【生きる支え(後)】東日本大震災 津波で祖母が行方不明 岩手県警察機動隊配属の男性警察官 祖母いつも心に
続いては12日からお伝えしている東日本大震災のシリーズです。
津波で祖母が行方不明となり、この春、念願かなって岩手県警察の機動隊に配属された男性の「生きる支え」とは…。菊池記者のリポートです。
海藤成樹さん。
3月まで盛岡中心部の菜園交番で勤務していました。
震災当時は小学5年生。
津波から命からがら逃げました。
パトロール中の信号待ちで、ふと…。
海藤成樹さん
「仕事中なので考えない様にはしてるんですけど、たまに、一瞬、信号でこう待ってる時とかふとしたときにすれ違わないかな」
津波で祖母のミネ子さんが今も行方不明のままです。
海藤さんのふるさと、釜石。
「ただいま」
「おかえり」
両親が暮らす実家は震災の2年後、市内の山側に再建しました。
仕事の合間を縫って帰宅した際は、近くに住むおいやめいと遊ぶのが何よりの息抜きです。
(仏壇拝む)
家族は祖母のことをこう呼んでいました。
海藤成樹さん
「確か、ばあーやんが最初だったんですけどもなぜか、あーやんに変わって、みんな、あーやん、あーやんって言ってましたね」
祖母のミネ子さんは踊りの師匠としてたくさんの弟子を抱えていました。
祖母・ミネ子さん
「私、今度で7回目のチャリティーを迎えることができたのも会場のみなさま、そして弟子たち、そして私の家族、私の家族のおかげだと思っております」
千葉県の大学に進んで、いったん岩手を離れた海藤さん。
岩手に戻って警察官になろう。
震災で受けた恩返しと祖母の存在が背中を押しました。
警察官の道を選んだのにはもうひとつの理由がありました。
「姿勢を正して正座」
幼い頃から続けている剣道の存在です。
社会人になっても剣道を続けられる環境を選びました。
(準備体操)
警察官として勤務をしながら特別に訓練を許されるメンバーに選ばれました。
他人を敬い、礼を尽くす。
それが剣の道。
(面ひも結ぶ)
(練習)
(面はずれる)
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
厳しい練習は力と力のぶつかり合い。
この道を極めたいと考えています。
釜石の実家に大切に飾っているものがあります。
震災の前の年、県大会で準優勝し、お祝いにもらった木刀です。
津波で流されましたが、祖父がガレキの中から見つけてきてくれました。
海藤成樹さん
「震災から1か月以内には多分見つけてきてくれたんですけども、それでずっとお守りじゃないですけど、家にずっと飾ってるっていう感じですね」
「たまたま、この木刀は名前とか彫ってくれていたので、海藤もなかなかいないのでわかったんじゃないかというふうには思います」
海藤成樹さん(当時中1)
「剣道の稽古をする場所は避難所となり、大切な防具が流され、『もう剣道はできない』と思っていました。そんな時、祖父がガレキの中から僕の名前の入った木刀を見つけてきてくれました。僕は『剣道ができるかもしれない』、『やっぱり剣道が好きだ』と心からうれしくなりました」
妻の帰りを待ち続けていた祖父もおととしの暮れに亡くなりました。
ことしの1月。
釜石で看護師をしている村上麗那(れな)さん。
彼女も津波で自宅を流されました。
ふたりは中学時代の同級生です。
震災後、偶然、ひと部屋が空いていた父の社宅に入り、釜石中心部の中学校に進んだ海藤さん。
そこで麗那さんと出会いました。
この日、ふたりは婚姻届を出しました。震災がなければ出会っていませんでした。
海藤成樹さん
「職業柄ずっと家にいられるわけではないのでいろいろ迷惑は掛けるかなというふうには思うんですけどもできることを精一杯やっていきたいと思っています」
妻 麗那さん
「お互い被災しているので分かり合える部分もあるかなとは思います」
(波)
(砂浜)
(木刀持つ手元)
(木刀素振り)
海藤成樹さん
「(祖母は)まだ見つかってないので『どこかで生きていてくれればな』っていうふうにはずっと思っています」
癒えることのない悲しみと痛み。
そして、今…。
岩手県警察本部機動隊 海藤成樹さん(24)
「生きる支え、やはり家族の存在が一番大きいのと『祖母の分まで楽しく生きてやろう』というふうなちょっとこう、意地というかは私の中ではあります」
すべては家族のおかげ。
信じる道を歩みます。
「生きる支え」を胸に…。