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カズに救われ 釜石出身菊池がJ1初ゴール

2021年3月9日 16:34
カズに救われ 釜石出身菊池がJ1初ゴール

6日、東日本大震災から間もなく10年を迎える被災地の岩手県釜石市出身初のJリーガー神戸・菊池流帆選手(24)がJ1初得点を決めました。

7歳でサッカーを始めた菊池選手は中学2年生のときに被災し、釜石市は津波などによって900人以上が亡くなりました。

菊池流帆選手「真剣な話。中学2年の時。東日本大震災が起きた。地震が起きて山に逃げた。山におとうが迎えに来た。1ヶ月近い停電、市内の崩壊、食べ物もない、風呂も入れない。ロウソク一本、極寒の中、眠ってしまった。気付いたら朝。学校なんてあるわけないし、何をしようかと思いとりあえずサッカーボールを片手に外に出て、ボールを蹴った。大好きだったサッカーもやめようと思った。やめようと思ったというかサッカーを続ける術がなかった」

菊池選手は震災当時を振り返り、SNSにこう綴っています。

しかし、ある人物との出会いからサッカーを続ける勇気を得たと言います。それは、“キング”こと三浦知良選手。当時44歳の三浦選手が所属する横浜FCが釜石で開いたサッカー教室で、サッカー界のレジェンド・三浦知良選手と触れ合った菊池選手は「計り知れないものをいただいたのだ。小さい頃からの憧れの選手と一緒にサッカーをして、自分も素直にそうなりたいと感じた。自分がサッカーをできているのはこういう支えがあったからこそなんだと思う」と三浦選手への感謝を綴っています。

サッカー界のレジェンドとの出会いもあり、高校は強豪・青森山田に進学を決意。しかし、特待生のセレクションには落ち、一般生としての入部。最初は200人もの部員の中で一番下のDチームでした。

菊池流帆選手「(当時の)あだ名はがっつき丸。諦めない気持ち、闘争心、根性。自分にはこれしかなかった」

人一倍努力を重ねスタメンを勝ち取ると3年生では全国高校サッカー選手権にも出場しました。その後、大阪体育大学を経てJ2山口に入団し、釜石市出身初のJリーガーとなった菊池選手。「雑草魂を忘れずに全力で頑張ります」と意気込むと、翌年の2020年にはJ1の神戸に移籍しステップアップ。移籍直後は出場機会が少なかったものの、気迫のこもった守備でスタメンに定着しました。

10年前の「教え子」である菊池選手の活躍に対し、今年3月の会見で三浦選手は「今プロになった選手の中で、そうやって励みになってプロを目指してプロになった子が実際いるわけですから、みんなと一緒にがんばってやっていきたいって気持ちにさせてくれています」と、親子ほど年の離れた菊池選手の活躍に刺激を受けている様子。

今月5日の試合前日会見で、菊池選手は「震災から10年という年。今できることを最大限するのが自分の務めだと思う」と述べると、翌6日、明治安田生命J1リーグ第2節、ヴィッセル神戸vs徳島ヴォルティス(鳴門大塚ポカリスエットスタジアム)で行われた試合で、1点を追う後半42分、ゴール前でのこぼれ球を神戸・菊池選手が押し込み、J1初得点となる同点ゴールを決めました。

サッカーをやめようと思ったあの日から間もなく10年、J1初ゴールをあげた菊池選手は「もっともっと試合に出て活躍したい、日本代表に入ることが今年の目標です」とさらなる飛躍を誓いました。

写真:西村尚己/アフロスポーツ