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【箱根駅伝100回シンポジウム】大八木総監督が「声かけ」の裏側語る 「男だろ!」も披露

2023年5月1日 5:00
【箱根駅伝100回シンポジウム】大八木総監督が「声かけ」の裏側語る 「男だろ!」も披露
箱根駅伝100回記念シンポジウムに登壇した駒澤大・大八木総監督
前回の箱根駅伝駒澤大学を大学駅伝三冠に導いた大八木弘明総監督が30日、「駅伝発祥の地」と言われる京都で「箱根駅伝100回記念シンポジウム」に登壇しました。

京都出身で花王陸上部監督の高岡寿成氏、京都・洛南高陸上部顧問の奥村隆太郎先生らとともにパネリストを務めた大八木総監督は、現役時代に社会人を経て駒澤大学に入学し、箱根駅伝を3度走りました。当時について大八木総監督は「箱根駅伝はラジオで聞いていてあこがれがありました。年齢制限(当時は28歳以下)で3回しか走れず悔しかったですが、実業団から来たので多少なりともプライドがありました」と、5区と2区で区間賞を獲得した大学時代を振り返りました。

その後コーチから監督となりましたが「若いころは一方通行。選手は怖くて何も言えなかったと思います。今は自分で言うのも何ですが、優しくなったと思います。田澤(廉)なんかはタメ口みたいに話してきますが、それもかわいくなってくるんです」と、自身の変化を笑顔で語りました。

また観客のリクエストに応えて「男だろ!」のかけ声を披露するも、「最近は『ラスト1kmで頼みます』と(選手に)お願いされることもある」と苦笑い。それでも、前回の大会前に新型コロナに感染し苦しんだ田澤廉選手(トヨタ自動車)には「そういう選手にそういう言葉は使えないと思い『信じてるぞ』『お前だったらできる』という声かけになりました」と、選手への気配りを明かしました。

今年3月いっぱいで監督を退任し、現在は総監督として田澤選手、鈴木芽吹選手(4年)、篠原倖太朗選手(3年)らトップレベルの選手を中心に指導している大八木氏は「来年は100回記念ですので、すごく盛り上がるのではないかと思います。ファンの方には見て感動、選手には走って感動してほしい。そして100回だけでなく、世界に行く選手の応援もしていただけたら」と、箱根駅伝から世界の舞台を見すえ、これからも指導を続けます。

なお日本初の駅伝は1917(大正6)年に京都・三条大橋から東京・上野不忍池までを走った「東京奠都記念東海道五十三次駅伝徒歩競走」とされています。箱根駅伝は3年後の1920年(大正9)年に始まり、途中戦争による中止・中断を経て、来年第100回の記念大会を迎えます。
最終更新日:2024年11月8日 17:44