史上最高のブレイディが尊敬するQBは誰? 2017年の来日時に回答
2015年シーズンのカンファレンス決勝後に健闘を称えあうマニング氏(右)とブレイディ選手(左)(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)
GOAT(Greatest Of All Time)と評されたタンパベイ・バッカニアーズのトム・ブレイディ選手が、日本時間2月2日に自身のSNSで引退を表明。スーパーボウル制覇7度のうちMVP5回、リーグMVP3回、プロボウル選出15回など数々の栄光を刻み、多くの伝説を残しました。
そんな周囲からも尊敬される史上最高の司令塔が、最もリスペクトした至高のQBは誰なのか。2017年の来日時にその答えを教えてくれました。
スポーツ用品メーカーのプロモーションの一環として6月に来訪したブレイディ選手。日本のアメフト選手相手にクリニックを開催し、相撲や座禅といった日本の文化も体験しました。
この貴重な機会に、NFL倶楽部でMCを務めるオードリーもスーパースターにインタビューするチャンスでしたが、惜しくもスケジュールが合わず。代わりに、ブレイディ選手が4度目の優勝を果たした第49回スーパーボウルで実況を務め、ブレイディファンを公言する日本テレビの菅谷大介アナウンサーが独占インタビューを試みました。
来日の4か月前には25点差の劣勢を跳ね返す大逆転劇で第51回スーパーボウルを制覇していただけに、オードリーからの質問ももちろんその激闘に関するものばかり。そして、誰もが知りたがった「最もリスペクトするQBは誰?」という質問には、「本当に素晴らしいQBがたくさんいるので、一人をあげるのは難しい」と前置きをしながらも、「強いてあげるとすれば、(2015年シーズンを最後に)引退しましたが、ペイトン・マニング。素晴らしいプレイヤーで心からずっと尊敬しています」と回答しました。
ペイトン・マニング氏と言えば、父アーチー氏、弟イーライ氏もNFL選手のフットボール一家に生まれた超がつくほどの良血。1998年のドラフトでは全体1位指名でインディアナポリス・コルツに入団し、2012年からはデンバー・ブロンコスでプレー。実働18年で歴代最多のリーグMVP5回、歴代3位の通算パス獲得ヤード(71940)など数々の金字塔を打ち立てた名QBです。
そんな希代のパサー同士は、同じカンファレンスに所属していたためスーパーボウルでの対決はありませんが、カンファレンス決勝では計4度の激闘を繰り広げ、マニング氏の3勝1敗。最後の対決となった2015年シーズンの戦いでは、ブレイディ選手が同点を狙った2点コンバージョンがインターセプトされマニング氏擁するブロンコスが勝利。ブロンコスはスーパーボウルでもカロライナ・パンサーズを下し、マニング氏はこの試合を最後にユニフォームを脱ぎました。
1976年3月生まれのマニング氏と1977年8月生まれのブレイディ選手は同時代でしのぎを削ったライバル。NFLで2年先輩のマニングは、長年の好敵手だった後輩の引退に熱いメッセージで称えました。
「私の友人であるトムの信じられないようなフットボールキャリアを祝福します。彼のように長く、最高のレベルでそれを行うことは、絶対に信じられないことです。フィールド上で彼と競い合うことは名誉であり特権であったし、フィールド外での彼の友情には本当に感謝している。私はいつも彼の競争心、献身、規律、そしてベストであろうとする姿勢を認め、尊敬してきました。彼の次の章での活躍を祈っています。改めておめでとう!」
マニング氏は、ブレイディ選手が現れなければ、史上最高の名をほしいままにしていたかもしれません。しかし、互いの切磋琢磨(せっさたくま)がなければここまでの伝説は作られなかった可能性もあります。お互いが認め合ったNFLのレジェンド。一つの時代が終わっても、不世出の名パサー同士のライバル関係は色あせることなく永遠に語り継がれるでしょう。
なお、ブレイディ選手は、ペイトン氏の弟イーライ氏相手にはスーパーボウルで2連敗。特に2007年シーズンの第42回大会では史上2チーム目となる無敗のパーフェクトシーズンを阻まれました。前年のシーズンではカンファレンス決勝で兄ペイトンの前に散っていただけに、2年連続でマニング兄弟に苦汁をなめる格好となりました。史上最高のQBにとって、マニング兄弟は一番の天敵だったかもしれません。
そんな周囲からも尊敬される史上最高の司令塔が、最もリスペクトした至高のQBは誰なのか。2017年の来日時にその答えを教えてくれました。
スポーツ用品メーカーのプロモーションの一環として6月に来訪したブレイディ選手。日本のアメフト選手相手にクリニックを開催し、相撲や座禅といった日本の文化も体験しました。
この貴重な機会に、NFL倶楽部でMCを務めるオードリーもスーパースターにインタビューするチャンスでしたが、惜しくもスケジュールが合わず。代わりに、ブレイディ選手が4度目の優勝を果たした第49回スーパーボウルで実況を務め、ブレイディファンを公言する日本テレビの菅谷大介アナウンサーが独占インタビューを試みました。
来日の4か月前には25点差の劣勢を跳ね返す大逆転劇で第51回スーパーボウルを制覇していただけに、オードリーからの質問ももちろんその激闘に関するものばかり。そして、誰もが知りたがった「最もリスペクトするQBは誰?」という質問には、「本当に素晴らしいQBがたくさんいるので、一人をあげるのは難しい」と前置きをしながらも、「強いてあげるとすれば、(2015年シーズンを最後に)引退しましたが、ペイトン・マニング。素晴らしいプレイヤーで心からずっと尊敬しています」と回答しました。
ペイトン・マニング氏と言えば、父アーチー氏、弟イーライ氏もNFL選手のフットボール一家に生まれた超がつくほどの良血。1998年のドラフトでは全体1位指名でインディアナポリス・コルツに入団し、2012年からはデンバー・ブロンコスでプレー。実働18年で歴代最多のリーグMVP5回、歴代3位の通算パス獲得ヤード(71940)など数々の金字塔を打ち立てた名QBです。
そんな希代のパサー同士は、同じカンファレンスに所属していたためスーパーボウルでの対決はありませんが、カンファレンス決勝では計4度の激闘を繰り広げ、マニング氏の3勝1敗。最後の対決となった2015年シーズンの戦いでは、ブレイディ選手が同点を狙った2点コンバージョンがインターセプトされマニング氏擁するブロンコスが勝利。ブロンコスはスーパーボウルでもカロライナ・パンサーズを下し、マニング氏はこの試合を最後にユニフォームを脱ぎました。
1976年3月生まれのマニング氏と1977年8月生まれのブレイディ選手は同時代でしのぎを削ったライバル。NFLで2年先輩のマニングは、長年の好敵手だった後輩の引退に熱いメッセージで称えました。
「私の友人であるトムの信じられないようなフットボールキャリアを祝福します。彼のように長く、最高のレベルでそれを行うことは、絶対に信じられないことです。フィールド上で彼と競い合うことは名誉であり特権であったし、フィールド外での彼の友情には本当に感謝している。私はいつも彼の競争心、献身、規律、そしてベストであろうとする姿勢を認め、尊敬してきました。彼の次の章での活躍を祈っています。改めておめでとう!」
マニング氏は、ブレイディ選手が現れなければ、史上最高の名をほしいままにしていたかもしれません。しかし、互いの切磋琢磨(せっさたくま)がなければここまでの伝説は作られなかった可能性もあります。お互いが認め合ったNFLのレジェンド。一つの時代が終わっても、不世出の名パサー同士のライバル関係は色あせることなく永遠に語り継がれるでしょう。
なお、ブレイディ選手は、ペイトン氏の弟イーライ氏相手にはスーパーボウルで2連敗。特に2007年シーズンの第42回大会では史上2チーム目となる無敗のパーフェクトシーズンを阻まれました。前年のシーズンではカンファレンス決勝で兄ペイトンの前に散っていただけに、2年連続でマニング兄弟に苦汁をなめる格好となりました。史上最高のQBにとって、マニング兄弟は一番の天敵だったかもしれません。