パラ金・木村敬一 母校に金メダルがい旋
東京パラリンピック競泳男子100メートル バタフライS11(視覚障害)で金メダルを獲得した木村敬一選手(31)が、中学から6年間、母校としていた筑波大学附属視覚特別支援学校を訪問しました。
体育館に集まった合計43人の小中学生に、パラリンピックの舞台裏や、パラアスリートとして生きることについての思いを語りました。
滋賀県出身の木村選手は、中学部への進学を機に上京。高校を卒業するまでの約6年間、寄宿舎で生活をしながら学校に通い、水泳の練習をしていました。
「水泳部に入って12mプールで泳いでいました。僕の先輩にも(競泳で)パラリンピックに出ている選手は、実はこの学校にたくさんいる。12mプールでもパラリンピックに行けると聞かされていました」と振り返った木村選手。
パラリンピックが目標になったのは中学3年の時でした。
「パラリンピックっていう場所がどういうところか、何秒で泳げば行けるのかも分からなかった。中学校3年生の時に初めて海外で試合をさせてもらった時に、周りの選手がめちゃくちゃ速くて。パラリンピックはこういう人たちが行くんだと知った時に、『自分もいつかパラリンピックに出て金メダルをとりたい』と、生まれて初めて目標が持てた」
さらに東京パラリンピック前、木村選手は“ある願掛け”をしていたことを告白。
「今年の2月からずっと、朝ご飯は同じモノを食べ続けていました。ご飯と味噌汁と納豆。納豆はちなみに嫌いなんですよ。けれども、練習でこれ以上、頑張れることはない。嫌いなモノを我慢してたら、もしかしたら神様が見ているかもしれない。『頼むから僕に金メダルをとらせてくれ神様』って、それぐらいの思いで納豆を必死に食べ続けた」と、金メダリストの意外な素顔に会場からはクスクスと笑い声があがりました。
最後に「みんな目が悪いじゃないですか。どこかで人に助けてもらわないといけないことがある。だからこそ『助けてあげたい』って思ってもらえるような人間になって欲しい」と話した木村選手。
「僕らはスポーツをやっていて、みんなから応援してもらえるような人にならなきゃと思って、常に生きています。パラリンピックに出ている選手は、みんな応援してもらえる選手です。自分一人では絶対生きていけないから、誰かに助けてもらえるような優しい人間になって欲しいなって思います」と後輩たちにメッセージを送りました。