南海トラフ地震の記憶を語り継ぐ企画展 先人たちが現代の私たちに遺した資料から読み取れることは【高知】
3月20日から南海トラフ地震の記憶を語り継ぐ企画展が、高知城歴史博物館で始まりました。
先人たちが現代の私たちに遺した資料からは何が読み取れるのか。企画した学芸員に話を聞きました。
高知市の高知城歴史博物館で開催中の企画展「高知の地震災害史」。
1707年の宝永地震、1854年の安政南海地震、そして1946年の昭和南海地震の3つの南海トラフ地震を中心に、その被害の記録などを展示する初めての企画展です。
企画展を担当した学芸員の水松啓太さんに解説してもらいました。
■水松さん
「(展示の)最初の資料がこちらですね。30年以内に80%程度の確率で起こると言われている南海トラフ地震の発生確率の根拠になっている古文書になります」
手鏡と室津湊手鏡は、現在の室戸市室津港で湊番役をしていた久保野家に伝わる資料で、次の南海トラフ地震が30年以内に80%の確率で発生するという予測の根拠になっています。2つの資料はそれぞれ宝永地震と安政南海地震で地盤隆起による室津港の水位の変化を記録したものです。
■水松さん
「奥側の細長い古文書の方には幕末の安政南海地震によって港の水位が4尺ほど減ったという風に書かれてあり、約1.2メートルほど地盤が隆起したということがわかる古文書になっています。江戸時代に書かれた資料が今の私たちの生活にも関わっているんですね。確率の根拠が古文書になっているということは意外に思われるかもしれないが、そうした古い記録というのも現代の私たちの生活に直結していることを知ってもらえたらと思う」
また、江戸時代にも大規模災害発生後に現代と同じ現象が起きていました。
■水松さん
「こちらにありますのが幕末の安政南海地震の後に現在の佐川町斗賀野地区で流れた津波のデマに関する資料になります。当時もデマがあったんですね」
安政地震絵馬は地震の2日後の夜、津波の心配のない村に大津波が来るというデマが流れ、人々が松明を灯し避難する様子が描かれています。
■水松さん
「地震の直後というのは非常に混乱する状況。やはり人々がデマに惑わされてしまう状況が江戸時代にもあったということがわかる」
また初公開となったのが、今回の企画展にあわせて高知市の個人から寄せられた新資料、昭和南海地震を記録した「三災記」です。
■水松さん
「(地震発生が)戦後間もない時期だったので、公的な資料も個人が記した記録などもほとんど残っていない状況だが、そのような中で高知市、特に長期浸水にあった下知地区の様子を具体的に記した記録ということで注目される資料。今後も昭和南海地震の研究に非常に役に立つものとして期待されている」
終戦翌年の紙やインクが不足する状況で、当時の高知市教育課長が避難所で書いたもので、長期浸水被害や地震発生時の様子なども詳細に記しています。
<寝床で地震を感知した。(小1の娘)淑子だけは下敷きにすまいとこれを抱いて其の上を覆い 運を天に任せて寝床の上に坐った>
高知城歴史博物館では県内の学校で地震災害史の出前授業を行っていて、企画展では生徒たちの活動報告も展示しています。
昭和南海地震から来年で80年。水松さんは過去の歴史を知り未来に備えてほしいと話します。
■水松さん
「南海トラフ地震がどのような被害をもたらしてきたのかということは、歴史からしか学ぶことができない。津波あるいは火災、過去にどのような被害が起きたのかぜひそれを知って防災に役立ててもらえたらと思う」
次の南海トラフ地震に備えてほしいと先人たちが遺した被害の記憶を伝える企画展は、5月25日まで開かれています。
先人たちが現代の私たちに遺した資料からは何が読み取れるのか。企画した学芸員に話を聞きました。
高知市の高知城歴史博物館で開催中の企画展「高知の地震災害史」。
1707年の宝永地震、1854年の安政南海地震、そして1946年の昭和南海地震の3つの南海トラフ地震を中心に、その被害の記録などを展示する初めての企画展です。
企画展を担当した学芸員の水松啓太さんに解説してもらいました。
■水松さん
「(展示の)最初の資料がこちらですね。30年以内に80%程度の確率で起こると言われている南海トラフ地震の発生確率の根拠になっている古文書になります」
手鏡と室津湊手鏡は、現在の室戸市室津港で湊番役をしていた久保野家に伝わる資料で、次の南海トラフ地震が30年以内に80%の確率で発生するという予測の根拠になっています。2つの資料はそれぞれ宝永地震と安政南海地震で地盤隆起による室津港の水位の変化を記録したものです。
■水松さん
「奥側の細長い古文書の方には幕末の安政南海地震によって港の水位が4尺ほど減ったという風に書かれてあり、約1.2メートルほど地盤が隆起したということがわかる古文書になっています。江戸時代に書かれた資料が今の私たちの生活にも関わっているんですね。確率の根拠が古文書になっているということは意外に思われるかもしれないが、そうした古い記録というのも現代の私たちの生活に直結していることを知ってもらえたらと思う」
また、江戸時代にも大規模災害発生後に現代と同じ現象が起きていました。
■水松さん
「こちらにありますのが幕末の安政南海地震の後に現在の佐川町斗賀野地区で流れた津波のデマに関する資料になります。当時もデマがあったんですね」
安政地震絵馬は地震の2日後の夜、津波の心配のない村に大津波が来るというデマが流れ、人々が松明を灯し避難する様子が描かれています。
■水松さん
「地震の直後というのは非常に混乱する状況。やはり人々がデマに惑わされてしまう状況が江戸時代にもあったということがわかる」
また初公開となったのが、今回の企画展にあわせて高知市の個人から寄せられた新資料、昭和南海地震を記録した「三災記」です。
■水松さん
「(地震発生が)戦後間もない時期だったので、公的な資料も個人が記した記録などもほとんど残っていない状況だが、そのような中で高知市、特に長期浸水にあった下知地区の様子を具体的に記した記録ということで注目される資料。今後も昭和南海地震の研究に非常に役に立つものとして期待されている」
終戦翌年の紙やインクが不足する状況で、当時の高知市教育課長が避難所で書いたもので、長期浸水被害や地震発生時の様子なども詳細に記しています。
<寝床で地震を感知した。(小1の娘)淑子だけは下敷きにすまいとこれを抱いて其の上を覆い 運を天に任せて寝床の上に坐った>
高知城歴史博物館では県内の学校で地震災害史の出前授業を行っていて、企画展では生徒たちの活動報告も展示しています。
昭和南海地震から来年で80年。水松さんは過去の歴史を知り未来に備えてほしいと話します。
■水松さん
「南海トラフ地震がどのような被害をもたらしてきたのかということは、歴史からしか学ぶことができない。津波あるいは火災、過去にどのような被害が起きたのかぜひそれを知って防災に役立ててもらえたらと思う」
次の南海トラフ地震に備えてほしいと先人たちが遺した被害の記憶を伝える企画展は、5月25日まで開かれています。
最終更新日:2025年3月25日 9:52