【箱根駅伝】青山学院大学 33年間途切れたたすきの「重み」
33年間背負い続けた重み
青山学院大学 OB ・杉崎孝さん。彼はたすきの重みを33年もの間、1 人で背負い続けてきたランナーです。1976年の第52回大会、4年生だった杉崎さんはアンカーを務めました。10区でたすきを受け取ると、伴走するジープから監督の声が聞こえてきます。「頑張ればシード権がとれるぞ」と-。
杉崎さんは、その時の様子について「ジープからの発破では『お前が頑張ればシード校とれるかもしれないから頑張れ』という激励と同時に『走らなくちゃいけない』という声が掛かりましたね」と振り返ります。
当時のシード権は上位9校。たすきを受け取ったときは11位。4年間で初めてのシード権獲得のチャンスに、杉崎さんの箱根駅伝ランナーとしての本能が揺さぶられました。
しかし、ラスト5km の地点で杉崎さんの体に異変が起こります。「記憶の中では、思うように(体が)動かないので屈伸運動してもう一回走り出した」と話す杉崎さん。気持ちに反して体が言うことを聞かず、意識は徐々に薄れます...。そして、余儀なくされたのは途中棄権でした。その距離フィニッシュまで僅か150m。母校・青山学院大学のたすきは、それ以降33年間途切れ続けてしまったのです。
「自分がゴール出来なかったから翌年は(箱根駅伝に)出られないんだという記憶の方に、だんだん自分を責めるではないですけど、そういう重みみたいのがずっとここに...」と語った杉崎さん。後輩へ繋げなかったたすきの重みがずっと残っていたようです。
復活した青山学院大学
この「今昔物語」が放送された2009年の第85回大会で、青山学院大学は箱根駅伝本大会に復帰。杉崎さんもその知らせを聞き、「母校の箱根駅伝は私のところで止まっている。あとは新しい道を後輩たちが作ってくれると思います」と晴れやかな表情で語りました。
以降、常連校となり2015年の第91回大会からは4連覇も達成した青山学院大学。一度途切れたたすきは再び輝きを放ち、新春の箱根路を走っています。