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【内幕】「私がやらないで誰がやるんだ」日露交渉 安倍元首相銃撃1年…側近が語る「長期政権の舞台裏」②

2023年7月8日 16:16
【内幕】「私がやらないで誰がやるんだ」日露交渉 安倍元首相銃撃1年…側近が語る「長期政権の舞台裏」②

■日露交渉「私がやらなくて誰が」元島民への思い

―――北方領土交渉について伺います。安倍氏が北方領土返還に強い意欲を持ち、「私がやらないで誰がやるんだ」と。なぜそこまで強い思いを抱いたのでしょうか。

長谷川元首相補佐官
安倍総理をこの交渉で一番支えたのは、世耕官房副長官(当時)と、谷内国家安全保障局長(当時)、そして歴代の外務審議官の皆さんです。

私は経済対策、政治・安保ではない分野で、日露関係全体をもう一度大きく広げたいと。もっと言うと、ロシアの方に日本と付き合うといいことがあるぞと。ロシアの社会には色々弱みがあります。平和条約を結ぶと、国全体の関係が、市民生活に至るまで交流が進み、それによって、生活の改善ができるようになるという部分を私は担当したわけです。

従ってそのアングルから申し上げることに限るんですけれど、私は総理がこの平和条約の交渉を始めるに至った大きい理由は2つあると思っていて、1つは、日本の戦後のとても大きい懸案で、これに取り組むのが、総理大臣としての職責だというのが一つあると思います。

同時にそれと、不即不離の形であったのは旧島民の皆さん、ご家族の皆さん、この方々が大変な辛苦を味わって、悔しい思いをしながら、しかし何とか踏みにじられた、この北方領土の状態を変えてほしいと、交流を通じて非常に思いを強くされた。

当たり前ですけど自分がかつて生まれ育った所に帰りたいと。訪れてみたいという気持ち。あるいは、その両親や年長の方が眠る墓参をしてみたい。そういうヒューマニズムがそこにあって、そして交渉する以上、そこでリアリズムが出てくるわけです。

私も総理とほとんど年は変わらないんですけど、私が親から教えられたソ連。自分が見たソ連というのは、突然戦いを挑んできて、いわば土足どころか銃器を持って、しかも戦争が終わったにもかかわらず、日本人を自分の国の中に留め置いて、強制的な労働を課するという、はっきり言って、耐え難い、許しがたいそういう国だと私は教えられてきました。

しかし、その気持ちを持ち続けつつ、それを一旦引き出しの中にしまって、(日露の)公約数をなるべく多く作るということをしないと交渉はできないわけですね。

感情はとりあえずしまっておいて、交渉チームとして一体何が近く達成され、広く取れるかということを考え始めるわけです。その時に総理の考えは、私が理解するところでは、高めのボールだけを放っていても、公約数ができないと。

だから、高めのボールという従来のとっていたやり方を、もう一度自分なりに整理したうえで、トップであるプーチン大統領にぶつけてみるというようなことから始まったのではないかなと。というのが交渉を始めた時の思いだと思いますし、その気持ちが実は最後まであったと思います。

■安倍首相の提案…プーチン大統領「素晴らしい」

―――担当された共同経済活動で、新しいアプローチで少し前に進むことができるというのは、安倍氏自身も含めて当時の官邸では一致した認識だったのでしょうか。

長谷川元首相補佐官
私が直接担当したことから言うと、そこに行く前にもう一つ大きい話がありまして、通称「8項目提案」です。

これは2016年5月のソチでの日露首脳会談で、安倍総理から提案するわけですが。私が見るところ、ロシアに先ほど申し上げた様々な弱みがあるんですが、その弱みを弱みと言わずに、こういう形で、協力できるプログラムを展開したらいいんじゃないかと提案を総理からしたわけです。

プーチン大統領に説明するために当然資料を渡すんですが、「私に資料なんか読ませるのか」みたいな感じで配る人を腕で払いのけるんですね。そして資料を置いて、最初ラブロフ外相とぺちゃくちゃお喋りをしてるんです。安倍総理の説明がどんどん進んでいくに従って、お喋りをやめ、資料に目が移ってきて通訳が入りますから、実は8項目を説明するのは意外と時間がかかるんです。

プーチン大統領は黙ってさえぎることなく、じっと聞いていました。そして、説明が終わったら「素晴らしい」と一言言ったのです。

やはり日本がロシアを経済・社会・暮らし・産業で本気でやってくれるのだなと。サポートしてくれるのだなと。かなりそこでプーチン大統領も本気度が高まったんじゃないかと思っています。

それが直接影響したかどうかは、私は確かめようがないんですけど、その年に山口を訪問する前に、11月にペルーでAPECがありました。その折に日露首脳会談があって、そこで新しいアプローチという話が出てくるわけですね。

私も何が新しくて、何が古いかということは、つまびらかにしてなくて、どこが新しいかという説明はまだちょっと、言葉を濁したこともあるんですけども、共同経済活動を四島でやることが、一つのまず最初の軸ということで、山口にプーチン大統領が来て、そこで共同声明という形で四島の名前が全て書かれて、そこで共同経済活動をしようと。すなわち、その四島が全部が舞台となるよう共同経済活動をしようというで合意するわけです。

しかし、これは北海道の皆さん、とりわけ本件に非常に深く関与されてきた方々にしてみるといわば従来の進め方と動きが相当異なるアプローチでした。ですから、まず何が新しく、どうして新しいのが必要なのか、うまくいくのか、様々な疑問が出てくるのは、当たり前ですよね。

ずっと渾身(こんしん)で四島返還運動をされてきた皆さんですし、またその方々のおそらく支持がなければ、この話は進められません。そして、私も根室に参りました。率直に申し上げて、「やってみろ」という方もいらっしゃるし「ちょっと考え方が違ってる」「十分納得させてくれ」という方もいらっしゃったし、それから「反対だ」という方もいらっしゃいました。

それぞれ皆さん率直に意見を仰ってくれて、私達の考えと、こういう方針でこういうことをしたいと協力して欲しいと。そして、翌年の6月に、第一回目の四島訪問が実現するわけです。

私が、谷内局長から、「長谷川さんが訪問のリーダーを」と、お話を頂きましたので、私がリーダーということで訪問するわけですけど、その時に、根室や北海道の全体からも、多くの民間の皆さんが、一緒に行ってくれるということで同行頂きました。

そして根室港には、えとぴりか号が出港する時に、多くの人が見送りに来て下さって「とにかくしっかりとやってこい」と。それで、国後島から入って択捉島に行く。まずは、現地を見てみないとプロジェクトをどうしていいかと見当つきませんので。

それと並行して、その墓参についても外務省が頑張っていたんですが、従来から墓参というのは時々あったんですが、それが、皆さんがかつて住んでいたところの近くまで、すなわち着岸港から遠くまで行くという形で、少しずつ前進していった。交渉がかなり進展を見せてきた時だと思います。

■ロシアの「弱み」…弱みと言わずにフルコースを

―――ロシアは手ごわいという意見もあったと思うんですが、当時は官邸内でどのような形で進めようとしていましたか。

長谷川元首相補佐官
外務省には2013年4月から始まって、しばらくの間は、日露交渉というのは外務省が責任を持って、外務省が、自分の権限と職責で解決するという自負と、積み重ねがあったのは事実です。ですから、いわゆる動静・情報が、私も含めて、あまり十分伝わってこなかった。

しかし、経済も一つの柱ということは最初からあったんですけれども、従来型の日本の経済団体とモスクワのカウンターパートが、協議するようなやり方だったわけです。

そして、私もそういう内情とか、動きが逐一知らされないので、何がどうなってるのかよくわからなかったのですが、従来のやり方は、うまく進まないという、ある種の偶然があったために、それが偶然の契機になって、私も全く個人的なルートで、従来の経済団体ではない人々を、巻き込んで、それを総理が応援してくれて、モスクワ訪問する。同時に地方訪問するということがだんだん増えてきたわけです。

この日露交渉を見たときに、やはり世界の情勢というか、第三国で起こっていることは、やはり色濃く影響を与えるわけです。

その点から一つ申し上げると、2015年ぐらいから、油価がすごく下がるんですね。ロシアの強みでもあり、弱みはこれ今でも変わってないですけど、外貨の収入。輸出の多い時は7割、少ない時でも過半は、石油、ガス、石炭なんですね。

実はロシアの思う通りに値段が上がったり下がったりしないわけです。グローバルな、油価の値段が下がると、ロシアは、海外からの、いわゆるハードカレンシー(決済通貨)の収入が減るわけです。

それがちょうど1年ぐらい続いた頃、ソチの首脳会談です。私はもう一度、ロシアは相当経済的な歳入が減っているに違いないから、彼らの弱みを、弱みと言わないで、しかし弱みに突っ込むような、いわばフルコースメニューにしようと。これを世耕さんが支持してくれました。

この時に私が感じたのは、各省の幹部の皆さん、次官級の方が多かったのですけど、縦割りとかよく言われますけど、全くそんなことはなく。平和条約のために役立つなら、ベストを尽くすという雰囲気でした。国家公務員である以上、やはりそのいくつかの課題については、何とかしたいという、そういう意識が霞が関の省庁の全部とは言いませんけど、幹部にはあるんだと思います。その一つが平和条約。

もう一つは、私が感じたことを言えば、日本の国連における安全保障理事会におけるステータス。それを向上させるために、アフリカ対策に拍車がかかったのも一つはそこにあると思っている。

このロシアの平和条約については、国家公務員である以上、自分ができるところで少しでも貢献したい。この気持ちがすごく満ちたものが8項目協力であると。ですから、心は一つになって。そこに国家安全保障局ができて、軌道に乗りました。谷内局長という司令塔がいて、組織としては、官邸がまさに主導で総理が直接自分で交渉し、それを谷内局長が中心に支える体制ができていました。