「1日50~60本ひたすら跳んでいた」平野歩夢 金メダルを呼び込んだ”トリプルコーク1440”
11日、日本スノーボード初の金メダルを獲得した平野歩夢選手 (写真:AFP/アフロ)
11日、スノーボード・男子ハーフパイプ決勝が行われ、平野歩夢選手が金メダルを獲得しました。
決勝の滑りを「100点」と振り返った平野選手。その後行われた記者会見では、「この4年間すべての時間を含め、今日チャレンジを達成した」と悲願の金メダルに充実感を示しました。
また、今大会で引退を表明しているショーン・ホワイト選手(米)について問われると、「ショーンはいつも自分の中のチャレンジを僕に見せてくれる存在。彼には背中を押されるし、リスペクトを送りたいです」と思いを明かしました。
自身の今後については、「これからも自分だけのチャレンジを追っていければ。自分自身と向き合いながら考えていきたい」と更なる挑戦を見据えました。
◆以下、記者会見での主なコメント
――きょうの滑りは何点でしょうか?
「点数でいったら何点だろうな…練習以上のことが(本番で)できたというのは、今の自分のパフォーマンスの中でもMAXを出せたということなので満足していますね」
――今日は100点ということでしょうか?
「そんな感じです(笑)」
――これからどんな王者ロードを進んでいきたいですか?
「まだ終わったばかりで想像しづらいですけど、まずは落ち着いて、これからも自分だけのチャレンジを追っていければと思います。それがどういう道のりになるかは自分自身と向き合いながら考えていきたいです」
――去年もスケートボードで(東京)五輪に出場しました。スケートボードがスノーボードにおいてプラスになったことはありますか?
「この挑戦っていうのは、ただ挑戦するだけでなく色々な気持ちとの戦いで。自分との戦いは目に見えないものだらけで、そういうものを一つ一つ受け入れながらやってきた長い道のりでした。なのでスノーボードとかけ離れた経験は、必ず自分の精神的な部分や気持ち、メンタル的なことに影響したのかなと思っています。今回も大きいチャレンジだったけどそこでの経験は大きな自信になっていたというか、本当にこの4年すべて通して過去の自分よりもさらに強くしてくれたなという経験になりました」
――トリプルコーク1440はいつ頃から考えていて、いつぐらいから練習を始め北京五輪にもってきたのでしょうか?
「しっかりやれる環境で練習し始めたのは半年前からで、その中では1日30本~40本多い日には50本、60本、ずっと練習をひたすらやっていました。なので自分がこれ(北京五輪)以外の大会でのトリプルコークは、出してもうまく決まらず失敗することが多くて、毎回悔しい気持ちがありました。いちかばちかのトライはこの場ではリスクがあると感じていたので、中国に入る前にアメリカで猛特訓して完成させた流れになりますね」
――自分だけの技をやりたいということだったのでしょうか?
「そうですね。そういうこだわりは持っていたいし、トリプルコークもここ最近まで誰もやっていなかったので新しい技だと思う。やることも見せることも、他の人がやっていない、ヒントも正解もないので最初は難しいと思ったけれど、トリプルコークが生まれたことで時代も変わったと思います」
決勝の滑りを「100点」と振り返った平野選手。その後行われた記者会見では、「この4年間すべての時間を含め、今日チャレンジを達成した」と悲願の金メダルに充実感を示しました。
また、今大会で引退を表明しているショーン・ホワイト選手(米)について問われると、「ショーンはいつも自分の中のチャレンジを僕に見せてくれる存在。彼には背中を押されるし、リスペクトを送りたいです」と思いを明かしました。
自身の今後については、「これからも自分だけのチャレンジを追っていければ。自分自身と向き合いながら考えていきたい」と更なる挑戦を見据えました。
◆以下、記者会見での主なコメント
――きょうの滑りは何点でしょうか?
「点数でいったら何点だろうな…練習以上のことが(本番で)できたというのは、今の自分のパフォーマンスの中でもMAXを出せたということなので満足していますね」
――今日は100点ということでしょうか?
「そんな感じです(笑)」
――これからどんな王者ロードを進んでいきたいですか?
「まだ終わったばかりで想像しづらいですけど、まずは落ち着いて、これからも自分だけのチャレンジを追っていければと思います。それがどういう道のりになるかは自分自身と向き合いながら考えていきたいです」
――去年もスケートボードで(東京)五輪に出場しました。スケートボードがスノーボードにおいてプラスになったことはありますか?
「この挑戦っていうのは、ただ挑戦するだけでなく色々な気持ちとの戦いで。自分との戦いは目に見えないものだらけで、そういうものを一つ一つ受け入れながらやってきた長い道のりでした。なのでスノーボードとかけ離れた経験は、必ず自分の精神的な部分や気持ち、メンタル的なことに影響したのかなと思っています。今回も大きいチャレンジだったけどそこでの経験は大きな自信になっていたというか、本当にこの4年すべて通して過去の自分よりもさらに強くしてくれたなという経験になりました」
――トリプルコーク1440はいつ頃から考えていて、いつぐらいから練習を始め北京五輪にもってきたのでしょうか?
「しっかりやれる環境で練習し始めたのは半年前からで、その中では1日30本~40本多い日には50本、60本、ずっと練習をひたすらやっていました。なので自分がこれ(北京五輪)以外の大会でのトリプルコークは、出してもうまく決まらず失敗することが多くて、毎回悔しい気持ちがありました。いちかばちかのトライはこの場ではリスクがあると感じていたので、中国に入る前にアメリカで猛特訓して完成させた流れになりますね」
――自分だけの技をやりたいということだったのでしょうか?
「そうですね。そういうこだわりは持っていたいし、トリプルコークもここ最近まで誰もやっていなかったので新しい技だと思う。やることも見せることも、他の人がやっていない、ヒントも正解もないので最初は難しいと思ったけれど、トリプルコークが生まれたことで時代も変わったと思います」