【NNNドキュメント】これからも一緒に…津波と原発事故 娘を捜し続けた父が見つけた"きぼう" NNNセレクション
東日本大震災で津波により父と妻を失った木村紀夫さん。小学1年だった二女の汐凪ちゃんは行方不明になるも、原発事故により捜索は制限された。あの日から13年、娘を捜し続け、生きた痕跡を辿り、分かってきたこと…。悲しみを繰り返さないために見つけた、“きぼう”とは。
◇◇◇
木村さん
「私の二女の汐凪(ゆうな)は、当時、小学校1年生だったので、まさに今日が成人の日でした」
あの日、大震災で止まってしまった、愛娘・汐凪との思い出。お父さんは、もうすっかり年を取っちゃったよ。
木村紀夫さん。娘が通っていた福島県大熊町の小学校を案内しています。
2023年8月。
木村さん
「熊町小学校の方は?おひとり。何年生だったんですか?」
志賀さん
「(当時)1年生です」
木村さん
「うちの汐凪と同級生?」
志賀さん
「汐凪と一緒です」
木村さん
「あ~!名前知っている!」
汐凪ちゃんと同じ1年2組だった、志賀 港さんが参加していました。
原発事故のあと、ガラス越しにしか見ることができなかった教室。
木村さん
「毎日、辞書引き競争していた?」
志賀さん
「はい」
木村さん
「机に『こびとづかん』が乗っていて、黒板に『こびと』っていう言葉があるので、『それを引いてみましょう』ってなったのかなって。なんでそういう話をするかって言うと、より来た人に“自分ごと”になってほしい。たぶんそれぞれ、学校生活って経験しているわけで。これを見ることで、震災が自分ごとになっていく。遺構として残してほしいと思って、なんとか町とうまくやっていけないかと」
汐凪ちゃんのことを、今も大切に思う同級生が、もう1人。七海 久玲愛(くれあ)さん。車いすで生活していました。
久玲愛さん
「私、小さいころすごく人見知りで、小学校に入って声をかけてきてくれた子は、汐凪ちゃんで。よく一緒に、休み時間に遊んでくれて」
久玲愛さんの母
「隣にいた汐凪ちゃんがすぐに、『これ前に出します』って言って。率先してそれから、毎日毎日、提出物を前に出すのを手伝ってくれて」
時が止まってしまった旧熊町小学校。大震災から13年。町の立ち合いのもと、子どもたちの私物の持ち出しが許されました。
震災後、初めてのことでした。
舞雪さん
「小さいね」
当時、小学4年生だった長女の舞雪さん。いつも、隣に妹がいました。
汐凪ちゃんは、学校から車に乗って自宅へ向かい、津波にのまれたとみられています。
妻と父は遺体で発見されましたが、汐凪ちゃんだけは見つからず。くる日もくる日も、娘を探した日々。車は今も、あの日のままです。
木村さん
「恐怖とね、苦しさみたいなのが、尋常じゃなかっただろうなと思いますけど」
2024年1月。同級生たちは、ハレの日を迎えました。
「小学1年生だった私たちは、震災に関わった人間として、記憶を風化させず、震災で得た教訓を後世に伝えることが、私たちのできることのひとつだと感じています」
会場の外には、木村さんの姿がありました。
木村さん
「来るつもりなかったんだけど、来ちゃったという感じですかね」
久玲愛さん
「(汐凪ちゃんの)お父さん、振り袖を見て、『似合っているよ』って言ってくれました」
Q.今、汐凪ちゃんに何か伝えたいことはありますか?
久玲愛さん
「『成人おめでとう』って、言いたいかな」
成人式の花道に飾られた花は、木村さんがお祝いに送ったものです。それは、入学式で飾られた「サイネリア」の花。
2016年、小学校の卒業式。
「卒業証書、木村汐凪」
あの日の同級生たちは、一緒に成長しています。
木村さんは、2023年に脳梗塞で入院していました。
木村さん
「まだ、こっちの足が思うように動かせない」
それでも、震災の教訓を語り継いでいく。
木村さん
「ずっと(汐凪を)覚えていてもらえれば、それでいいかなって思います。『震災を忘れない』っていうところにもつながってくる気がするので。うちの娘がそういう存在になってくれればいいなって」
汐凪がいる場所を残していく、
木村さん
「案内人みたいな感じですよね、道を作ってくれている」
愛する娘に“誇れる父”でいるために。汐凪とともに、生きていく。
2024年4月21日放送 NNNドキュメント’24『3・11大震災シリーズ(106) 汐凪と、ずっと~父と娘が紡ぐ“きぼう”~』をダイジェスト版にしました。
◇◇◇
木村さん
「私の二女の汐凪(ゆうな)は、当時、小学校1年生だったので、まさに今日が成人の日でした」
あの日、大震災で止まってしまった、愛娘・汐凪との思い出。お父さんは、もうすっかり年を取っちゃったよ。
木村紀夫さん。娘が通っていた福島県大熊町の小学校を案内しています。
2023年8月。
木村さん
「熊町小学校の方は?おひとり。何年生だったんですか?」
志賀さん
「(当時)1年生です」
木村さん
「うちの汐凪と同級生?」
志賀さん
「汐凪と一緒です」
木村さん
「あ~!名前知っている!」
汐凪ちゃんと同じ1年2組だった、志賀 港さんが参加していました。
原発事故のあと、ガラス越しにしか見ることができなかった教室。
木村さん
「毎日、辞書引き競争していた?」
志賀さん
「はい」
木村さん
「机に『こびとづかん』が乗っていて、黒板に『こびと』っていう言葉があるので、『それを引いてみましょう』ってなったのかなって。なんでそういう話をするかって言うと、より来た人に“自分ごと”になってほしい。たぶんそれぞれ、学校生活って経験しているわけで。これを見ることで、震災が自分ごとになっていく。遺構として残してほしいと思って、なんとか町とうまくやっていけないかと」
汐凪ちゃんのことを、今も大切に思う同級生が、もう1人。七海 久玲愛(くれあ)さん。車いすで生活していました。
久玲愛さん
「私、小さいころすごく人見知りで、小学校に入って声をかけてきてくれた子は、汐凪ちゃんで。よく一緒に、休み時間に遊んでくれて」
久玲愛さんの母
「隣にいた汐凪ちゃんがすぐに、『これ前に出します』って言って。率先してそれから、毎日毎日、提出物を前に出すのを手伝ってくれて」
時が止まってしまった旧熊町小学校。大震災から13年。町の立ち合いのもと、子どもたちの私物の持ち出しが許されました。
震災後、初めてのことでした。
舞雪さん
「小さいね」
当時、小学4年生だった長女の舞雪さん。いつも、隣に妹がいました。
汐凪ちゃんは、学校から車に乗って自宅へ向かい、津波にのまれたとみられています。
妻と父は遺体で発見されましたが、汐凪ちゃんだけは見つからず。くる日もくる日も、娘を探した日々。車は今も、あの日のままです。
木村さん
「恐怖とね、苦しさみたいなのが、尋常じゃなかっただろうなと思いますけど」
2024年1月。同級生たちは、ハレの日を迎えました。
「小学1年生だった私たちは、震災に関わった人間として、記憶を風化させず、震災で得た教訓を後世に伝えることが、私たちのできることのひとつだと感じています」
会場の外には、木村さんの姿がありました。
木村さん
「来るつもりなかったんだけど、来ちゃったという感じですかね」
久玲愛さん
「(汐凪ちゃんの)お父さん、振り袖を見て、『似合っているよ』って言ってくれました」
Q.今、汐凪ちゃんに何か伝えたいことはありますか?
久玲愛さん
「『成人おめでとう』って、言いたいかな」
成人式の花道に飾られた花は、木村さんがお祝いに送ったものです。それは、入学式で飾られた「サイネリア」の花。
2016年、小学校の卒業式。
「卒業証書、木村汐凪」
あの日の同級生たちは、一緒に成長しています。
木村さんは、2023年に脳梗塞で入院していました。
木村さん
「まだ、こっちの足が思うように動かせない」
それでも、震災の教訓を語り継いでいく。
木村さん
「ずっと(汐凪を)覚えていてもらえれば、それでいいかなって思います。『震災を忘れない』っていうところにもつながってくる気がするので。うちの娘がそういう存在になってくれればいいなって」
汐凪がいる場所を残していく、
木村さん
「案内人みたいな感じですよね、道を作ってくれている」
愛する娘に“誇れる父”でいるために。汐凪とともに、生きていく。
2024年4月21日放送 NNNドキュメント’24『3・11大震災シリーズ(106) 汐凪と、ずっと~父と娘が紡ぐ“きぼう”~』をダイジェスト版にしました。