【内幕】「止めたい勢力」がいた日露交渉 安倍元首相銃撃1年…側近が語る「長期政権の舞台裏」③
■ロシアとの交渉難航「止めたい勢力」の存在
―――交渉が難航した経緯は。
長谷川元首相補佐官
私は経緯をこの目で見たわけじゃありません。ただ自分がタッチしていた、共同経済活動の交渉でも、いくつか感じることがありました。私は3つ背景があると思っています。
1つは、ロシアという国は、プーチン大統領がとても強く、大統領になって20年くらいになります。しかし、大統領だからといって全部を自分で決められるわけではないと感じました。
シンガポールで、首脳会談をした後、1956年の日ソ共同宣言を基礎にして、これを出しているわけです。
それを基礎にして交渉を始めるということで、その約1か月後、ブエノスアイレスの首脳会談の後に、外務大臣と次官、河野太郎さんと森健良さんを条約の交渉者と発表している。しかし、大統領は、平和条約の中身について、必ずしも安倍総理の思いと同じかどうかよくわからない。ただ「シンゾウの考えはわかってるよ」と言う。
はっきり言うと、領土問題がそこで解決されなければ平和条約を結んでも意味がないというのが我々の立場です。それは変えるべきでないので、本当にどこまでロシアの中で、気持ちが、考えが一本になっていたのかということについて、私は、少しクエスチョンマークを持っている。
例えば、モルグロフ次官と交渉する時も、共同経済活動の具体的にこういう分野を目指そうと。こういうプロジェクトの案があるけどどうだという話をするんですが、その次の会議で「私はそんなこと言ったかな」「それは必ずしもうまくいかないよ」と言う。主張を覆すことがしばしばあったんですよ。
これは安倍総理のプーチン大統領との合意を、プーチン大統領がそういう考えだから、それを具体的に深めようということが、必ずしもストレートにいかない。
それを「止めたい勢力」がいて、交渉には見えてこない。しかし、その次の交渉では、バックするようなことを言わざるを得ないような状況に追い込む勢力を、実は薄々感じていた。私のレベルでも。
それから2つ目は、残念ながら、我々に手が及ばない。しかし、それが大きく交渉のマイナス要因になったことが起こったと私は思っています。
例えば2014年ロシアのウクライナ侵攻。あの結果、西側諸国、特にアメリカなどが強かったのですけれども、やはりロシアに制裁をかけなければいけないと。
そうなると、ロシアで展開する8項目もそうですし、場合によっては、共同経済活動に具体化していくプロジェクトもそうですが、私としては、経済プロジェクトですから、有力な経済人を巻き込んで、日露でプロジェクトを進めることがですね、両者にとって意味があるという見方をロシア国内で作りたいと思っていた。
そういう経済人の多くは制裁に引っかかるわけなので、経済プロジェクトの関与者の幅を広げるということが出来なくなってしまった。
3つ目はコロナです。コロナがまん延したために、政府の職員、幹部の交流、一般の方の交流というのはなくなった。
8項目の柱の一つは、人々の交流を抜本的に拡充。観光、留学、ビジネス、そして地方と地方。つまり、モスクワというのは、ロシアというのは、人口の大半がウラル山脈の西にいる。どうしても関わりあいもヨーロッパの方が濃い。
実は日本も各地の地方で、ロシアと交流の実態もあるし、増やしたいと。「地方と地方の交流」をしたかった。
これが、コロナウイルスがまん延したためできなくなってしまった。私ども交渉が…訪問したくてもできなくなった。
この3つの背景が、非常に災いしたのではと思っています。
―――米国に対する不信はどうでしょうか。
長谷川元首相補佐官
その問題を直接、かつ高いレベルで話をしていたのは谷内局長です。これは局長の言葉を頂くしかないのですが、我々に分かるのは、そういった不信というのはあったのでしょう。
例えば、INF(中距離核戦力)全廃条約という米露間の合意があります。
かつてレーガン大統領が、おっしゃった有名な言葉。「Trust, but verify(信頼せよ、されど確認よ)」。そのverification(検証)について、米露間で意見が不一致になり、ついには守ってないじゃないかと、言い合いになってしまった。
一方、いわゆる長距離弾道弾について、戦略兵器削減条約(START)がありますがこれはある所でロシアの方からアメリカに更新してくれと言ったと報じられてます。
ロシア側にしてみると、安全保障のいわば一番強い部分を占めるところです。STARTの条約を更新してくれということは、上限をアメリカに守ってもらわないと、自分たちも安心できないということであると。
表向きどう言うかは色々あるんですけど、国によって、国内を見ますから簡単じゃないでしょうけど。
しばらく前はルーマニアとポーランドがミサイルを置いたとか、そういったようなこともあって、安全保障という一番国と国の力がぶつかり合う面で、ある種の不安というか、恐怖というと言い過ぎかもしれませんが、アメリカとの関係は神経質にならざるを得ないような。そういう点は脈々としてあると思います。
―――元島民を含め、墓参に行けない状態が続いています。当事者の方々への思いと、交渉を振り返り、この時こうしておけば良かったと思う点は。
長谷川元首相補佐官
元島民の皆さんや、共同経済活動に参加していただいた方は、そう思うのは当然のことと私は思います。そして、この現状が良いわけがない。
何とかもう一度で、ロシアと日本から胸襟を開き、仲良く付き合えるような関係に戻すようなプロセスを再開して欲しいと思います。おそらく現役の幹部も気持ちはそういうことだと思います。私は、ちょっと楽観的だと言われるかもしれませんけど、ソ連、そしてロシアには、いくつか弱みがあり、今日でも変わってないものがあるわけです。
ソ連がどうして崩壊したかと。色々な理由があると思いますが、大きく言われているのは2つ。アフガンに、無謀な戦争に突っ込み、国としての体力を弱くしてしまった。それから、あまりにも資源価格に依拠しすぎた国家財政構造。何となく今と似ています。
そして、今回ロシアの報じられる面、まだ報じられていない面も含め、様々な弱みというのはどんどん露呈しています。
あの時、ソ連が崩壊し、ロシアという国が生まれた時に、日露交渉が大きく進展できる、そういう場面が出てきました。結局平和条約もいらなかったんですけど。
私は今回のこういう状況を見て、まだまだチャンスは来ると思う。いつ、どこで、どういうことなどは申し上げる見識もありませんし、予知能力もありません。ただあの国の持っている弱みというものが、あまり変わっていない点は事実。
あのソ連が崩壊した後、90年代の半ばぐらい、人々の生活もなかなか大変で、あの時代に生まれてる方は減っています。つまり、今20代の後半から、30代になる人口が少ない。そして、かなりの方が今回のウクライナ侵攻で国外に出てしまった。
ロシアという国も、自分の国をもっと見つめ直し、その時に日本の存在感が、当然大きくなってくるのではないいかと。その時こそ、新しいチャンスだと私は思ってます。
―――ロシアには高めのボールではなくと。具体的に「高めのボール」とは、どういうイメージだったのでしょうか。
長谷川元首相補佐官
総理がそう語ったわけではないですが、私はそういう言葉を聞いた時に、私が理解したのは、領土問題を含む平和条約が締結されないと経済の分野での交流もないんだと。経済分野の交流を始めるのは、領土問題が日本側も納得できる形で決着しなければ進められないと。
―――四島返還を二島先行返還に切り替えるということが、低めのボールということでしょうか。
長谷川元首相補佐官
高めのボールと仰ったのは、山口の話とかシンガポールの話のずっと前です。ですから、リアリズムを私が感じたのはそこで、一番の高めのボールというのは四島一括返還。
共同経済活動は、ある種の上下分離だと思っています。上下分離ということで進めるとすれば、返還について、一括かどうかも含め、それが協議中であるにも関わらず、経済の方で動こうってことですから。そこは高めのボールが変わってるってことですよね。
―――時が経ってしまったのも実情で、住んでいるロシア人の方もいる。そういう現実を含め、総理は当初から四島一括は難しいと考える中で、どう進めていくか念頭にあったということですか。
長谷川元首相補佐官
悩んでいたと思いますよ。松本俊一さんの日ソ共同宣言に至る過程で、実質的に交渉を舞台として出版された記録とかも含め、全部読んだと仰っていました。
日ソ間のやりとり、記録など含め、旧島民の皆さんと直接お話を伺う中で、旧島民の皆さんのお気持ちを実現するには何が一番現実的に確度が高いんだと、お考えになったと思います。
1つ私たちが理解してたのは、やはり「四島で朝を迎えたい」という島民のみなさんの声ですね、私も心に響いた声でした。
―――四島一括返還という外務省が中心にやってきたアプローチと、総理が「高めのボールにこだわっていては動かない」っていう思いが、2016年の前からあったのですか。
長谷川元首相補佐官
それは私は聞いてませんが、やったことを見ればわかると思います。四島一括返還の約束はないんです。当時もなかった。もちろん今もない。だけど進めようとしたわけです。
―――旧島民の皆さんの“残された時間”について、総理はどんな思いだったのでしょうか。
長谷川元補佐官
すべて1つのタイミングで、きれいに片付けるやり方だけではないでしょう。段階的アプローチもある。それから、優先度が高いものから実現していくというやり方もある。それこそ、これからまさに平和条約の交渉はですね、あの時に河野大臣・森外務審議官(いずれも当時)、これから始めようという中で、具体的に動かなくなってしまったということです。
(※側近が語る「長期政権の舞台裏」④に続く)