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戦後80年…「敵ではなく人間」被爆死米兵を調べ続けた被爆者【キキコミ】

2025年3月25日 0:50
戦後80年…「敵ではなく人間」被爆死米兵を調べ続けた被爆者【キキコミ】
生活や仕事に関わるニュース。「今、起きていること」。当事者が抱える悩みや本音、キーパーソンが進める“新たな解決策”など。知ったら、私たちも何か行動したくなる?ような…情報を、櫻井翔キャスターが自ら「取材(聞き込み)」しつつ、お伝えします。(3月24日放送『news zero』より)

◇ ◇ ◇

戦後80年となる2025年、私たちは「いまを、戦前にさせない」をテーマに様々な特集をお伝えしています。

広島市内のビルの1階に建てられた慰霊碑。

アメリカ国旗が添えられ、英語で追悼の言葉が書かれています。

建てたのは、被爆者の森重昭さん87歳。

まさにこの場所で亡くなったアメリカ兵らを追悼するため、自費で慰霊碑を作りました。

○被爆者
森 重昭さん(87)
「『どうしてもここでお願いしたい』と言って、1年半かけて(ビルのオーナーを)説得しまして」

○櫻井
「ここでアメリカ兵も被爆された?」

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「ええ」

9年前の2016年、原爆を落とした国のトップとして、初めて被爆地・広島を訪れたオバマ大統領。

○アメリカ
 オバマ大統領(当時)
「広島で命を落としたアメリカ兵たちの家族を捜し当てた男性がいます。家族を失った苦しみは、自分と同じだと信じたからです」

スピーチでこう紹介したのが、森さんでした。

感極まって言葉に詰まると、2人はそっと抱き合いました。

森さんが生涯をかけて取り組んだのが、広島で被爆死したアメリカ兵の調査。

12人いたことを突き止めたのです。

ご自宅で見せてくれたのは、箱いっぱいの手紙。

○櫻井
「何通くらいあるんですか?」

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「300(通)くらいあると思います」

○櫻井
「300…」

森さんは、8歳のときに、爆心地から2.5キロの場所で被爆。

戦後30年たったころ、当時のことを調べるなかで出会ったのが、被爆者が描いた、この絵です。

原爆が投下され、焼け野原となった広島の街を憲兵に連れられて歩く、アメリカ兵が描かれていました。

捕虜として連行された広島市内で、母国が落とした原爆によって、次々に命を落としたのです。

しかしアメリカ政府は、原爆で亡くなったことを遺族に伝えておらず、森さんは“真実を伝えたい”と遺族を捜す活動を始めました。

○櫻井
「大変な労力と時間をかけての調査だったと思うが、その時の森さんの生活は、どういった日常だったんですか?お勤めになられていたんですか?」

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「そうです。日曜と祝日だけ (調査していた)」

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「休日に黙って出て行く。何も言わないで」

妻や子供にも内緒で始めた遺族捜し。

当時アメリカ兵を目撃した1人1人に会いに行き、情報を集めていたのです。

さらにある日、妻・佳代子さんが驚く出来事がありました。

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「いきなり国際電話の請求書を見せられて、 『これ払ってくれ』って。7万いくら」

○櫻井
「いや結構な…」

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「30代の時ですからね。そんなに豊かな経済じゃない」

森さんは名前だけを頼りに、アメリカ各地に、国際電話もかけていたのです。

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「思わず『やめてください』って私(言った)。言ってやめる人じゃないことも分かっていた」

当時、夫婦でこんな会話をしたといいます。

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「『自己満足のためにするんだったら、やめてください』とはっきり言いました。そうしたら、『ご遺族に本当のことを知らせたい』と。それだったら私も協力して」

夫婦二人三脚で続けてきた、終わりの見えない遺族捜し。

アメリカに手紙を送るときには…。

○櫻井
「英語はどうされたのですか?得意だったのですか?」

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「いえいえ、辞書をどれだけ潰したか」

○櫻井
「独学で…。1通書くのに、どれくらいの時間をかけたのですか?」

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「月単位」

○櫻井
「月!?いやそうですよね」

また、同じ被爆者から厳しい言葉をかけられたこともあったといいます。

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「『あんたも被爆者なのに、なんで敵国の人を調べるのか』って」

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「それは言われたね」

○櫻井
「言われました?」

○被爆者
 妻・佳代子さん(82)
「言われました」

○櫻井
「何が森さん自身を突き動かしたのですか?なぜそこまで思いを強くもってやられたのですか?」

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「最初は(被爆死した米兵が)12人とはわからなかった。見つかるとは思わなかった。だけど1人見つけたら、とても喜ばれた。だから、続けることができた」

アメリカ兵12人全員の遺族を特定した森さん。

2018年には国連本部に招かれ30か国以上の外交官らを前に、こう語りました。

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「私が40年以上の日月を費やして被爆調査をやったのは、敵国の人を調べたのではありません。人間を調べたんです。私がやったことは間違いではなかったと確信しています」

森さんは去年、腸の病気で入退院を繰り返し、体力が低下。

それでも今は、長崎で被爆死した8人のイギリス兵とオランダ兵の調査をしていて、そのうち6人の遺族を特定しました。

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「あと2人、頑張ってやろうと思って」

○櫻井
「今なお…」

命あるかぎり、活動を続けていくといいます。

あの日「核なき世界」の実現を訴えたオバマ氏。

○櫻井
「オバマさんが広島に来てから9年という月日がたちますが、世界の状況は前向きに変わっていったと感じますか?」

○被爆者
 森 重昭さん(87)
「逆になっているんじゃないかなと僕は思う。みんな敵と味方で考えていらっしゃるようだけど、そうじゃないんだと。相手が、敵でなく人間だと思ったら、バカな殺し合いはしないはずだから、そこのところだけはしっかり気づいてほしいんです」

(3月24日放送『news zero』より)

最終更新日:2025年3月25日 0:50
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