【詳しく】大みそかの夜に実家で妹を殴り路上に運んだ元警部補 傷害致死の争点は「責任能力」飲酒の影響は
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2023年の大みそか、妹を殴るなどして死亡させた罪に問われている福岡県警の元警部補の男の初公判が20日に開かれました。男は起訴内容を認めました。
傷害致死の罪に問われているのは、元警察官の広瀬守隆被告(58)です。
起訴状などによりますと、広瀬被告は福岡県警・田川警察署地域課の警部補だった2023年の大みそかの夜、北九州市門司区東本町の実家で、妹の山本美智恵さん(当時55)の頭や顔を複数回殴るなどして、年が明けた元日の朝に死亡させたとされています。
「覚えてはいませんが」
福岡地裁小倉支部で20日に開かれた初公判で、広瀬被告は「覚えてはいませんが、私がやったことだと思います」と起訴内容を認めました。
検察は冒頭陳述で「被告は妹や知人と飲食店で酒を飲み、さらに飲みに行くのを妹に制止されたことに腹を立て、暴行を繰り返した」などと指摘しました。広瀬被告は普段から酒癖が悪く、妹などと酒を飲むと「もう1軒行こう」などと言って帰ろうとせず、妹がなだめて帰宅させていたといいます。
まだ飲みたかったのに制止され
以下は、検察が明らかにした事件当日の詳しい状況です。
広瀬被告は大みそかの昼ごろに実家に帰省し、その後、妹などと寿司店や焼き鳥店で酒を飲みました。さらに午後8時ごろから午後9時すぎにかけて、妹と知人とスナックでカラオケを楽しんだといいます。
広瀬被告は妹から「帰ろう」と言われ、拒否したものの、しぶしぶ帰ることを承諾しました。歩いて帰宅中、広瀬被告は知人に「もう1軒行こう」と何度も誘いましたが妹が「もう帰るよ」と止めました。
午後9時半ごろ、実家に到着して知人と別れました。実家は4階建てのビルで、広瀬被告は今度は妹の息子を誘って酒を飲もうと大声で名前を呼びました。妹の息子は3階にいましたが、酒につきあわされることに嫌気がさしていて顔を出さなかったといいます。
妹は広瀬被告に2階の部屋に戻るように言い、2階の玄関で広瀬被告と押し問答になりました。広瀬被告はまだ酒を飲みたかったのに強く制止され腹を立て、妹の顔を複数回殴るなどの暴行を加えました。妹は硬膜下腔出血とくも膜下腔出血、頭の骨を折るなどのケガをしました。
実家の前の路上に運んだ
広瀬被告は妹を1階まで下ろして外に運び、実家のビルの前の路上に放置しました。広瀬被告は1階のシャッターを閉めて2階に戻り、いつも帰省したときに寝る部屋で横になりました。
午後9時55分ごろ、通行人が妹を発見し110番通報しました。
午後10時35分ごろ、警察は妹の夫と広瀬被告が横になっていた部屋に入りました。妹の夫が「兄さん、兄さん」と声をかけると「何ね」と言って起きたといいます。広瀬被告は警察から名前などを問われると正しく答えました。警察に促されて服や手の血を見ても特に動揺することなく「何かあったと、教えてよ」などと話したということです。警察と一緒に警察署に向かう際に、ビルの階段の多量の血痕を見ても、特に驚いたり狼狽(ろうばい)することはありませんでした。
年が明けた元日の午前5時52分ごろ、妹は搬送先の病院で外傷性脳障害により死亡しました。
以上は、検察が初公判で明らかにした内容です。
弁護側は心神耗弱を主張
この裁判では「責任能力の程度」が争点となっています。善悪を判断し、判断に従って行動をコントロールできる能力が著しく低下していたかどうかが問題となっています。
検察側は、広瀬被告が自分の置かれた状況や行動を認識していて、刑事責任を問えると主張しています。動機は「酒を飲みに行かせない妹に腹を立てたこと」で、妹への攻撃が強くなったのは、酒に酔ってタガが外れた状態になったからに過ぎず、奇異に見える行動も説明がつくとしました。
一方の弁護側は、アルコールによる酩酊(めいてい)状態だったとして心神耗弱を主張しました。事件当日は朝まで勤務したあとに昼から飲酒し、夕方からまた飲酒したとして、事件を覚えておらず、妹との関係を踏まえれば、頭や顔を複数回殴ったり路上に放置したりといった行為は不自然で異常だと指摘しました。
今後は証人尋問や被告人質問が行われ、判決は3月13日に言い渡されます。