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【石川の子どもたちに希望 釜石出身・浅田久美さんの挑戦】

2025年3月24日 9:54
【石川の子どもたちに希望 釜石出身・浅田久美さんの挑戦】

釜石市出身で石川県珠洲市在住のウエイトリフティング元日本代表・浅田久美さんは東日本大震災で親せきを亡くし、能登半島地震で被災しながらも、地元の子どもたちと前を向き続けています。

「頑張れば頑張った分だけ、その成果が数字として現れる」
競技を通じて、子どもたちに希望を与え続ける浅田さんの姿を追いました。山口記者のリポートです。

この競技の面白さは、「頑張りが数字という形になって現れる」ことだといいます。

石川県珠洲市。仮設住宅に隣接するウエイトリフティングの練習場。

 ♪ 「ガチャン(金属音)」

子どもたちの指導をするのは、ウエイトリフティングの元日本代表・浅田久美さん。オリンピック出場を目指した経験を持つ元アスリートです。

全日本女子選手権で12連覇、世界大会では3大会連続で銀メダルを獲得するなど日本の女子ウエイトリフティング界のパイオニアです。

浅田さんは釜石市の出身。14年前の東日本大震災では、親のように慕っていた市内鵜住居地区の伯父と叔母の家が津波で全壊しました。親せきを亡くしました。

震災前、夫の故郷・珠洲市に移り住み、2012年にクラブチームを立ち上げました。

 ♪浅田さん
 「ここ(珠洲)が第二であり、岩手県釜石市っていうのは、私にとって何を置いても一番の故郷」

第二の故郷・珠洲では、強豪・飯田高校ウエイトリフティング部の監督を務めるとともに、オリンピック出場を目指す社会人や小学生の指導にも力を入れています。

 ♪音楽に合わせて練習

去年の元日に発生した能登半島地震の爪あとが、今もまざまざと残る珠洲市。

珠洲市では、関連死を含め161人が犠牲に。住まいの被害は全壊・半壊・一部損壊あわせて5599棟に上っています。

浅田さんの自宅も一部損壊と判定され、屋根の瓦が崩れて雨漏りの被害が出ました。

 ♪浅田さん
 「屋根直した後に今度は天井、それが終わったら壁と床、畳とか、(直したいと)そう思うが、なかなか業者さんが来ていただけないので」

さらに、去年9月の豪雨で二度目の被害を受け、自宅の2階は住めない状態が続いています。

 ♪浅田さん
 「住んでいて大丈夫なのか、このままで大丈夫なのかということをちゃんと見てもらえたら安心です、本当はね」

それでも、珠洲を離れないわけは…。

 ♪浅田さん
 「珠洲から世界へ、珠洲からオリンピックへ、という目標を掲げてやってきたメンバーだからこそであり、だからこそやる意味がある」

 ♪「よいしょ」

地震の後、練習場が使えない時期もありましたが、野球部の部室を間借りして県外での遠征を重ね、2か月後には元の場所で練習を再開しました。

そして、去年8月。迎えた夏のインターハイ。

団体戦に臨んだ飯田高校。団体戦は、それぞれの階級で上位に入った選手にポイントが与えられ、その合計ポイントで競います。

飯田高校は、連続で成功し、ポイントを重ねます。

優勝するためには、さらに高得点をとらなくてはなりません。

そのために挑むのは、大会新記録を更新する162キロ。

 ♪(成功)

練習の成果が形となって表れ、結果は準優勝。優勝こそ逃しましたが、1年間の頑張りが実を結びました。

 ♪橋本侑大選手
 「本当にこの一年、沢山の方々に支援していただいたり、応援していただいて、完全ではないが普段の生活に少しずつ戻っていると思う」

 ♪「頑張れ!」「どれ、まだぽよんぽよんだ!」

被災しても、積み上げた力が進むべき道を確かなものにしています。

 ♪中島一馨選手
 「珠洲からまだオリンピック選手が出ていないので、第1号に自分がなるという気持ちで今後、努力をしていきたい」

 ♪浅田さん
 「これだけ頑張っているよ、子どもらって。ちょっとでも奮い立たせる起爆剤になればなって。子どもも頑張っているからみんなも頑張んないとダメなんだよ、おじいちゃんもあばあちゃんも皆さんも頑張んなきゃダメですよってね」

挑むバーベルの重さが立ちはだかる困難に重なります。

それでもきっと乗り越えてみせる。

頑張りが形になることを信じて被災地とともに前へ進みます。

最終更新日:2025年3月24日 9:54
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