体操・内村「東京五輪がなくなったら…」
東京オリンピックで自身4度目のオリンピック出場を目指す内村航平選手(32)が、日本テレビの独占取材に答えました。
まずは、過去出場したオリンピック3大会を一つ一つ振り返った内村選手。2008年、自身初の出場となった北京オリンピックを、「最高に楽しかった思い出しかない。そもそも初めて日本代表で出た試合だったので、右も左も分からないまま強豪選手たちと共に試合ができてすごく楽しかった。プレッシャーは何もなかった」と振り返りました。内村選手は、当時19歳ながら個人総合で銀メダルを獲得しています。
続いて2012年、個人総合で金メダルを獲得したロンドンオリンピックを振り返り、漢字一文字で「難」と表現した内村選手。その理由を「北京で銀メダルを獲得してから3年間の世界選手権で連覇し、ロンドンオリンピックでは金メダル確実と言われている中でプレッシャーを感じた。それまで自分はプレッシャーと無縁な人なのかなと思っていたが、実際に競技を行うと、意外とプレッシャーを感じていることに気付いた」と振り返りました。
さらに、2016年のリオデジャネイロオリンピック。悲願の団体金メダルを獲得したこの大会について、内村選手は漢字一文字で「幸」と振り返りました。「ロンドンオリンピックの個人総合で金メダルを獲得し、さらにオリンピックでは初めて団体で金メダルを獲得することができた。世の中に体操を広げていきたいと思い出したのも、ちょうどリオオリンピックの頃で、日本の体操が世界で一番良いと思っているからこそ、団体で金メダルを獲得しないと意味がないという思いの中での団体での金メダル獲得、さらに個人総合でも連覇することができて幸せ過ぎる。こんないいことがあって、これから先にいいことないんじゃないのかなって思うぐらい良い思いをしているなーと感じた」と、「幸」と表現したリオ五輪を振り返りました。
また、内村選手は4年に1回開催されるオリンピックを「運も持っていないといけない」とも語りました。
その理由を、「スポーツは実力が全てだと思っているが、オリンピックだけは運という言葉を使わないと説明できない何かがあるなというのがあって、運というものをすごく感じます」と、現役最多の7つのメダルを獲得した過去3度のオリンピックの実体験を基に振り返りました。
東京大会が自身4度目のオリンピックとなる内村選手ですが、リオオリンピックからの4年半に歩んできた道は苦難の道のりでした。
2019年4月の全日本選手権の演技中に肩を負傷し、12年ぶりに日本代表から落選しました。肩の痛みは完治せず、満身創痍の内村選手は6種目で競う「個人総合」ではなく、「鉄棒」の1種目に専念するという大きな決断をしました。
その理由を「コーチから『本気でオリンピック出場を狙うんだったら絶対種目を絞ったほうが可能性が高い。もがいて苦しくてオリンピックに出られないより、確実に気持ちよく行ったほうがよくないですか』と助言され、自分一人がオリンピックに行くわけではないので、僕に携わっている色んな人と一緒に行くみたいな気持ちになれた。そこで鉄棒1種目に絞るという決断の踏ん切りがついた。
2018年の世界選手権でも銀メダルを獲得できているし、鉄棒はメダル獲得の可能性が高いと思っている」と語りました。
鉄棒1種目に絞って練習を重ねた内村選手は、去年11月に行われた国際競技会で、H難度の大技「ブレットシュナイダー」を成功。切り札として練習し続けてきた大技を初めて成功させ、2019年の世界選手権金メダルの得点を大きく上回る15.200点をマークしました。
さらにこの大会で注目を集めたのが、閉会式での内村選手のスピーチでした。「日本の国民の皆さんがオリンピックができないという思いが80%を超えている。できないじゃなくて、どうやったらできるかを皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしいと僕は思います」
批判覚悟で切なる思いを訴えた内村選手。その理由を「もしこの状況で五輪がなくなってしまったら、大げさに言ったら死ぬかもしれない。それくらい喪失感が大きい。それだけ命かけてこの舞台に出るために僕だけじゃなく東京オリンピックを目指すアスリートはやってきている」と、東京五輪への強い思いを明かしました。