですね。
感情はとりあえずしまっておいて、交渉チームとして一体何が近く達成され、広く取れるかということを考え始めるわけです。その時に総理の考えは、私が理解するところでは、高めのボールだけを放っていても、公約数ができないと。
だから、高めのボールという従来のとっていたやり方を、もう一度自分なりに整理したうえで、トップであるプーチン大統領にぶつけてみるというようなことから始まったのではないかなと。というのが交渉を始めた時の思いだと思いますし、その気持ちが実は最後まであったと思います。