体操・北園丈琉 “夢”諦めなかったワケ
東京五輪で連覇がかかる体操の男子団体。日本の金メダルの鍵を握ると期待されているのが、日本代表最年少の18歳・北園丈琉選手です。
しかし五輪3か月前に大きな試練に直面。「僕の五輪は終わったのかな」と涙した事もあったという北園選手に「news every.」の陣内貴美子キャスターが思いを聞きました。
●“内村2世”
北園選手は3歳から体操を始めました。9歳の頃、目標の選手を聞かれると…「内村航平選手です。美しい体操ができる選手になりたいです」と答えていました。
内村選手のような美しい体操を目指し、バレエも特訓。そして小学生の頃から、すでに東京五輪の金メダルを目標に練習に励んでいました。15歳の時にはユースオリンピックで5冠を達成。“内村2世”と呼ばれるようになりました。
●「僕の五輪は終わった」五輪3か月前の大ケガ
今年4月から始まった東京オリンピック選考会でも好スタートを切ります。全日本選手権の予選では、つま先まで乱れのない、内村選手のように美しく、正確な体操を披露しました。ミスのない演技で、予選は1位。子供の頃からの目標に向けて順風満帆な滑り出しでした。
しかし、2日後の決勝。鉄棒の演技でアクシデントが起きます。離れ技で落下し、両肘の靱帯を損傷し、右肘を剥離骨折。オリンピック3か月前に大けがをしたのです。
北園丈琉選手
「ヒジがもうぐらぐらで、力が入らなくて。ずっと本当にオリンピックに向けてやってきた。そこにかけていろんな事を頑張ってきた。なんでよりによって今、今のこのタイミングなのかなって。僕のオリンピックは終わったのかなって思いました」
遠のく、子供の頃からの目標。涙があふれ、大好きな体操すら嫌いになりそうだったといいます。
●憧れの内村航平選手からの電話
しかし、その数日後、あこがれの選手から初めて電話がかかってきました。
北園丈琉選手
「びっくりしました。びっくりして出るのに結構時間がかかった」
突然の電話の相手は、体操界のキング・内村航平選手。
北園丈琉選手
「本当に心配してくれました。いろいろ話を聞いてくれて、『絶対に諦めなかったら、本当に大丈夫』といってもらいました」
あきらめなければ大丈夫。キングのその言葉は、前を向く力になりました。倒立も腕立て伏せもできないところからリハビリをスタート。
北園丈琉選手
「1週間たったら少しできるようになって。2週目ぐらいからは技ができるようになりました」
痛みは取れなかったものの、周囲のサポートもあり、酸素カプセルなどで治療を続け、徐々に負荷を増やしていったといいます。
北園丈琉選手
「(ケガをして)周りの人々の大切さを改めて実感できた。そこは良かったと思います。気づけて良かったと思います」
●東京五輪最終選考会
東京五輪の最終選考会は、6月に行われた全日本種目別選手権。大けがからわずか2か月でしたが、オリンピックに行くには絶対に失敗は許されません。プレッシャーがかかる中、北園選手は次々に完璧な演技を見せます。
そして、オリンピックをかけた最後の種目は、あの大ケガをした鉄棒でした。「自分の演技をすればいける」そう思って臨んだという演技。難しい離れ技も成功。完璧な演技を完璧な着地で締めくくった時、北園選手の目には涙が光っていました。
北園丈琉選手
「やっと終わったなって。長かったなぁと思いました。緊張の糸があそこでほどけたというか、楽になったという感じでした。本当にうれしかったです。けがをしていろいろ考えました。これから成長していく上で、体操界を引っ張る上で(ケガは)必要だったと思います」
ケガを乗り越え、東京五輪の代表切符をつかみ取った北園選手を、内村選手も称えました。
内村航平選手
「ケガをしてここまで這い上がってきた。精神力もすごく強いですし、やり遂げる実行力もとてつもないですね。本当に、選ばれし者ですよ」
●東京五輪で金メダルを
そして、まもなく開幕する東京五輪に向けて。北園選手の目標はもちろん、子供の頃と同じ金メダルです。
北園丈琉選手
「団体の2連覇がかかっています。五輪で体操で金メダルをとるというのは宿命づけられている。その伝統を受け継いで、金メダルを絶対に獲得したいです」