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【内幕】「火が突然、理不尽に吹き消された」安倍元首相銃撃1年…側近が語る「長期政権の舞台裏」①

2023年7月8日 15:30
【内幕】「火が突然、理不尽に吹き消された」安倍元首相銃撃1年…側近が語る「長期政権の舞台裏」①

安倍元首相の銃撃から1年。第一次政権も含めて約8年に渡って安倍氏を支え続けた側近、長谷川榮一元首相補佐官が日本テレビの単独インタビューに応じた。

「火が突然、理不尽に吹き消された」と振り返るあの事件、日露交渉、トランプ氏との知られざるエピソードなど安倍外交の舞台裏まで。歴代最長政権、首相官邸で苦楽をともにした長谷川氏だからこそ知る"安倍晋三"を語った。
(聞き手 日本テレビ報道局政治部・本岡英恵)

■突然の死…「最後に映った景色」見ようと何度も現場へ

―――安倍氏が亡くなって1年が経ちますが、どのような思いで過ごしてきましたか。

長谷川元首相補佐官
突然、事件が起こり、私の「人生の導きの火」が突然、理不尽な形で吹き消されてしまったわけです。その後、夏に、冬に、春もですが、(事件現場の)大和西大寺駅前に行き、黙祷(もくとう)した上で、空を見上げました。おそらくこれが安倍総理の目に「最後に映った景色」なのだろうなと。その景色を自分ももう一度、心に刻み直して、いたたまれない気持ちを、自分で自分なりに消化しています。

個人のことを少し切り離して申し上げると、この国では憲法を大事にとか、立憲主義はよく言われるんですが、口だけで言ってる人が多いなと本当に痛感しています。自分の主張、各自が持つのは当たり前ですが、それを主張するために、ああいった暴力に訴える、実力を行使する。それは憲法は認めていないし、一番反することだと思いますし、何といっても人命を尊重するこれが憲法の根本ですよね。

護憲というのも、もちろん主張としてあるんですけども、憲法の中には、納税の義務とか、労働の権利もありますけども、義務もある。そういった義務のことがあまり議論されないまま、この1年間、一国民として憲法を大事にしたいなという気持ちを改めて強くしています。

■北方領土交渉…成算なくとも「私がやらなくて誰が」

―――首相補佐官として安倍氏との長い時間を過ごし、最も印象に残っている姿は。

長谷川元首相補佐官
たくさんの姿が出てくるんですけども、私が一番印象深いのは、成算、結果が出るという見通しは立ってないんだけども、「自分がやらなきゃいけない」ということに突っ込んでいって、道を切り拓いていくということは感じましたね。

例えば具体的に申し上げると、総理に就任して2回目、ほどなくオバマ米大統領と首脳会談をするのですが、オバマ大統領にTPPの交渉を申し入れると。自民党のかねてからの主張は非常に慎重。むしろTPPに入りたい民主党政権に反対する人が多かった。

また2013年、最初の首脳会談から数か月後には、参院選がありました。安倍総理にとって、参院選ははっきり言って鬼門なわけです。しかし参院選が控えた中で、その交渉に入る。大きな政策判断をする時に、公約として、それをするんだということを明らかにして選挙に臨んだ方が進めやすいと。選挙が終わった後に大きい事をやろうと言うと選挙の時に国民から支持を得てなかったじゃないかと。国民に議論の機会を与えなかったじゃないかと。そういうことがまずありました。

それから東京オリンピック。ブエノスアイレスに行って、はっきり言って日本が優位という事前の評判は十分じゃなかったけれども、しかし、東北の復興が頭にあって是が非でもやりたいと。

もしかしたら忘れてるかもしれないですが、4年前の2009年。シカゴでオリンピックの開催地のコンペがありまして、東京も立候補するんですが、リオデジャネイロに負けてしまうわけですね。それから4年しか経っていない。負けたあと、また取りにいくわけです。しかしそれは本当に渾身の力を込めて、そして多く人の支持を経てあの結果になる。

それからロシアとの平和条約交渉。大変難しい交渉。今なお解決しないわけですから、本当難しいと思うんですけど、しかしそれも、その「成算」があったわけではない。しかし「私がやらなくて誰がやるんだ」と。という気持ちで、交渉を始めようと。2013年の4月のプーチン大統領との最初の会談で話をして、そして交渉が始まっていくと。

それから衆院解散の判断。本人に言わせると「結局は最後は自分で1人で決めるしかないんだよ」と。最初の解散、自分がデフレからの脱却ということを方針にして、そして2回目の消費税を上げるには、やはりその時期が尚早ということで、国民に意見を聞くと。これ一旦法律で決まったものですから国会で決まったことを変えようとなってくると、それは行政のトップはできない、三権分立ですから。そこで考えられて解散を打った。

その結果、勝利をするわけですけど、自分の決断、それがうまくかどうかよく分からないけど、それはやるべきだという。行動の一貫したところが一番印象に残ります。

■なぜ長期政権は実現したのか

―――第1次政権の“失敗”のあと、第2次政権で何を改善したことで政権が長期化し、これだけの影響力を持つ政権に至ったと思いますか。

長谷川元首相補佐官
それは私1人で語れない色々なことがあると思うんだけども、実は3・11の大震災、日本人全体が異常なハードシップ(苦難)に出会って、私も当時、役所をやめて民間人だったんですが、居ても立ってもいられず3月20日に、富ヶ谷の私邸に向かうわけです。

日本をみんなで立て直すために、こういうことを言ってくれと。こういうことをどこかに発表しようと、そういう6~7枚の演説の草稿みたいなものを総理の私邸で見てもらって。じっと読んでもらいました。おそらくその時には既に震災が発生してから2週間以上経って、とても多くの方が犠牲になっていて、もちろんそれは総理の頭の中にあったと思うんですけれど、その時に私が申し上げたのは、『また総理を目指すなら、しっかり経済政策を打ち出して、経済をマスターされないと、無理ですよ』ということを申し上げたことがあるんです。

それが全てだとは思いませんが、その年の夏から金融政策の超党派の勉強会のリーダーになって、それがアベノミクスという形で、特に1本目の金融については自分の考えを固めていった。出発点だったのではと思っています。

そして、その私が側にいて感じたことは、3・11当時、安倍さんは被災地に何度も赴いて、家を奪われた皆さんが集まってもらえる集会場、体育館でお見舞いするんです。私も七ヶ浜とか、塩釜、石巻とか一緒に行きましたが、総理が感じたことは、野党の一代議士だと、こういう事しかできないという悔しさと、被災された方への不十分さで申し訳ないと。この気持ちがすごく強いと思うんですよね。

実際、第2次安倍政権ができた直後に「全ての閣僚が復興大臣の気持ちでやってくれ」と。日本がひどい目にあった時、多くの国々が支援をしてくれた。そういったことが先ほど申し上げたオリンピックの開催地への立候補も含めて、行動の大きな原点として第二次安倍政権が出発したんじゃないかと思っています。