カルビー会長、夢実現のシンプル思考1/5
キーワードを基にビジネスのヒントを聞く日テレNEWS24・デイリープラネット「飛躍のアルゴリズム」。14日のゲストは、カルビーの代表取締役会長兼CEOの松本晃氏。松本氏は1947年生まれの69歳。京都大学大学院を修了し、「伊藤忠商事」「ジョンソン・エンド・ジョンソン」を経て、2009年にカルビーの代表取締役会長兼CEOに就任した。
■「社長になりたい」
ひとつ目のキーワードは「45歳になったら会社を辞めるつもりだった。『社長になりたい』という夢を持っていたから」―“社長になる”という明確な目標を持っていたという松本氏。その夢はどのような思考の中で養われ、どのような戦略で結実したのだろうか。
――この「社長になりたい」という夢は伊藤忠商事に勤めていたころからのものですか?
たぶん、27~28歳のころだったと思います。
――そんな早い時期に?
サラリーマンをやるんだったら、会社の規模は別にしても、やっぱりトップは面白いなと。自分で決められる仕事は面白いなと思いました。
――その時は商社の社長になりたいという夢も?
それは夢としてはあったかもしれませんが、伊藤忠商事というのは大会社で、なおかつ私のいた部隊というのは、それほど華やかな花形部隊ではなかったので、この会社ではとても社長は無理だなと思っていました。
■トップとナンバー2は“雲泥の差”
――勝手なイメージなんですけど、商社勤めをされている方は、順風満帆のように思えるので、そのような夢を抱くというイメージがないんですが、なぜその若さで、そういう思いを?
まあ、会社の組織の中で、周囲を見ていますと、ナンバー1と、ナンバー2ではずいぶん違うなと。具体的には、ナンバー1とナンバー2の距離は、ナンバー2と一般社員の距離よりも大きいんじゃないかと。そうすると、トップというのは面白そうだと。しかし、伊藤忠商事だと、ちょっと私の能力や部隊、なおかつ社長というのは運もありますから、ここじゃちょっと無理だと、そういう風に見ていました。
――具体的に、トップとトップでない差というのは、どこに一番の違いが?
やっぱりトップというのは責任もありますが、何でも自分で決められますよね。自分のビジョンを現実にできるのはやっぱりトップだと思います。
■「誰かが自分を買いに来るはず」
――そして、次に選んだ会社が「ジョンソン・エンド・ジョンソン」ということですが、それはどういった経緯で?
45歳になったら会社を辞めると思っていたわけですね。45歳までにいろいろな意味で結果を出しました。それで、結果を出したら誰か買いに来るんじゃないかと。買いに来なかったら仕方がない、どこか行って探すしか手がないと…という形で辞めてみたんですね。
45~60歳までこの15年間で、できればトップという地位で活躍してみたいと。そして45歳になって辞めました。辞めてみたら、幸い23の会社から打診があって、そのうちの1社「ジョンソン・エンド・ジョンソン」を選びました。この選択は正解だったと思います。
■「お父さん、ここにしなさい」
――「ジョンソン・エンド・ジョンソン」を選んだ理由は?
大きく2つあります。ひとつは、私をとりにきてくれた最初のボス、この人はアメリカ人なんですが、彼が熱心に誘ってくれました。なおかつ、私をおとすよりも、家族をおとすということで、かなり有名なイタリアンレストランに家族全員を招待してくれました。
あと、今となればそれほど高いものではないのですが、大きな段ボール箱に「ジョンソン・エンド・ジョンソン」の歯ブラシやバンドエイド、ベビーオイルなどを入れて、子供たちにプレゼントするものですから、子供たちはすっかり喜んで、お父さん、ここにしなさいと(笑)。
――その後、2008年に「ジョンソン・エンド・ジョンソン」で定年を迎えた松本氏。しかし、まだまだ挑戦の手を緩めなかった。