「1995年は特別な年」米殿堂入りのイチロー氏 30年前の阪神・淡路大震災を振り返る「ファンに対する向き合い方が変わった」
オリックス・ブルーウェーブ時代のイチロー氏(写真:時事)
MLB・マリナーズなどで活躍したイチロー氏が日本時間22日、アジア人初となるアメリカ野球殿堂入りに選出。30年前に起きた阪神・淡路大震災を振り返り、自身の心境を語りました。
イチロー氏は当時、神戸を本拠地としていたオリックス・ブルーウェーブに所属。震災が起きた1995年に「がんばろうKOBE」を合言葉に掲げ、リーグ制覇を果たしました。
「プロ野球選手として、チームが結束することはなかなかない。当然ですよね、自分の結果を出さないと首切られちゃうから。春から秋まで、日本シリーズが終わるまで結束できたのは、あの年だけだと思います」と1995年当時を振り返ったイチロー氏。「春はみんななんとなく希望を持っている。ただシーズンが始まると、当然結果が出てくるわけですから。勝てないチームは早い段階でモチベーションが下がっていく。勝っているチームも、結局勝っているから結束していくという流れで。それは日本でもアメリカでも同じ」と語りました。
翌年チームはリーグ2連覇を達成し初の日本一に輝きましたが、イチロー氏は「1996年、阪神・淡路大震災の翌年ですね。95年に達成できなかった日本一を目指してプレーしましたけど、春先からできたかと言われるとそうではなかったんですよね」と明かしました。
「夏を越して、ようやく勝つイメージができてくる。それでようやく結束していく。プロ野球ってそういうものなんですよ」とイチロー氏は話します。「1995年は、そういう意味でも特別な年でしたね。プロ野球の選手が春から秋まで結束して結果を残す。それで神戸の変わり果てた街並みを見た時に、自分たちに何ができるか。みんな考えました。現場に行って大変な人のお手伝いとか現場に行ってやることもできたと思います。僕たちができるのはプロ野球選手としての使命。当時まだオリックスは優勝したことがなかったですから。春の段階で優勝を目標に掲げてはいけないチームだったんですよ。終わった時には神戸のファンの方々、みんなから感謝されました。当時は野球なんてやっている場合じゃないという声もあった。僕らの中にもあった。プロ野球選手って、こういう普通に生活をしていたらできないことを形にできる職業なんだ。すごくその実感があった。確かにファンに対する向き合い方が大きく変わった出来事でした」と当時を振り返りました。
イチロー氏は当時、神戸を本拠地としていたオリックス・ブルーウェーブに所属。震災が起きた1995年に「がんばろうKOBE」を合言葉に掲げ、リーグ制覇を果たしました。
「プロ野球選手として、チームが結束することはなかなかない。当然ですよね、自分の結果を出さないと首切られちゃうから。春から秋まで、日本シリーズが終わるまで結束できたのは、あの年だけだと思います」と1995年当時を振り返ったイチロー氏。「春はみんななんとなく希望を持っている。ただシーズンが始まると、当然結果が出てくるわけですから。勝てないチームは早い段階でモチベーションが下がっていく。勝っているチームも、結局勝っているから結束していくという流れで。それは日本でもアメリカでも同じ」と語りました。
翌年チームはリーグ2連覇を達成し初の日本一に輝きましたが、イチロー氏は「1996年、阪神・淡路大震災の翌年ですね。95年に達成できなかった日本一を目指してプレーしましたけど、春先からできたかと言われるとそうではなかったんですよね」と明かしました。
「夏を越して、ようやく勝つイメージができてくる。それでようやく結束していく。プロ野球ってそういうものなんですよ」とイチロー氏は話します。「1995年は、そういう意味でも特別な年でしたね。プロ野球の選手が春から秋まで結束して結果を残す。それで神戸の変わり果てた街並みを見た時に、自分たちに何ができるか。みんな考えました。現場に行って大変な人のお手伝いとか現場に行ってやることもできたと思います。僕たちができるのはプロ野球選手としての使命。当時まだオリックスは優勝したことがなかったですから。春の段階で優勝を目標に掲げてはいけないチームだったんですよ。終わった時には神戸のファンの方々、みんなから感謝されました。当時は野球なんてやっている場合じゃないという声もあった。僕らの中にもあった。プロ野球選手って、こういう普通に生活をしていたらできないことを形にできる職業なんだ。すごくその実感があった。確かにファンに対する向き合い方が大きく変わった出来事でした」と当時を振り返りました。
最終更新日:2025年1月23日 6:00