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【こどもの日】万年補欠の野球少年が日本代表の“鉄人”に!? ラグビー元日本代表・大野均

2023年5月5日 12:00
【こどもの日】万年補欠の野球少年が日本代表の“鉄人”に!? ラグビー元日本代表・大野均
福島県出身のラグビー元日本代表・大野均さん(東芝ブレイブルーパス東京アンバサダー)
現役時代、歴代最多となる日本代表98試合出場を積み重ねた大野均さん(東芝ブレイブルーパス東京アンバサダー)。子供の頃からラグビーエリートとしての道を歩んできたのだろうと想像しますが、実はラグビーを始めたのは18歳のとき。しかも、それまで熱中していた野球では万年補欠だったと言います。そんなラグビー界のレジェンド・大野均さんはどのような幼少期を過ごし、そしてどうやってラグビーに出会ったのでしょうか。

■小柄な両親のもとで192㎝に!?

192cmの長身がひと際目をひく大野均さん。その丈夫な体はどのようにつくられたのか。福島・郡山の農家に生まれ育った幼少期のことを聞いてみました。

大野「子供の頃から、農作業の手伝いをしていました。そして、家で採れた野菜と米をたくさん食べて。飼っていた牛から搾った牛乳を水代わりに飲んでいましたね」

自分の体は農作業と食事で作られたと分析する大野さん。「自然と体が強くなり、結果的にラグビー選手として長くプレーできるところにつながったのでは」と、穏やかに話します。

両親も大柄なのだろうと思っていたところ、大野さんの口からは信じられない言葉が出てきました。

大野「父も母も大きくないんです。むしろ小柄な部類だと思います」なぜ均少年だけが大きくなったのか。大野さん自身も「分からない」そうです。ただ、「とにかくたくさん寝ましたね。ラグビーを始めてからも感じましたが、大きい人は寝ることが好きな人が多い気がしています」と話します。

■万年補欠だった野球少年時代

スポーツが盛んだったという地元・福島で、たくさんのスポーツと自然に触れていた均少年は、小学4年生から郡山市の『三穂田野球スポーツ少年団』で野球を始めます。後にラグビーの"鉄人"となる9歳の少年は、ここでスポーツ選手としてのキャリアをスタートさせました。

「野球はとにかく楽しかった」という大野さん。迷うことなく、中学・高校と野球部を選択します。ポジションは外野手。当時から頭一つ抜けていたという高身長を生かし、活躍していたものと思いきや、大野さんは「中学も高校もずっと控えで、ベンチに座っている時間の方が長かったですね」と明かします。ただ、グラウンドではかなり目立っていたようで、試合中、相手ベンチの選手が大野さんの方を見ながら何やら話していたことがあったそうです。

大野「『でっかい奴がベンチに座っているぞ』『チャンスに代打で登場する秘密兵器だぞ』と、相手に思われて警戒されていたみたいです。でも、試合終了まで秘密のまま終わることがたくさんありましたね(笑)」

■突然の“身柄拘束”から始まったラグビー人生

高校卒業後、地元の福島にキャンパスがある日本大学工学部に進学した大野さん。大学でも野球を続けようと思っていたといいます。

しかし入学直後のある日、転機が訪れます。キャンパスを歩いていると、近付いてきた大柄な男2人に突然両脇を抱えられ、引きずられるようにしてラグビー部の部室に連れていかれたのです。

「もう、突然でしたよ」と、その時のことを振り返った大野さん。先輩から「ラグビーをやろう」と誘われましたが、「興味などありません。野球をやりたいので」と、断り続けたといいます。

それでも、どうしてもラグビー部に勧誘したい先輩は、毎日のように大野さんの前に現れました。さすがに一度もグラウンドに行かないまま断るのは失礼だと思った大野さん。練習を見学した上で断ろうと、初めてグラウンドに足を運びます。そして、そこで見た光景が、その後の人生を大きく変えることとなりました。

大野さんは「理系の学部なので授業が忙しいんですよね。授業で練習に遅れて参加する先輩が、部室に来るなり瞬時に着替えて、グラウンドに出るなり大した準備もしないままにいきなりハードなタックルを繰り出して。その姿が、やたらかっこよく映ったんです」と、そのときから見る目が少し変わったと言います。

そして練習終了後、部員たちが上下関係を気にせずに、別け隔てなく会話する様子を目の当たりにします。「この仲間に入ったら大学生活が楽しくなりそうだ」と思ったという大野さん。“ラグビーがやりたいのではなく、ラグビー部の仲間に入りたい―”、断りに行ったはずが、この出来事がきっかけとなり、そこから20年以上にわたるラグビー人生が幕を開けました。

先輩の粘り強い勧誘がなかったら―。
律儀にグラウンドに行って断ろうと思っていなかったら―。
“鉄人”の誕生も、「ブライトンの奇跡(※)」も、なかったかもしれません。

※2015年W杯、日本代表が優勝候補の南アフリカを破った試合を、世界は「ブライトンの奇跡」と称えました。大野さんはロックでスタメン出場。