がれきは放置、下水垂れ流しでも「見せかけの復興」…「ソ連時代に逆戻り」陥落から一年 マリウポリの今
ロシアによるウクライナ侵攻開始直後から、激しい市街戦が繰り広げられた南東部の都市・マリウポリ。「最後の砦」アゾフスタリ製鉄所から兵士らが投降し「陥落」してから1年が経つのを前に、市長顧問のペトロ・アンドリュシェンコ氏がNNNのインタビューに応じた。
■ロシア政府主導で進む「見せかけの復興」
ロシアメディアや親ロシア派が発信する情報では、新しい大規模集合住宅が完成するなど、マリウポリで「復興」が進む様子も確認できる。しかし、今も市内に残る人々と連絡を取り合っているというアンドリュシェンコ氏は、こうした情報は実態とかけ離れたものだと話す。
ー現在のマリウポリ市内の様子を教えてください。
侵略者(ロシア軍)によって多くの家が破壊されました。282棟の住宅が取り壊されましたが、そのうち再建されたのは約100棟です。たとえば、町の中心部の一つの地区には、かつて1万2000人が住んでいましたが、今はほとんど更地になり、残った家に約2000人が住んでいるだけです。新しい住宅の建設準備は進んでいますが、こうしたプロジェクトはロシア国防省の予算で行われています。住居の多くは、ロシアに協力してきた親ロシア派住民や、マリウポリに連れ込まれたロシア人のために提供され、マリウポリ市民のためにはなっていません。
ー市民の生活はどうなっていますか?
大変です。困難です。ロシアはわざと、マリウポリ市民の生活を最低限のレベルに維持させています。以前と比べると、水道や電気、ガス供給の問題は解決して、店が開店して食品を入手することができるようになりました。一方で、現在は資金の危機が始まっています。マリウポリでは、ロシアのどの町よりも物価が高く、人々が生活するための資金が不足しています。また、最も困難な状況にあるのは医療システムです。入院できるような施設がある病院は一棟しかありません。救急車、医療スタッフ、薬など、すべてが不足しています。死亡率は侵攻前よりも7~8倍高くなり、毎日200~300人のマリウポリ市民が命を落としています。最も大きな原因は医療システムが機能していないことです。
■壊れたままの下水システム…進む環境汚染
かつては製鉄や海運業が盛んな工業都市だったマリウポリ。最後までウクライナ側の拠点となっていたアゾフスタリ製鉄所だが、ロシア側の攻撃で甚大な被害を受けた後そのままになっていることが、新たな環境汚染を引き起こしているという。
ー町の衛生状態はどうですか?
冬は気温が下がったおかげで多少の改善が見られましたが、夏に向けて気温の上昇と共に、衛生状況はまた悪くなります。市内の下水システムが壊れているためです。ロシア側は下水ポンプ・ステーションを稼働させたと言っていますが、それは事実かどうか不明ですし、稼働させたとしても、1つだけのポンプ・ステーションでは下水システムの代わりになりません。そのため、今は排泄物の川が直接海に流れ込んでいます。さらに、アゾフスタリ製鉄所では、攻撃を受けた後、たくさんの化学物質が地下水に流れ込み、環境汚染が進んでいます。このような環境汚染が人体に及ぼす影響は、強力かつ長期的なものです。また、その化学物質はアゾフ海から黒海に流れ込み、そこから太平洋などに広がっていくことで、地球全体の環境問題を引き起こします。これが今、ロシア人がやっていることです。
■ソ連時代に逆戻り…進む「ロシア化」教育
5月9日には、マリウポリでもロシアの「戦勝記念日」のイベントが行われた。ロシアによる占領以降、学校教育や、報道、町の中の芸術作品に至るまで、歴史上の出来事の塗り替えが行われ、じわじわと「ロシア化」が進んでいるという。
ーロシアの戦勝記念日には何が行われていましたか?
何も行われていません。動画を撮影するために子供や献花をする人々が集められました。祝っている人の90%が占領当局のために働いている親ロシア派住民か、マリウポリに移住したロシア人です。ロシアやドネツクから車両がやってきて、多くの人々が戦勝記念日を祝っているという大きな「幻想」を作り上げようとしました。
ー教育はどうなっていますか?
学校教育では、毎日のようにロシアの洗脳が行われています。ヨーロッパ式のウクライナの教育はなくなり、ロシア語教育が導入されています。多くのものがソ連時代に逆戻りしました。私自身が子供の頃はソ連時代だったので、どのような教育を受けていたのかよく覚えています。ウクライナの歴史を歪めて、以前あったことは「事実ではない」と教えています。子供のうちにこのような教育をすることはかなり効果的で、もし我々が今後マリウポリを奪還できても、この教育プログラムがもたらす結果は長い間影響することになります。さらに、破壊された家にあったウクライナ語の看板をロシア語のものに取り換えたり、ウクライナ時代に作られた芸術作品の壁画もロシアのものに変えられました。街中にあるポスターや新聞などあらゆるものが、洗脳の目的で使われています。
■ロシアへ連れ去り…1万人が行方不明
ロシア支配地域では、ロシアによる「子供の連れ去り」が大きな問題となっている。アンドリュシェンコ氏は、子供だけでなく多くの大人の住民の安否も不明だという。
ーロシアへの連れ去りの実態は?
占領された当時から「選別センター」が設置され、私たちの計算では約1万人のマリウポリ市民が拘束されてロシア国内の様々な刑務所に散らばっています。彼らの安否について、残念ながら何もわかりません。去年10月頃までは解放された人がいたため、居場所をどうにかして追跡できていましたが、今は行方不明です。子供については、ロシア側の発表によると、1300人の子供がマリウポリからロシア側に連れ去られました。ただ、実際に連れ去られた人数や拘束された人々の安否については、マリウポリを奪還しない限り、残念ながら知る術がありません。
■「マリウポリは死んでいる」…再建に向けて日本に求めることは?
アゾフスタリ製鉄所から最後の兵士が投降してから18日で1年となる。ロシアの侵攻以来、ウクライナ各地を転々としながら、SNSなどでマリウポリの情報発信を続けてきたアンドリュシェンコ氏に今の思いを聞いた。
ーこの一年間、どのように過ごしてきましたか?
この一年は、まるで1日のように過ぎました。ずっと戦っていました。最初は町を守るため、そして民間人を避難させるために戦いました。今は奪還のために戦っています。感情を自分の中で抑えていますが、怒りの気持ちしかありません。親族や友人、前線で戦っていた多くの同志も失い、捕虜になってる人もいます。我々は勝利して、帰還できる日を首を長くして待っています。去年の5月18日から、我々にとってのマリウポリは存在しなくなりました。今あるのはマリウポリではなく、「ジダーノフ」(ソ連時代のマリウポリの呼称)だと、私たちは言っています。現在、マリウポリは死んでいるのです。それをどのように再建すればいいか、私たちはすでに考えています。奪還に成功したら、より良い街作りを目指して復興します。
ーG7(主要7か国首脳会合)が開かれます。日本やG7諸国に求めることは何ですか?
まず、日本に、そして世界に、支援へのお礼を言いたいです。それがなければ、私たちはきっと耐えられなかったでしょう。また、マリウポリ奪還後、街の復興を始める時、力を貸してくれることを期待しています。ロシアという危険な隣人を持っている日本に関しては、北方領土が早く取り戻せるよう祈っています。我々は可能な限り力になっていきます。私たちは共通の敵を持っているからです。日本は、広島と長崎の原爆を経験していて、何のためにあれだけの規模の犠牲者が出なければならなかったのかということの認識と理解は、私たちの共通の痛みです。私たちは皆様に感謝し、両国間で成果のある協力関係ができるよう願っています。