“ラストサムライ”大野将平「柔道家に引退はない」 セカンドキャリアに向け2年間の英国留学で指導者研修
“ラストサムライ”として東京五輪で2連覇したことが柔道人生の一番の誇りだという大野将平選手
柔道73kg級でリオオリンピックと東京オリンピックで2連覇を果たした大野将平選手が7日、来年度から2年間、イギリス留学することを記者会見で明らかにしました。
JOCの海外研修制度を使い、指導者として留学をする大野選手は「山下会長に勧めていただいた。中学入学時に親元を離れて苦労をした経験があったので、セカンドキャリアに向かうにあたって、もう一度自分自身に苦労の経験を、という思いもあり決断した」と事の経緯を説明。
セカンドキャリアに言及した大野選手ですが、去就に関して「ずっと私自身の考えであることですが、柔道家に引退はない。一生修行だと思っています」と話しました。
留学先にヨーロッパを選んだ理由について「日本柔道では五輪金、世界チャンピオンが当たり前。ハードルの高さをやりがいに競技生活を送っていた半面、なかなか評価されない切なさを感じていた。日本では柔道の金メダリストが大勢いて、どうしてもその中の1人に埋もれてしまう感覚もあった。しかし試合や合宿でヨーロッパに行くと熱烈な歓迎をされ、現地では柔道の人気や熱量がある。自分が人気のあるうちに現地に飛び込み、国際大会の盛り上がりや、その運営について聞いて、柔道を通して国際的な人材になりたい」と説明。
今後も稽古・トレーニングを続けていくということですが、競技生活に関して「私にとって試合は生きるか死ぬか、命をかけたもの。その考えは変わらない。軽はずみに白い歯を見せて試合に出ることは現状考えられない。ですが、ヨーロッパの柔道の楽しさや違った関わり方が見えてきたら、もう一度試合に出るかもしれない」と、試合への出場の可能性を否定しませんでした。
また、これまでを振り返り「自身が強くなった要因は日本代表生活10年、毎日同じ日々を繰り返してきた。繰り返すというのは、誰もができることだが、その繰り返しの日々を継続することのみが、自分自身を柔の道の深きところまで連れて行ってくれる唯一の方法だと信じていた。才能があったわけでも特別優れてもいなかったが、柔道の王道を歩みたい純粋な心で、講道学舎、天理大学という名門で柔道を学んで、五輪2連覇できた。東京五輪には私が一番縁のある選手だと思っていて、自分がラストサムライだと思って戦っていた。(金メダルで)それを実現できたことが私の柔道人生の一番の誇りだし、日本の柔道を世界に体現できたという自負も持っている」と話しました。
「人生において、東京五輪での2連覇以上の成功体験・感動体験というのは、私の今後の人生で超えてくるものは間違いなくないと思う。競技生活以上に、セカンドキャリアで、心燃えるものはないだろう。自分から柔道や金メダルを取り除いた時、あらためて魅力ある人間であれるように、この経験を活かしたい」と、セカンドキャリアに向けて思いを語りました。
JOCの海外研修制度を使い、指導者として留学をする大野選手は「山下会長に勧めていただいた。中学入学時に親元を離れて苦労をした経験があったので、セカンドキャリアに向かうにあたって、もう一度自分自身に苦労の経験を、という思いもあり決断した」と事の経緯を説明。
セカンドキャリアに言及した大野選手ですが、去就に関して「ずっと私自身の考えであることですが、柔道家に引退はない。一生修行だと思っています」と話しました。
留学先にヨーロッパを選んだ理由について「日本柔道では五輪金、世界チャンピオンが当たり前。ハードルの高さをやりがいに競技生活を送っていた半面、なかなか評価されない切なさを感じていた。日本では柔道の金メダリストが大勢いて、どうしてもその中の1人に埋もれてしまう感覚もあった。しかし試合や合宿でヨーロッパに行くと熱烈な歓迎をされ、現地では柔道の人気や熱量がある。自分が人気のあるうちに現地に飛び込み、国際大会の盛り上がりや、その運営について聞いて、柔道を通して国際的な人材になりたい」と説明。
今後も稽古・トレーニングを続けていくということですが、競技生活に関して「私にとって試合は生きるか死ぬか、命をかけたもの。その考えは変わらない。軽はずみに白い歯を見せて試合に出ることは現状考えられない。ですが、ヨーロッパの柔道の楽しさや違った関わり方が見えてきたら、もう一度試合に出るかもしれない」と、試合への出場の可能性を否定しませんでした。
また、これまでを振り返り「自身が強くなった要因は日本代表生活10年、毎日同じ日々を繰り返してきた。繰り返すというのは、誰もができることだが、その繰り返しの日々を継続することのみが、自分自身を柔の道の深きところまで連れて行ってくれる唯一の方法だと信じていた。才能があったわけでも特別優れてもいなかったが、柔道の王道を歩みたい純粋な心で、講道学舎、天理大学という名門で柔道を学んで、五輪2連覇できた。東京五輪には私が一番縁のある選手だと思っていて、自分がラストサムライだと思って戦っていた。(金メダルで)それを実現できたことが私の柔道人生の一番の誇りだし、日本の柔道を世界に体現できたという自負も持っている」と話しました。
「人生において、東京五輪での2連覇以上の成功体験・感動体験というのは、私の今後の人生で超えてくるものは間違いなくないと思う。競技生活以上に、セカンドキャリアで、心燃えるものはないだろう。自分から柔道や金メダルを取り除いた時、あらためて魅力ある人間であれるように、この経験を活かしたい」と、セカンドキャリアに向けて思いを語りました。