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「僕たちは中国人に“復讐”される」山田洋次監督が語る戦争体験 “恐怖”と“貧困”――今の世界情勢については“なぜ、無気力になったのか…それを変えていかなきゃならない”

2023年8月12日 17:44
「僕たちは中国人に“復讐”される」山田洋次監督が語る戦争体験 “恐怖”と“貧困”――今の世界情勢については“なぜ、無気力になったのか…それを変えていかなきゃならない”

終戦の日を前に、映画「男はつらいよ」などを手がけた山田洋次監督が、今回、日本テレビの取材に対し、旧満州から引き揚げた時などの戦争体験を語りました。戦争を経験した山田監督は、いまの世界情勢をどう思うのか。

■山田洋次監督が少年時代に体験した”戦争”

映画「男はつらいよ」のポスターが壁一面に貼られた部屋で出迎えてくれたのは、日本映画界が誇る巨匠、山田洋次監督91歳。9月1日には90作目となる家庭や仕事の悩みを抱える息子と、東京の下町で生き生きと人生をおう歌する、母親との人間模様を描いた『こんにちは、母さん』が全国で公開されます。

これまで戦争と家族をテーマにした映画も手がけている山田監督は、今回、日本テレビの取材に対し自身の戦争体験を語りました。

山田洋次監督
「僕たち、少年としては、ただただ早く引き上げの日が、こないかなと」

■「僕たちは中国人に“復讐”されるんじゃないか」

1933年、当時2歳の山田監督が家族と共に移り住んだのは、中国東北部に日本が主導して建国した旧満州でした。

山田洋次監督
「大体威張ってたね、日本人は」「知り合いのおじさんと一緒に馬車に乗って、料金の問題でもめて、いきなり(中国人の)馬車の御者をぴしゃりと殴っちゃうみたいな」「子供心に『ああかわいそう。あんな事しなくてもいいのに』と」

しかし、日本の敗戦で生活は一変。当時中学生だった山田監督が抱いたのは、“復讐の恐怖”。

山田洋次監督
「急に怖くなったね。つまり、僕たちは中国人に“復讐”されるんじゃないかと」「恐怖を持っていたけれども、そういう事はなかったですね」

一方、旧ソ連兵からは…

山田洋次監督
「ロシア(旧ソ連)の兵隊は乱暴だったよ。突然家の中に入ってきて、鉄砲で俺たちを脅かしておいて、タンスをあけて着物をダーっと持っていったりして」

■苦しめられた「貧困」

恐怖と共に山田監督が苦しめられたものは「貧困」。常に飢えていたといいます。

山田洋次監督
「日本人はみんな一文無しになっちゃうわけだ」「どんどん物価が上がって、米なんかとても買えないわけ」「それで“コウリャン”ていう、大体、(それは)馬が食べるもんだから」「それをグツグツ1時間も2時間も煮て…」

硬い“黒パン”が手に入った時には…

山田洋次監督
「お袋はなるべく均等にする。大きいとか小さいとかで、兄弟げんかが始まるわけだ。ある時、突然お袋がわーっと泣き出したことがあったね」「悲しくなっちゃったのね。その硬いパンを巡って兄弟が喧嘩している姿がね。妙に覚えているな 」

■戦争に対する”あきらめ”に対し「変えていかなきゃいけないよな」

日本の敗戦からおよそ2年。大連から博多港へ引き揚げることになりますが…

山田洋次監督
「飢餓状態は日本に帰ってもずっと続いたね」「おなかすきっぱなしでね」

来週、78回目の終戦の日を迎える日本。ウクライナ侵攻が続き、核使用の懸念も高まる現実に山田監督は―

山田洋次監督
「原子爆弾なんて間違っている。こんなわかりやすいことが、どうして守れないかってことだな人間は」「深い絶望っていうか、ニヒリズム(虚無主義)っていうか、そんな中にもう諦めてボーっとしているってのが、今の僕たちじゃないのかね」「なぜこんなに無気力になったかってことが、とても大問題だね。それを変えていかなきゃいけないよな」

(2023年8月12日放送「news every.サタデー」サタスペ)

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