パリへの悔しさ胸に4年後ロスへ目指す「僕の居場所は五輪・パラ」車いすバスケ日本代表 鳥海選手《長崎》
長崎市で開かれたバスケットボールイベントに、長崎出身で、車いすバスケットボール日本代表の鳥海 連志選手が参加しました。
4年後のパラリンピックに向けた思い、そして「プロ選手」としての目標を語りました。
アミュプラザ長崎 かもめ広場で大型連休中に行われたバスケットボールのイベント『3×3マジデジマGAMES2024』。
車いすバスケットボール 3人制の大会で、一際、歓声を浴びていたのは。
(アナウンス)
「レンシ チョウカイ」
長崎出身で、日本代表の鳥海 連志選手 25歳です。
この日は所属する「神奈川ヴァンガーズ」の一員として参加。スピード感あふれるプレーで観客を魅了しました。会場には熱心なファンの姿も。
(東京から)
「鳥海選手のことが大好きで来た。長崎ならではで、昔から知っている先輩とかいろんな人と楽しく、だけど真剣勝負もあって、魅せるプレーをしている。もう楽しくてしょうがない」
試合後のトークショーでは、車いすバスケの魅力について語りました。
(車いすバスケ日本代表 鳥海 連志選手)
「障害が重い選手も軽い選手も、平等に試合に出場する権利がある。いくらでも輝ける隙がある。ある種、障害も自分のプレーのキャラクターとして魅力に出していけるのが、車いすバスケのいいところ」
▼「僕の居場所は “パラリンピックにある”と感じるし、それを次のロス五輪・パラで証明するのが、僕に今、求められていること」
2021年の東京パラリンピックでは、日本代表初の銀メダル獲得に貢献。「大会MVP」も受賞しました。
2大会連続でのメダル獲得へ。期待を背負い、今年のパリのパラリンピック予選に臨みましたが、日本代表は突破できず。
連続出場記録は「12」で途切れました。
(車いすバスケ日本代表 鳥海 連志選手)
「(パラリンピックに)出場する選手や、チームのプレーの映像をたくさん見るけど『パラリンピックにいるべきだろう、俺は』と、常に感じさせられる瞬間が多い。僕の居場所はパラリンピックにあると感じるし、それを次の2028年のロスパラリンピックで証明するのが、僕が今求められていること」
車いすバスケの選手の中でも、障害が重い部類に入る鳥海選手。
それでも、外国籍選手に負けない体の強さや、持ち前のスピードをいかして活躍を続け、去年10月には日本人選手として2人目となるプロ転向を表明。
▼「車いすバスケットボールで “人生が豊かになるんだ”と、僕が表現したい思いがあって、プロに転向した」
多くの子どもたちに “夢を与えたい”と話します。
(車いすバスケ日本代表 鳥海 連志選手)
「プロ選手として僕が活躍することで、若い子どもたちだったり、これから車いすバスケットをやりたいと思ってくれる子どもたちにも、車いすバスケットボールでこれだけ人生が豊かになるんだと、僕が表現したいという思いがあって、プロに転向した」
この日も、多くの子どもたちが迫力あるプレーにくぎ付けに。
B1長崎ヴェルカの活躍などから、県内のバスケットボール熱の高まりを感じているといいます。
(車いすバスケ日本代表 鳥海 連志選手)
「(ヴェルカがB1で活躍しているし)、県民の皆さんもそこに対する熱量が強いと感じている。僕も “いちファン”であり、“プレーヤー”なので、すごいという感情と同時に、“僕も頑張らないとな”と思うし、頑張ることも盛り上がりも一緒にバスケットを楽しんで一緒に盛り上がれたらいい」
▼「不甲斐なさもあり、これが自分の今の立ち位置なんだと再確認できた」
長崎が生んだ車いすバスケ界のスター。
4年後のロサンゼルスパラリンピックを見据えて、努力を続けます。
(車いすバスケ日本代表 鳥海 連志選手)
「不甲斐なさもあり、これが自分の今の立ち位置なんだと再確認できたし、パリに出ている国 選手たちよりも準備期間が長い日本代表であり、僕なので、この時間を大切にしながらしっかりベースアップをしてロスに向かっていければ」