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【会見全文】羽生結弦プロ転向表明3 競技者“第一線”退く

2022年7月19日 19:45
【会見全文】羽生結弦プロ転向表明3 競技者“第一線”退く
会見を行う羽生結弦選手 写真:日刊スポーツ/アフロ

フィギュアスケート五輪連覇の羽生結弦選手が19日、会見を開き、第一線を退いてプロに転向する考えを表明しました。「死力を尽くして頑張りたい」と、今後のフィギュアスケートへの思いや「完璧でいたい」と、自身に対する率直な思いを明かしました。

▽以下、羽生結弦選手の一問一答

――今後、競技会の緊張感が恋しくなることはないか?

競技会の緊張感が恋しくなることは絶対にないと言い切れます。競技会としての緊張感だったり、そういったものを味わってもらえるようなことをしたいなと思っていて。

競技会をつくったり、大会をつくったりは考えていないですけど、みなさんが好きな、みなさんが応援したくなるような羽生結弦って、挑戦し続ける姿であったり、独特な緊張感であったり、そういった中での演技だと僕は思っているので、そういうものをまた感じていただけるような、みなさんに「競技者ではなくなったから気が緩むな」という感じで見られるようなスケートではなくて、毎回毎回緊張できるような、本当に全力でやっているからこその緊張感をまた味わっていただけるようなスケートを常にしたいと思っているので、それはないかなと。

むしろもっと緊張させてしまうかもしれないし、もっともっと緊張するかもしれないですし、僕自身も。でもそれくらい1つ1つの演技に自分の全体力と全神経を注いで、ある意味では死力を尽くして頑張りたいと思っています。

――4回転が過熱している時代、チャンピオンとして引っ張ってきた自負、これからのスケート界への期待

僕がフィギュアスケートを始めてフィギュアスケートのトップの選手たちに憧れを持った時代は、4回転ジャンプがプログラムに2本入っていたらすごいことだったんですよね。

今の時代みたいに4回転ジャンプが何種類も跳べるわけではないですし、1種類で2本だったり、トリプルアクセルがあったり、そういった時代でした。

それから4回転がなくなったり、4回転を跳ばなくても勝てるような時代が来たり、いろいろあって今現在に至っています。

でも僕が好きなフィギュアスケートは僕自身が憧れた時代のスケートなんですね。あの時代に4回転ジャンプを3本跳んだら優勝なのかと言われたらそんなこともなくて、トリプルアクセルをいっぱい跳んだから勝てるのかと言ったらそんなこともなくて。

もっともっと心から何かを感じられる演技、この人の演技を見たいなと思ってもらえるような演技をこれからも続けたいなと思っています。

僕自身がそういう演技をこれまでもやってこられたかどうかは、自分だけでは評価しきれないですけど、でもこれから僕自身がそういう演技をもっとしたいなと思っています。

これからの競技フィギュアスケート界は、毎年ルールがちょっとずつ変更があるんですけれども、これからルールが変わったり、またいろいろなことがあるかもしれないですけど、僕は僕の大好きだった時代の僕が追い求めている理想の形のフィギュアスケートをさらに追い求めたいなと思っています。

――競技者としての自身の努力をどう振り返っているか?また、それがプロスケーターとしてどうつながると思っているか?

まず平昌五輪で連覇した時点で競技を終えて、プロとしてさらにうまくなっていきたいなと思った時期があったという話をしたんですけど、あのままの自分だったら今の自分の努力の仕方だったり、自分がどうやったらうまくなるかとか、そういったことを感じられないまま終わってしまったかもしれないなと、本当の意味で終わってしまったかもしれないなと思いました。

あの頃はまだまだ4回転ジャンプをルッツ、フリップと、ある意味今の「新時代」みたいなものを象徴するようなジャンプが増えてきている段階ではありましたけど、そういったジャンプを自分も追い求めて、またフィギュアスケートのいわゆる一番うまくなれる時期というか、フィギュアスケーターってこれくらいの年齢で競技を終えるよねって、ここからうまくならないよね、むしろ停滞していったり維持するのが大変だったりするよねという年齢がだいたい23~24歳ぐらいで切り替わってしまうというのが定例みたいなものでした。

だけど僕自身は23歳で平昌五輪を終えて、それから今の今まで、ジャンプの技術も含めて、かなり成長できたと思っているんですね。

それは、その中でどういう努力をしたらいいか、どういう工夫をしていけばいいかが分かったからこそ、今があるんだなと思っています。そういう意味で今が一番うまいんじゃないかなと思っています。

そういう経験があったからこそ、たとえ自分が30歳になろうとも、40歳近くになろうとも、40歳までスケートやっているか分からないですけど、でも今までは「この年齢だからできなくなるな」と思っていたことが、なくなるんじゃないかなと、ちょっとワクワクしています。

そういう意味では、北京五輪までやり続けてきて、努力し続けてきて、「これ以上ないくらい頑張った」と言える努力をしてこられて良かったなと思いますし、またこれからも改めていろいろな努力の仕方だったり、頑張り方だったり、いろいろ試行錯誤しながら、さらにうまくなっていけたらいいなと思っています。

――競技人生の区切りを迎えた今、正直に羽生結弦として生きてきて大変だったこと、今だから明かせる重荷になったことは?

僕というとまたわからなくなるので難しいですけど、僕にとって羽生結弦という存在は常に重荷です。本当にすごく重たいです。

こうやって会見でお話しさせていただくときも、ここに登壇させていただくときも、そして決意表明してくださいと言われたときも、ものすごく緊張して今まで考えてきたことがすべて吹っ飛んでしまうぐらい、手足も真っ青になってしまうぐらい緊張していました。

そういった意味で、自分自身も完璧でいたいと強く願いますし、これからも完璧でいたいと、もっと、もっと、もっといい自分でいたいと、もっといい羽生結弦でいたいと思ってしまうので、これからもまた重いなと、いろいろなプレッシャーを感じながら過ごすことにはなってしまうと思うんですけれども。

でもその中で、こういう姿を見て応援してくださる方々はたくさんいらっしゃいますし、また北京五輪のように自分がちょっと心が崩れてきてしまったときとか、あのとき「努力が報われなかった」とか、「報われない努力があるんだ」とか「幸せって本当に心の中から言えない」とか、いろいろな言葉を言ってしまっていましたけれども、そういった自分がいることも皆さんにわかっていただいたり、そういう自分を応援してくださっている方々がいるのもうれしいなとは思っています。

いつもいつも羽生結弦って重たいなと思いながら過ごしていますけれども、それでもその羽生結弦という存在に恥じないように生きてきたつもりですし、これからも生きていく中で羽生結弦として生きていきたいなと思いますし。

ただその中で、先ほどの決意表明の中でも話させていただいたように、自分の心をないがしろにすることはしたくないなと。

これまで演技をしていくにあたって、本当に心が空っぽになってしまうようなこともたくさんありましたし、わけもなく涙が流れてきたり、ご飯が通らなかったり、そういったことも多々ありました。

正直いわれのないことも言われたり、そんなたたかなくてもいいじゃんと思うようなこととか、正直いろいろなことがありました。

けど、人間としてもいろいろな人が信頼できなくなったり、誰を信用していいのかわからないときももちろんありました。

でもそれは羽生結弦だからではなくて、皆さんがそう思っているんだと思いますし、大なり小なり皆さんがつらいんだなと思っています。

だからこそ僕自身がこれからも生きていく中で、生活していく中で心を大切にしてもいいんじゃないかなと。

もっと自分の心が空っぽになってしまう前に、自分のことを大切にしてきてくださった方々と同じように、自分自身も大切にしていかなきゃいけないなと今は思っています。

なので皆さんも、自分を応援することでいろいろなことを感じていただけたり、生活の一部だとか、生きがいだと言ってくださることはとてもうれしいですし、そういうふうにこれからもなっていくつもりです。

ただ、そういった中でも自分の心を大切にするようなきっかけの一つであったらいいなと思います。

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